情け深い私たちの救い主
2023年12月19日(木)
祈りによる牧会
2023年12月19日(木)
情け深い私たちの救い主
2023年12月19日(木)
祈りによる牧会
2023年12月19日(木)

最も大きな利益

編集者注:これはテーブルトーク誌の「誤解されている聖書の言葉やフレーズ」というシリーズの第十四章の記事です。

パウロがテモテに主の良いみことばを忠実に教えるよう勧める中で、彼は偽りのキリスト教についても指摘しています。偽教師たちが自分の利得を動機としているのです(一テモテ6章)。不義によって神の真理を阻む生き方をしているので、偽教師は福音や敬虔を「理解」していません。利己的な欲求や議論好きな霊に囚われた偽教師は、どういうわけか、敬虔を追求することによって名声や富といった個人的な利得が得られると思っています(一テモテ6:4-5)。偽教師の教えや、見かけだけの敬虔な行動は、そこから生まれているのです。パウロの冷静な分析は、私たちにもまた、自分の心を吟味するよう語りかけます。私たちはどんな利益を求めているでしょうか? どのような利益が私たちの動機となっていますか? 

主イエス・キリストを愛する真のクリスチャンは、主にある救いの素晴らしい祝福を見て、敬虔を求めます。敬虔とは、生ける神との交わりの中に生きることだからです(一テモテ6:3)。その人は「救い主の血から わが利を得られようか」という讃美歌の一節を繰り返し賛美し、神の愛に驚くばかりです。これが、私たちの心が主と正しい関係にあるときに起こることです。マシュー・ヘンリーはこのことについて、偽教師たちは敬虔な行いによって利得を得られると考えたが、クリスチャンはキリストにあって得たものに驚き感動し、敬虔そのものが利益であることを理解する、と巧みに述べています。パウロも大胆で情熱的です。「しかし、満ち足りる心を伴う敬虔こそが、大きな利益を得る道です」(一テモテ6:6)。神との交わりの中に生きること以上に、素晴らしいものはあるでしょうか? 神と同じかたちに姿を変えられることにまさるものはあるでしょうか?

パウロはテモテへの手紙の中で、敬虔こそが大きな利益である理由をもう一つ述べています。「私たちは、何もこの世に持って来なかったし、また、何かを持って出ることもできません。衣食があれば、それで満足すべきです」(一テモテ6:7-8)。地上での利益は、長くとも、地上での人生の間しか持ちません。そして神は、私たちの必要を満たしてくださいます。しかし敬虔による利益は、複利のように永遠に増し加わります。だからこそ、大きな利益なのです。

使徒パウロは、キリストに満ち足りることから得られる安息を自身の経験から知っています。キリストのうちに、キリストとともに生きるなら、人生の安息、永遠の安息をすでに得ているのです。獄中で書かれたピリピ人への手紙の中で、パウロはピリピの人々の寛大さを喜びつつ、彼に倣って主の善良に安息を得るよう勧めています。「私は、どんな境遇にあっても満足することを学びました」(ピリピ4:11)。神との交わりの中に敬虔に生きるほど、あらゆることに対する視点がますます正されるでしょう。「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか」(ローマ8:31-32)。神とともに生きる人生は、「朽ちることも、汚れることも、消えて行くこともない」永遠の資産のほんの始まりです(一ペテロ1:4; 黙示22:3-5参照)。これ以上の利益があるでしょうか。


この記事はテーブルトーク誌に掲載されていたものです。

ウィリアム・ヴァンドゥードワード
ウィリアム・ヴァンドゥードワード
ウィリアム・ヴァンドゥードワード博士は、サウスカロライナ州にあるGreenville Presbyterian Theological Seminaryの教会史の教授である。著者または編集者として『The Quest for the Historical Adam』『Charles Hodge’s Exegetical Lectures and Sermons on Hebrews』などの出版物がある。