何からの救いなのか?
2022年08月30日(木)
イエスの祈りの文脈
2022年09月15日(木)
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私たちのためのイエスの祈り

編集者注:これはテーブルトーク誌の「大祭司としてのイエスの祈り」というシリーズの第一章の記事です。

私がキリストに立ち返った後、何人かの牧師やメンターに、「神の言葉から、あなたの人生の信念や、神への情熱を表す『人生の聖句(Life verse)』を決めるように」と勧められました。何年もの間、ちょうど良い聖句を探しました。しかし、ついに見つけた、と思った矢先、聖書を学び続けると、新たな候補が出てくるのです。最終的には、「人生の聖句」を探し続けるのは無駄な努力だろう、と決めました。もしかしたら私は一生「人生の聖句」がないかもしれません。「人生の聖句」がある友人のことをいつも、少し羨ましく感じます。もしかしたらいつか、主が私を天に召してくださるまでに、見つけるかもしれません。

しかし、問題はもっと深いのです。私は「人生の聖句」がないどころか、聖書で一番好きな書も、章もないのです。私が仕えている教会の会衆は私が「この節…この章…この箇所は、私が聖書で一番好きな節…章…箇所です」と、数えきれないほど聞いているはずです。そして、聖書すべてがそうではありませんが、学び続けるうちに、系図や数字が羅列された箇所など、理解し、その重要性を認めるべきであったがそうしていなかった箇所でさえも、より深く理解し、感謝するようになりました。

しかしながら、聖書の中で一番好きな章を見つけるのに最も肉薄したのは、12年ほど前に、親しい友達であるパルマー・ロバートソンに、ウガンダのカンパラにあるアフリカ聖書大学で1週間、特別講義をしてくれないかと頼まれた時かもしれません。あなたの最も好きな聖書の一章を選んで、その章について講義してください、と頼まれたのです。そのような一章はないけれど、主が祈られた祈りであるヨハネの福音書17章は、キリスト者が、三位一体なる私たちの神の栄光、キリストの人格と御業、救済論、神の目的(mission)、教会の一致と聖潔(purity)、キリストとの結合(union)、そして選ばれた民に主が注ぐ特別な愛についてキリスト者がよりよく理解するのを助ける一章だと信じている、と説明しました。ロバートソン博士も同意見でした。私たち家族がロバートソン家に滞在し、聖書、神学、教会について話し合い、ヨハネの福音書17章を教えた一週間は、私の人生の中で最も好きな一週間となりました。

ヨハネの福音書17章の大祭司の祈りは、私たちの主が私たちのために祈っておられるのを聞くことができる、聖書の中でもっとも充実した箇所です。創世記15章において、アブラハムが星を数えながら、あなたや私、そして歴史上のすべての信者を数えていたように、イエスは、あなたや私、そして使徒の言葉を通してイエスを信じるすべての人のために祈っておられたのです。神の御前-コーラム・デオ-で生きる時、私たちの主が私たちのために祈られ、私たちが主の再臨を待ち望む今も祈っておられることを私たちは知るのです。


この記事はテーブルトーク誌に掲載されていたものです。

バーク・パーソンズ
バーク・パーソンズ
バーク・パーソンズ博士は、フロリダ州サンフォードのSaint Andrew’s Chapel(聖アンドリューズ・チャペル)の主任牧師、リゴニア・ミニストリーズの出版部門主任、テーブルトーク誌の編集者、並びにリゴニアの専属講師を務めている。彼はアメリカ長老派教会(PCA)の按手を受けた牧師であり、Church Planting Fellowshipのディレクターとしての役職もある。彼は『Why Do We Have Creeds?』の著者、『Assured by God』、『John Calvin: A Heart for Devotion, Doctrine, and Doxology』の編集者、そしてジャン・カルヴァンによる『A Little Book on the Christian Life』の共同翻訳者・共同編集者である。パーソンズ博士のツイッターアカウントは @BurkParsons