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2025年04月17日(木)魂の獲得者は賢明である

編集者注:これはテーブルトーク誌の「キリスト教とリベラリズム(自由主義神学)」というシリーズの第十六章の記事です。
私たちが伝道について考え始めるとき、成功するために信じなければならないことがいくつかあります。第一に、超自然的な力を信じなければなりません。私たちは目に見えない世界に生きています。キリスト教は超自然的な宗教です。魂を勝ち取る働きは超自然的な働きです。魂の獲得は聖霊による超自然的な働きです。魂の獲得において、神は一人ひとりの人間を道具として用いられますが、それは最初から最後まで神の働きです。神の御業であるからこそ、私たちが伝道の務めに励むとき、神が他の人々をキリストの救いの知識に導いてくださるという確信を持つことができるのです。
第二に、私たちは神の力を信じなければなりません。他の人と話していると、人々がいかに迷っているかがよく分かります。私たちはこの真実を「全的堕落」と呼びます。つまり、罪が人々の生活のあらゆる側面に影響を及ぼしているということです。彼らは本当に「自分の背きと罪の中に死んで」いる者です(エペソ2:1–3)。全能の神の力によってのみ、そのような人々は生き返ることができるのです。「しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました」(4-5節)。これは私たちには不可能ですが、神には可能です。
第三に、私たちは福音を信じなければなりません。世界は悲惨な場所です。イエス・キリストの福音だけが、この世界を変えるのです。使徒パウロは、コリントの信者たちにこう言っています。「ですから、だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」(二コリント5:17)。私たちクリスチャンは、人々と国々の苦境に対する答えを、イエス・キリストの福音の中に持っているのです。
第四に、私たちは神の栄光と人々の救いに対する情熱を持たなければなりません。パウロはコロサイの信徒たちに、「栄光に富んだ……奥義……、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望み」を神が彼らに知らせてくださったことを思い起こさせました(コロサイ1:27)。パウロは、何とかして、何人かでも救うために、すべての人に、すべてのものとなろうとしました(一コリント9:22 )。
私たちが宣べ伝える福音は、ユダヤ人にとっては恥ずべきものであり、異邦人にとっては愚かなものであることを認識し、人々を説得する努力においては賢明でなければなりません(箴言 11:30)。キリスト抜きの知識はむなしいものですから、私たちは不信者に対して知的に挑戦します。宗教的に言えば、彼らの礼拝は偶像礼拝であり、社会的には、イエスは「わたしが来たのは地上に平和をもたらすためだ、と思ってはいけません」(マタイ10:34)と言われました。イエスに従うための代償は、人生を完全に明け渡すことです。
箴言11章30節にあるように、魂を勝ち取る者は賢くなければなりません。避けるべき二つの間違いは、専門的な訓練を受けた人だけが伝道ができると言って、知的能力を強調しすぎること、そして伝道の働きは神の働きなので考える必要はないということです。パウロはテモテに、「真理のみことばをまっすぐに説き明かす、恥じることのない働き人として、自分を神に献げるように最善を尽くしなさい」(二テモテ2:15)と諭しています。コロサイ人への手紙には、パウロがこう記しています。「私たちはこのキリストを宣べ伝え、あらゆる知恵をもって、すべての人を諭し、すべての人を教えています。すべての人を、キリストにあって成熟した者として立たせるためです。このために、私は自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています」(コロサイ1:28–29)。
伝道において賢明であるためには、二つの領域に注意を向けなければなりません。それは、自分自身と、語るメッセージです。ペテロは小アジアの諸教会に、彼らは福音の希望の証人となるので、心の中でキリストを敬い、聖なる方とし、そして自分たちの中にある希望——イエス・キリストの福音を信じたときにもたらされる希望——について弁明する用意をしていなければならないと告げています(一ペテロ3:15)。
心の中でキリストを敬うには、まず私たちは信仰の人でなければなりません。パウロはコリントの信徒たちに、自分が使徒として福音を信じる「同じ信仰の霊」を持っていること、そして信じて語るのは、「恵みがますます多くの人に及んで感謝が満ちあふれ、神の栄光が現れるようになるため」だと書いています(二コリント4:15)。福音を効果的に伝えるには、福音の現実が私たちの中に見られなければなりません。福音そのものへの信仰だけでなく、神が用いられる道具として私たちのうちに働く信仰も必要です。
第二に、私たちは謙虚でなければなりません。パウロは再び、罪人のかしらである自分に与えられた恵みについて、テモテに思い起こさせています。「しかし、私はあわれみを受けました。それは、キリスト・イエスがこの上ない寛容をまず私に示し、私を、ご自分を信じて永遠のいのちを得ることになる人々の先例にするためでした」(一テモテ1:16)。
第三に、私たちは大胆でなければなりません。パウロはエペソの信者たちに、神が彼に大胆さを与え、語るべき真理を宣べ伝えられるように祈ってほしいと求めています。パウロの目的は、きよい心、健全な良心、そして偽りのない信仰から発せられる福音のメッセージが、彼の話を聞く人々に効果的に働くことでした(一テモテ1:5)。
第四に、私たちは喜びに満ちた忍耐を持たなければなりません。コリント人への手紙第二4章でパウロは二度、「私たちは落胆しません」(1、16節)と言っています。伝道には熟練と忍耐が必要ですが、神が選ばれた者たちを暗闇から驚くべき神の光の中に導き出してくださるという喜ばしい期待を持って、私たちは伝道に携わるのです。
私たちが宣べ伝えるメッセージは、神のメッセージです。私たちは「キリストの心」を持つべきです(一コリント2:16)。私たちが聖書を熱心に研究し、神に知恵を与えてくださるように祈るなら、メッセージの理解は与えられます(ヤコブ1:5)。しかし、私たちが知恵を必要とするのは、それだけではありません。神に敵対する人々や敵意を持つ人々に福音を説明するための知恵が必要です。私たちが福音を提示するとき、それはキリストにある真理を正確かつ明確に伝えるものでなければなりません。パウロは「イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリスト」(一コリント2:2)の福音、すなわちイエス・キリストの人格とその御業について宣べ伝えました。伝道するとき、これこそが私たちのメッセージでありますように。そうすれば、神は私たちに、魂の獲得者となるために必要な天からの知恵を与えてくださるでしょう。
この記事はテーブルトーク誌に掲載されていたものです。