
天における報い
2025年04月17日(木)
聖書の律法の読みかた
2025年08月23日(木)牧会書簡の読みかた
編集者注:これはテーブルトーク誌の「解釈学」というシリーズの第一章の記事です。
パウロが記した13の手紙の中で、牧会書簡(Pastoral Epistles)と呼ばれる3つの手紙はとりわけ特徴的です。というのも、これらはパウロの同労者であり、それぞれ教会の牧会的な監督として仕えていたテモテとテトスに宛てて書かれたものであるからです。二人は、彼らの牧会の務めを妨げる偽教師やその他の試練による困難を抱えていました。これらの手紙はテモテとテトスに宛てられていますが、手紙の最後に記されているパウロの挨拶には「恵みがあなたがたとともにありますように」とあり、この「あなたがた」のギリシア語の原文は複数形です。つまり、この手紙は個人よりも半公的(semi-public)なものであることがわかります。パウロはこの手紙が教会全体で読まれることを期待していたということです。このことを念頭に、牧会書簡を読むための四つのヒントを見ていきましょう。
1. 牧会書簡を読むときは、キリストのからだとしての共同体、またあなた自身がその一部としてどう関わっているかを考える
今日、多くのクリスチャンは教会の重要性に対する意識を失いつつあります。彼らにとってクリスチャン生活とは、キリストのからだの一員として積極的に関わることよりも、キリストとの個人的な関係に重点を置くものとなっています。しかし、牧会書簡に見られるパウロの懸念点は、教会の健全さと忠実さにあります。教会は、神の民が養われ、信仰のうちに成長する場所です。だからこそパウロは、長老や(一テモテ3:1-7; テトス1:5-16)執事(一テモテ3:8-13)を含む敬虔な指導者たちに求められる資格について、時間をかけて詳細に述べています。また、パウロがテモテに対して教会の教えと説教の働きに専念するよう繰り返し勧めているのも、このためです。健全な教会には、神のことばが読まれ、語られることによる、マナ(霊的な糧)を神の民が受け取り、養われることが欠かせないからです。
牧会書簡は個人に宛てられてはいるものの、キリストの教会を建て上げ、共同体としての活発な信仰生活を励ますことを目的としています。このような生活には、ともに礼拝すること(一テモテ2; 4:13)、ともに働き仕えること(二テモテ2:21; テトス3:1)、教会のメンバーに惜しみなく施すこと(一テモテ6:17-19)、そして互いに忠実に仕え合うことが含まれます。牧会書簡の中で、パウロは教会をクリスチャン生活の中心にあるべきものとして示しています。決して後回しにすることでも、付け足しのようなものでもありません。
2. 偽りの教えの危険性とそれに対抗する必要性を認識する
パウロは牧会書簡の中で、偽りの教えへの対処に最も多くの時間を割いています。テモテへの手紙第一では、手紙全体のうち三箇所で偽教師たちに言及しています。実際、この手紙の冒頭ではすぐにエペソでの偽教師の問題が指摘され、通常パウロの手紙に見られる挨拶の後の感謝の言葉が省略されているほどです(一テモテ1:3-11)。パウロは4章で再びこの話題を取り上げ、さらに6章で再び言及されます。偽りの教えに対抗することは、テモテへの手紙第二とテトスへの手紙でも目立つテーマです。
なぜパウロは、偽りの教えに対してこれほどまでに熱心に対抗し、手紙の慣例さえも脇に置いてまでこのことを取り上げるのでしょうか? それは、偽りの教えは生死に関わる問題だからです。救いと永遠のいのちは、神がキリストのうちに明らかにされた真理を信じ、それに堅く立つことにかかっています。だからこそ、パウロはこの問題を極めて深刻なものとして扱うのです。パウロは、ガラテヤの教会における偽りの教えについて書いた通りです。「わずかなパン種が、こねた粉全体をふくらませるのです」(ガラテヤ5:9)。
偽りの教えに対抗することは、裏返すと真理を教えることの必要性を示します。これが牧会書簡を読む三つ目のヒントに繋がります。
3. みことばの奉仕が中心であることに注目する
パウロは教会でのさまざまな奉仕について指示を与えていますが、最も強調しているのは神のことばを説き、教える奉仕です。パウロはテモテに「聖書の朗読と勧めと教えに専念しなさい」と勧めています(一テモテ4:13)。みことばの奉仕は、信仰にとって不可欠です。信仰は聞くことから始まり、聞くことは神のことばによって実現するのです。さらに、みことばの教えに聞くことは、神の民の信仰に力を与えます。テモテへの手紙第二で、パウロは若い同労者にこう勧めています。「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。……というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め[る時代になるからです]」(二テモテ4:2-3)。
教会の奉仕には、共同体としての祈りも含まれます。この祈りには、教会の内部の人々に加え、外部の指導者や権威ある人々への祈りも含まれます(一テモテ2:1-2)。また、教会の奉仕には、長老や執事による実践的な奉仕も含まれます。資格のある長老は、羊飼いとして神の民を霊的に養うために必要な存在です。執事は、憐れみの奉仕に任命され、信徒たちの物理的な必要に応える働きを担っています。執事の働きの多くは、人目に触れず背後で行われている場合がほとんどですが、神は彼らに素晴らしい約束を与えておられます。「執事として立派に仕えた人は、良い地歩を占め、また、キリスト・イエスを信じる信仰について、強い確信を持つことができるのです」(一テモテ3:13)。すべての奉仕は教会が適切に機能するために不可欠です。しかし、その中心にあるのはみことばです。
4. キリストに仕える敬虔なしもべの心に寄り添って、牧会書簡を読む
歴史的に、パウロはしばしば彼の悪い点が描かれてきました——それは教会の中でも同じです。パウロの良く言われた外見の描写は、背が低く、はげ頭で、がに股で、大きな鼻と、ひと繋がりの眉、そしていつもしかめっ面をしているというものでした。また性格についても、怒りっぽく、人と関わるのが下手な人物として描かれています。あの「慰めの子」バルナバとさえ別れることになったほどであり、またマルコに対してももう一度チャンスを与えることを許しませんでした。
しかし、使徒の働きやパウロ書簡を見るとわかるように、パウロの他者への愛とあわれみは牧会書簡の中に満ち溢れています。彼はテモテのことを「わが子」「愛する子」と呼び、テトスのことも「同じ信仰による、真のわが子」と呼んでいます。しかし、パウロの心が特に表れているのは、テモテへの手紙第二の最後の部分です。彼は、自分を見捨てて去っていった者たちへの悲しみを語りますが、それでもなお、テモテやルカ、そして後に和解したのであろうマルコをも含む、他の同労者たちへの愛を表現しています。牧会書簡はパウロのキリストへの深い愛が、他の人々への愛となって溢れ出ていたことを明確に表しています。
この記事はテーブルトーク誌に掲載されていたものです。

