2023年11月07日(木)
ご自身に敵対するものを救うイエス・キリスト
2023年11月29日(木)

栄光に満ち満ちた、私たちの救い主

編集者注:これはテーブルトーク誌の「イエスの時代のユダヤ文化」というシリーズの第七章の記事です。

多くの場合、キリストの栄光は、私たちが最も暗い谷底にいるとき、より強烈に輝きます。イエスの弟子たちはこれが事実であることを、身をもって体験しました。ご自身が十字架にかけられることをイエスが予言された時(マルコ8:31)弟子たちのメシア的な期待は打ち砕かれました。彼らの頭の中では、イエスは死ぬのではなく、治めるはずだったのです。しかし、イエスは軍事力ではなく、神の栄光に基づいた現実を彼らに示し、彼らを慰められました。

「人の子は多くの苦しみを受けなければならない」(31節)と告げた6日後、イエスは祈るために、ペテロ、ヤコブ、ヨハネを率いてヘルモン山に登られました(9:2)。弟子たちはこの長い祈祷会の間に眠ってしまいましたが、目を覚ますとイエスの顔と服が白く輝いていたのです。マルコは、イエスが彼らの前で「変貌」されたと伝えています。普段は見ることのできない、イエスの真の、神的な、永遠の栄光が、イエスが受肉された時に纏われた人間という外套から透けて輝いたのです。ルカは、イエスの衣服が「まばゆいばかりに白くなった」と言い、マタイは、イエスの顔が「太陽のように輝いた」と付け加えています(マタイ17:2; ルカ9:29)。この輝かしい栄光は、イエス様ご自身から発せられていたのです。神の栄光の壮大な光を目の当たりにしたペテロ、ヤコブ、ヨハネの三人は、動くことも、言葉を発することもできず固まってしまいました。

弟子たちの心の中には、イエスが「エルサレムに着いたら捕えられ、十字架につけられるだろう」と語られていた、という衝撃の重みが残っていました。イエスの変貌は、そのような出来事を回避するためではなく、弟子たちにとって、続く慰めの源となるためでした。イエスはこの親しい仲間たちが、見て、聞いて、体験していることを心に刻み、その喜びを、イエスの受難が始まったときに思い出して欲しいと願われたのです。イエスの変貌は、弟子たちの最も暗い谷底での光でした。ヨハネは、ヨハネの福音書1章14節でこの瞬間の目撃者として、「私たちはこの方の栄光を見た」と証言しています。

この栄光の幻は、旧約聖書の代表であるモーセとエリヤがイエスと共に、来たるべきイエスの死について話していることにも確認されています(ルカ9:31)。それだけでも十分ですが、その時神のシャカイナ・グローリー(臨在に伴う栄光)が山を覆い、神々しい光があたりをつつみ、「彼の言うことを聞け」(マルコ9:7)と、神の声が響きました。つまり、イエスが自らの死について語るとき、弟子たちは「彼の言うことを聞き」、苦難のしもべとしてのイエスを受け入れなければならないのです。

この壮大な出来事のすべてが、慰めを汲み出す無限の井戸となるのです。イエスは弟子たち、そしてすべての信者に、私たちが最も暗い時に、栄光のメシアの現実を決して忘れてはならないことを思い起こさせられたのです。弟子たちの期待は打ち砕かれましたが、イエスは彼らが求めたり、考えたり、想像したりする以上の存在であることを証明されました。イエスの変貌はあらゆる面で、こう宣言しています:「夕暮れには涙が宿っても朝明けには喜びの叫びがある」と(詩篇30:5)。


この記事はテーブルトーク誌に掲載されていたものです。

ダスティン・W・ベンジ
ダスティン・W・ベンジ
ダスティン・W・ベンジ博士は、ケンタッキー州ルイビルにあるThe Southern Baptist Theological Seminaryで聖書的霊性および歴史神学の助教授を務めている。著書に『The American Puritans』『Sweetly Set on God』『The Loveliest Place』などがある。