変わることのない福音
2022年12月22日(木)マルコの福音書の証言
2022年12月27日(木)マタイの福音書の証言
編集者注:これはテーブルトーク誌の「福音書」というシリーズの第二章の記事です。
聖書学の歴史は、ここ200年ほどでいわゆる「高等批評(higher criticism)」の台頭を目の当たりにしてきました。高等批評は、その大部分が聖書本文の信頼性に対する懐疑論から火がついたものです。正統派クリスチャンたちは高等批評の議論に反発していますが、このような聖書本文の批判的分析を通して、非常に価値のある見解が時として得られるということが見落とされているのも事実です。このような分析は、正確な聖書理解を追求しようと努める私たちにとって、大きな助けとなるかもしれないのです。
批評的学問が貢献しうる一つの側面として、資料批評があります。これは、読んで字の如く、共観福音書(マタイの福音書、マルコの福音書、ルカの福音書)の執筆経緯を再構築しようとするものです。
資料批評学者たちの間では、マルコの福音書が最初に書かれた福音書であると、一般的に仮定されています。マタイの福音書とルカの福音書を分析すると、マルコの福音書と共通する内容が双方にあることがわかります。同時に、マタイの福音書とルカの福音書に共通して記されていながら、マルコの福音書にはない内容もあります。そこで学者たちは、マルコの福音書になくて、他二つの福音書に共通して記されている情報について説明しようとしました。その結果、マタイの福音書とルカの福音書は、マルコの福音書を情報源として用いたのに加え、マルコの福音書には用いられなかった第二の独立した情報源が用いられたという仮説が立てられました。この第二の独立した情報源は「Q資料」と呼ばれています。
「Q」の文字は、ドイツ語で「資料・原典」を意味するQuelleという単語の頭文字からとられています。すなわち、Q資料とは、私たちには知られていなくて、マタイの福音書とルカの福音書の執筆者には知られていた資料ということになります。この分析は、おおかた推測であり仮説にすぎません。学者たちの間でも、いわゆるQ資料が、マタイとルカによって共有された文書資料なのか、あるいは単に両者の知る口頭伝承であったのか、意見は様々です。福音書の執筆者同士がどのような方法で本文を編纂したのか、その結論が何であるにせよ、この分析によって一つの明確な利点が得られます。それは、マタイの福音書にあってマタイの福音書にしかない内容、ルカの福音書にあってルカの福音書にしかない内容、マルコの福音書にあってマルコの福音書にしかない内容を、それぞれ分けて分析することによって、執筆者がどのような読者にむけて情報を提供したか、また特定の福音書の主要なテーマを知る手がかりが得られるというものです。
例えば、マタイの福音書を見てみましょう。マタイの福音書には、他のどの福音書よりも多くの旧約聖書からの引用や言及があります。この事実だけでも、マタイの福音書が主にユダヤ人に向けて、長く待ち望まれたメシアであるイエスこそが旧約の預言を成就するお方であるということを示すために書かれたという見解に信憑性を与えているのです。
また、マタイの福音書には、イエスを死に追いやった当時のユダヤ人聖職者たちに対する強い非難がみられます。特に律法学者とパリサイ人たちについては、彼らの偽善はわざわいだ、と裁きの言葉を記しています。これに関係しているとも言えるのが、マタイの福音書に多く含まれる、イエスの地獄に関する教えです。このテーマは、四つの福音書の中でマタイが最も多くの情報を記しています。
しかし、マタイの福音書全体における最も中心的で重要なテーマを挙げるならば、来たる御国でしょう。マタイの福音書の冒頭から、福音とは御国の福音を意味する —— すなわち神の御国の躍進についての良い知らせである —— ことが明らかにされます。マタイの福音書では「神の国」ではなく「天の御国」というフレーズが用いられています。これは決して、著者が神の国の意味や内容について違った見解を持っていたからではなく、ユダヤ人の読者への配慮から、神の聖なる御名をみだりに使わないよう、迂言法という遠回しな表現をあえて用いたためでした。ですから、マタイにとって、天の御国の教理は、神の国として他の著者が指すそれと何ら変わりないものなのです。
マタイの福音書は、御国の躍進と受肉されたイエスの到来について語っています。イエスが公に宣教の働きを始められたときに「天の御国が近づいた」と宣言し、福音書の巻末では、オリーブ講話でその御国の到来の最終的な完成を述べました。つまり、マタイの福音書は、その初めのページから最後のページに至るまで、神の国の到来という一貫したテーマを私たちに示しています。そこに、イスラエルのメシアであり、ユダに与えられた王国の成就である、王ご自身が登場するのです。
マタイの福音書は、イエスの教えに関する詳細な情報に富んでいます。特にイエスのたとえ話は、他の福音書に含まれていないものも多く見受けられます。このたとえ話もまた、御国が中心テーマになっており、「天の御国はまた、…のようなものです」という導入から語られています。時が満ちてイエスが来られ、御国を開始したということの意義、そして贖いの歴史の全体像を理解するなら、その焦点がマタイの福音書に明確に現れていることが見えてくるはずです。
この記事はテーブルトーク誌に掲載されていたものです。