
ハバクク書について知っておくべき三つのこと
2025年06月20日(木)
ヨナ書について知っておくべき三つのこと
2025年06月27日(木)ユダの手紙について知っておくべき三つのこと

今日、多くの人が絶対的な真理のために戦うことをあきらめ、イエスだけが天国への唯一の道であるという信仰を捨て、世界中に溢れるさまざまな信仰もまた救いへの有効な道だと受け入れる誘惑に晒されています。残念ながら、当然教会もこの蔓延する教えの影響を受けないわけではありません。実際にいくつかの教会はその圧力に負け、真理に背を向けて誤りを受け入れてしまっています。ユダの手紙はこのような問題について多くを語っているにも関わらず、しばしば軽んじられてきました。その理由はおそらく、この手紙が非常に短い文書でありながら、難解な言及に満ちていて混乱を招きやすいためでしょう。しかし、ユダのメッセージはまさに今の時代に必要とされています。この手紙は、「父なる神にあって愛され、イエス・キリストによって守られている、召された方々」(ユダ1節)が信仰のために戦い、信仰にとどまり続けるよう励ましているからです。
ユダの手紙の著者、ユダは、イエスとヤコブの弟です。ヤコブは初代教会における重要な指導者であり、ヤコブの手紙を記しています(マルコ6:1-6; 使徒15:13-21; ガラテヤ2:9; ヤコブ1:1)。興味深いことに、ユダは、イエスが地上で宣教しておられた時期はイエスの弟子ではありませんでした(ヨハネ7:5)。しかし、イエスの復活後、救いの信仰に至っています(使徒1:12-14)。手紙の内容が似ていることから、ユダの手紙はペテロの手紙第二とほぼ同時期である紀元60年代半ばに執筆されたと考えられています。
ユダの手紙から、彼が特定の教会、またはいくつかの教会の群れに宛てて書いていることがわかります。それらの教会に「ある者たちが忍び込んできた」と書いてあります。「彼らは不敬虔な者たちで、私たちの神の恵みを放縦に変え、唯一の支配者であり私たちの主であるイエス・キリストを否定してい」ます(ユダの手紙4節)。旧約聖書やユダヤ文学に関する言及が多くあることから、この手紙はユダヤ人のクリスチャンに宛てられたものである可能性が高いとされています。しかし中には、これらの言及は手紙の受け取り手よりもユダ自身の背景を反映していると考える学者もいます。
重要なのは、行動を促すユダの呼びかけが神の契約的な愛に基づいていることです。まずユダは、神がどのようなお方かという光に照らして、信仰者が何者であるかを語っています。次に、彼らが信仰のために戦い、信仰にとどまり続けるように呼びかけます。ユダは、読者の思いを三位一体の神の栄光、威厳、支配、権威に向けさせることで、信仰のための戦いのため、そしてその信仰に堅く立ち続けるために整えようとしているのです。
1. 信仰者は神によって召されている
ユダはこの手紙を「召された方々」に宛てています(ユダ1節)。神がご自身のもとに人々を召されるとき、彼らの目は開かれます。それは「闇から光に、サタンの支配から神に立ち返らせ」るためです(使徒26:18)。信仰によってキリストと結ばれることによって、信仰者は「父なる神にあって愛され」ます(ユダ1節)。「世界の基が据えられる前から」キリストにあって選ばれた彼らは、「イエス・キリストによって守られてい」ます(ユダ1節)。神によって召された人は、同時に神によって義と認められ、栄光を与えられています(ローマ8:30)。したがって、神のみが「あなたがたを、つまずかないように守ることができ、傷のない者として、大きな喜びとともに栄光の御前に立たせることができる方」なのです(ユダ24節)。
2. 信仰者は信仰のために戦わなければならない
ユダは信仰者たちに「手紙を書く必要が生じ」たとし、「聖徒たちにひとたび伝えられた信仰のために戦うよう」彼らを励ましています(ユダ3節)。ユダは信仰者たちに、彼らが大切にしている信仰のために戦わなければならないことを思い起こさせます。特に教会に忍び込んできた、神の恵みを歪めた教えが広まる中では、なおさらです。彼らが信仰のために戦うことを励ますために、ユダは過去に不敬虔な者たちに下ったさばきを例に挙げ、さらに将来のさばきを警告することで、神のさばきが不敬虔な者たちに下ることを読者に思い起こさせています(ユダ5-16節)。
3. 信仰者は信仰にとどまり続けなければならない
信仰者であっても、真理に対して鈍感になったり、誤りを安易に受け入れたり、神の真の恵みを歪めたり、キリストを主または主人として否定したりすることがあるかもしれません。だからこそ、ユダは彼らが次のことを絶えず心がけるように呼びかけています。「あなたがたは自分たちの最も聖なる信仰の上に、自分自身を築き上げなさい。聖霊によって祈りなさい。神の愛のうちに自分自身を保ち、永遠のいのちに導く、私たちの主イエス・キリストのあわれみを待ち望みなさい」(ユダ20-21節)。さらに、強い信仰者は弱い人をあわれみ、彼らに真理を思い起こさせることで誤りに陥らないよう助けるべきです(ユダ22-23節)。
ともすれば、あなたは今、信仰の戦いをあきらめ、知らず知らずのうちに現代文化が促す多元主義の考え方を受け入れてしまっているかもしれません。あるいは、信仰の中心的な教理から少しずつ離れてしまい、別の道を歩んでいるでしょうか。人生の困難な時期に聖書の学びから離れてしまったので、もう一度みことばをしっかりと学び直す必要がある人もいるでしょう。または、今日もなお誤った教えが教会に入り込んでいるという現実を新たに思い起こす必要があるでしょうか。この多元的な社会の中で、三位一体の神がどれほどすばらしい方であるかということを思い起こす必要があるかもしれません。あなたがどのような状況にあるにせよ、ユダは私たちすべてが今必要としているメッセージを伝えています。私たちが信仰のために戦い、信仰にとどまるよう呼びかけ、私たちの確かな救い、そして偉大かつ永遠なる神の栄光、威厳、支配、権威を、その土台に据えているのです。
この記事はリゴニア・ミニストリーズブログに掲載されていたものです。