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リベラリズム:全く異なる宗教

編集者注:これはテーブルトーク誌のキリスト教とリベラリズム(自由主義神学)というシリーズの第一章の記事です。

今年は、J・G・メイチェン(1881-1937)の著書『キリスト教とは何か(原題:Christianity and Liberalism)』が出版されてから100年を迎えます。メイチェンは1906〜1929年まで、プリンストン神学校(Princeton Theological Seminary)で教授を務め、その後フィラデルフィアにあるウェストミンスター神学校(Westminster Theological Seminary)の設立に携わり、新約聖書学の教授として生涯を終えるまで教鞭を執りました。また、メイチェンは後に正統長老教会(Orthodox Presbyterian Church)として知られるようになる教団の設立にも重要な役割を果たしました。彼はまさに20世紀における最も重要な、しかしあまり知られていないキリスト教信仰者であり、彼の古典的名著の持つ意義の大きさはどれほど強調してもしすぎることはありません。『キリスト教とは何か』において、メイチェンは真の聖書的なキリスト教(教会の歴史的信条と信仰告白に要約されるもの)とリベラリズム(自由主義神学に基づく宗教)との間に明確な対比を描き、リベラリズムがキリスト教とは全くもって異なる宗教であるという、勇気ある断固とした立場を示しました。議論に巻き込まれない道を選ぶ者もいる中、メイチェンはイエス・キリストの唯一の真の教会における、平和の絆で結ばれた御霊による一致を保つために、確信と寛容をもって戦ったのです。

メイチェンは序章にこう記しています。「他の領域におけるのと同様に、宗教の領域においても、人々が一致する事柄は往々にしてあまり価値のないものである場合が多い。真に重要な事柄については、人々は争うものである。特に宗教の領域では、現在は争いの時代である。従来、キリスト教という名で知られてきた偉大な贖罪宗教は、全く反対のタイプの宗教的信仰と戦っている。これは伝統的なキリスト教の用語を用いるために、キリスト教信仰に対して一層破壊的である」

メイチェンは、リベラリズムとは近代科学理論に基づく姿を変えた自然主義(ナチュラリズム)の一形態であり、神のことばに基づいたものではないと論じました。この主張は長い間立証されており、リベラリズムが何度も完全に誤った宗教として、完全に誤った福音を説くものであることを私たちが目の当たりにしてきたことからも明らかです。メイチェンはこう宣言しています。「キリスト教といっても、それは決して現代リベラリズムの教会の宗教のことではなく、神の恵みのメッセージのことである。これは、中世においてそうであったように、現在においてもほとんど忘れられているが、神がよしと見給う時、新しい宗教改革においてもう一度吹き出して、人類に光と自由をもたらすように定められているものである」 メイチェンが戦ったように、私たちも戦うのは、まさにこのためです。私たちは堅く立ち、聖徒たちにひとたび伝えられた信仰のために、イエス・キリストの福音のために、そして私たちの三位一体の神の栄光のために戦います。福音のほかに、人類に希望を与えるメッセージはないのですから。


 1『キリスト教とは何か』メイチェン、J. G.著、吉岡繁訳、1976年、いのちのことば社。p. 10.

2 同上 p. 26.


この記事はテーブルトーク誌に掲載されていたものです。

バーク・パーソンズ
バーク・パーソンズ
バーク・パーソンズ博士は、フロリダ州サンフォードのSaint Andrew’s Chapel(聖アンドリューズ・チャペル)の主任牧師、リゴニア・ミニストリーズの出版部門主任、テーブルトーク誌の編集者、並びにリゴニアの専属講師を務めている。彼はアメリカ長老派教会(PCA)の按手を受けた牧師であり、Church Planting Fellowshipのディレクターとしての役職もある。彼は『Why Do We Have Creeds?』の著者、『Assured by God』、『John Calvin: A Heart for Devotion, Doctrine, and Doxology』の編集者、そしてジャン・カルヴァンによる『A Little Book on the Christian Life』の共同翻訳者・共同編集者である。パーソンズ博士のツイッターアカウントは @BurkParsons