牧会のさまざまな性質
2023年08月31日(木)
常に祈るには 時間を決めて祈ること
2023年09月07日(木)
牧会のさまざまな性質
2023年08月31日(木)
常に祈るには 時間を決めて祈ること
2023年09月07日(木)

人生は霧のようである

編集者注:これはテーブルトーク誌の「誤解されている神の属性」というシリーズの第十二章の記事です。

気温が低い季節には、おもしろいほど私たちの息が見えるようになります。息を吐くたびに、自分の息による霧が一瞬見え、すぐに消え去ります。「霧(vapor)」は、伝道者の書でソロモンが今の人生を表現した言葉です(1:2)[訳注:新改訳では「空」]。この言葉は、「意味がない(meaningless)」という意味での「空しい(vain)」ではなく、すべては過ぎ去り、容易に手で掴み取れるものは何もないという意味です。霧は、ある瞬間現れ、次の瞬間には消えています。手の中に捕まえることもできません。よく見る間もなければ、本当の意味で理解する間もないままに消えてしまいます。

伝道者の書で、ソロモンは、人生は多くの意味で霧のようであると指摘していますが、そのうち冒頭部分の三つの表現が特に印象的です。第一に、ソロモンは知恵そのものについて言及しています。ソロモンは、あらゆる状況に対して知恵にこそ答えがあると考えがちであるが、この人生における知恵には限界があると指摘しています(しかも、このように語っているのはかつて最も賢いとされた人物なのです)。修正したり、正したりできないこと、また見つけたり、説明したりできないことは、数多くあります(1:15; 18)。このように、知恵とは一時的で不十分なものです。すなわち、知恵が助けとなるときは限られていて、その範囲も広くはない、ということです。真の知恵は、知恵の限界を認めることでもあるのです。

第二に、ソロモンは物質的な快楽について言及しています。ソロモンは、いかにその人生において、ぶどう酒、邸宅、庭と園、池、家畜、そしてあらゆる人々によって満足を得たかを述べています(2:1-8)。しかし、これらのものが本当に彼を満たすことはありませんでした。彼は、物質的な快楽は無意味ではないにしても、一時的な感情であることに変わりはなく、その感情に実体はないことを理解するようになりました。この世の物質的なものを追い求めても、永続的で終わりのない喜び —— 真実で究極的な喜び —— は得られません。この世の人生の快楽は、霧に過ぎないのです。

第三に、ソロモンは仕事(営み)について言及しています。人生は死で終わるのだから、仕事は霧のようである、と指摘します。私たちの得た利益は、人生の終わりに誰の手に渡るかわかりません。さらに、仕事は、たいてい疲れや困難、悲痛を伴う課題をもたらすものです(2:23)。それらを何のためにやるのでしょうか? 迫りくる死後には楽しむことのできない報酬を得るためです。私たちの文化はこれを「rat race(ラット・レース、終わりのない競争社会)」と呼びます。仕事は確かに、霧のようなものです。

このあたりで、ソロモンが皮肉っぽく「人生など生きるに値しないものだ」と宣告するのではないかと、身構えてしまうのではないでしょうか。しかし、ソロモンは皮肉屋ではありません。彼は現実主義者です。彼は決して、物事を実際よりも悪く言うことはありません。むしろ、この堕落した世界で、私たちが人生を送ることの意味を理解することができるよう、助けてくれるのです。この人生には、見出すべき喜びや意味がありますが、私たちは現実を見つめなければなりません。それは、人生は霧のようなものであるということです。では、ソロモンはどのような助言を与えているでしょうか? 彼の勧めは、愛する人たちと日々の生活を楽しみ、神を喜ばせ、神の摂理に信頼することです(2:24-26; 9:7-10)。つまり、ソロモンは私たちに信仰を促しているのです。贖いの歴史において、現代に生きる私たちには、信仰はより明確なものであるはずです。なぜなら、私たちの主イエス・キリストが、私たちを霧のような存在から贖い出してくださったことを知っているからです。最終的に、私たちは、永遠のいのちと永遠に続く喜びを与えてくださる主と共に住まうことになるのです。


この記事はテーブルトーク誌に掲載されていたものです。

トーマス・ブリューワー
トーマス・ブリューワー
トーマス・ブリューワー牧師は、テーブルトーク誌の出版副責任者およびシニア協力編集者、フロリダ州サンフォードにあるReformation Bible Collegeの非常勤講師、アメリカ長老教会( PCA )の牧師である。