リゴニア・ミニストリーズの歴史
2022年06月24日(木)
不安とは何か?
2022年08月02日(木)
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不安の解毒剤

編集者注:これはテーブルトーク誌の「私たちの抱える不安」というシリーズの第一章の記事です。

新約聖書で「思い煩い」や「心配」と訳されるギリシャ語の言葉は、興味深い言葉です。「引き裂かれるような」「反対方向に引かれる」「バラバラになる」などの意味を持ちます。明日が不安なとき、私たちは目の前のことに集中できなくなり、注意に欠け、今日という日に対して気もそぞろになってしまいます。不安になると緊張が生まれるのは、まさにこのためです。つまり、引き裂かれたように感じることで、神が今日与えてくださっていることに意識を集中することができなくなるのです。チャールズ・スポルジョンはこのように言いました。「不安は、明日の悲しみを消してはくれない。今日の力を消すだけである。」

私たちが明日への思い煩いから解放されていることが事実であっても、不安は、私たちがあたかも追い詰められているかのように感じさせます。御霊によって解放されている私たちは、「明日のことを思い煩ってはならない」というイエスの命令に従うことができるはずなのです(マタイ6:34、聖書協会共同訳)。しかし、多くのクリスチャンは、将来に関して一切の気遣いや懸念を持たないようにというのがイエスの教えであるとか、将来への賢い予防策や備えは、何となく神を信頼していないことになるなどと、教えられてきたのです。しかし聖書には、将来について私たちがどう考えるべきか、そのための知恵がたくさん詰まっているではありませんか。ですから、イスラエルが毎日天から降るマナに頼らざるを得なかったように、私たちも、将来のために勤勉に計画し備えながら、日々の糧が与えられるよう父なる神に祈ることができるのです。

そうは言っても、私たちはなおも不安に悩まされます。自分自身の幸せや、愛する人たちの幸せを心から願っているからです。私たちが、家族、健康、教会、仕事、投資、そして国の将来について不安になるのは、それらに対する心づかいがあるからです。心配だからこそ思い煩い、愛しているからこそ心配です。しかし、私たちが神ではなく自分自身に目を向けている限り、私たちの愛や心配から生まれるのは、思い煩いです。

神は私たちに、他のどのような愛の対象よりも神を愛するよう命じられました。また、いっさいの思い煩いを神にゆだねなさい、神が心配してくださるから、と言っておられます。神は、思い煩いの一部だけではなく、いっさいの思い煩いを委ねなさい、と言われます。私たちは、自分でコントロールできていると思っている思い煩いや不安も、すべて神にゆだね、神に任せなければいけません。不安が生まれるとき、私たちは自分でコントロールできると思っていることが多いのではないでしょうか。ですから、不安なときは、私たちが自分のことを心配するよりもずっと、神が私たちを心配してくださっていることを思い出しましょう。祈りをもって、神に駆け寄るのです。祈りによって父なる神のもとに近づくことは、不安に対する解毒剤だからです。祈っているとき、私たちは自分が神ではないこと、そして自分がコントロールできないことを認めています。主こそ神であり、神がすべてのことを働かせて益としてくださるのです。祈る人ほど、思い煩いが少ないものです。


この記事はテーブルトーク誌に掲載されていたものです。

バーク・パーソンズ
バーク・パーソンズ
バーク・パーソンズ博士は、フロリダ州サンフォードのSaint Andrew’s Chapel(聖アンドリューズ・チャペル)の主任牧師、リゴニア・ミニストリーズの出版部門主任、テーブルトーク誌の編集者、並びにリゴニアの専属講師を務めている。彼はアメリカ長老派教会(PCA)の按手を受けた牧師であり、Church Planting Fellowshipのディレクターとしての役職もある。彼は『Why Do We Have Creeds?』の著者、『Assured by God』、『John Calvin: A Heart for Devotion, Doctrine, and Doxology』の編集者、そしてジャン・カルヴァンによる『A Little Book on the Christian Life』の共同翻訳者・共同編集者である。パーソンズ博士のツイッターアカウントは @BurkParsons