イエスの時代のユダヤ文化

テーブルトーク誌2022年2月号はイエスの時代のユダヤ文化を紹介します。私たちの救い主は特定の場所、特定の文化、特定の年代に生まれ育ちました。この場所、文化、時の中での生活の現実を理解することは、私たちの救い主の人格とその御業、また旧新約聖書を通して啓示された福音を理解するのにとても大切です。イエスはユダヤ人として生まれ、ユダヤ文化、そして1世紀に住むユダヤ人の歴史的現実を背景に働かれたのです。テーブルトーク誌の読者の皆さんがより深く聖書に親しみ、キリスト信仰の歴史の理解を深めるために、今号は1世紀のユダヤ教の歴史的、政治的、宗教的状況を考察し、キリストと使徒たちの働きを当時の文脈の中に位置付け、この時代背景からどのようにキリスト教と現代のユダヤ教が発展したかを見ていきます。

 

 
2023年06月30日(木)

聖書を愛する

人間というのはとても魅力的な存在です。自分のコミュニティの中でも、旅先ででも、新しい人に出会うと、私はその人について、知れるだけ知りたくなります。
2023年07月03日(木)

ユダヤのギリシャ・ローマ文化的背景る

新約聖書を読んでいて、何だかパズルのピースが足りてないと感じたことはありませんか。初めて聖書を創世記から黙示録まで読み通したとき、そのように感じたことを忘れられません。
2023年07月06日(木)

ユダヤ教の礼拝

敵に囲まれた世界において、神の民が自らのアイデンティティを維持するために重要な手段の一つが礼拝でした。その中心は、古代イスラエルでもそうであったように、第二神殿期(BC516年ーAD70年)の後半に生きたユダヤ人にとって、神殿とそこで行われる礼拝でした。
2023年07月11日(木)

ユダヤの祝祭

モーセの律法は三つの箇所でユダヤの主だった祝祭について言及しています。出エジプト記23章、レビ記23章、そして申命記16章です。出エジプト記23章と申命記16章は過越・種なしパンの祭り、ペンテコステ(あるいは七週の祭り)、そして仮庵の祭りの三つの「巡礼祭」に焦点を当てます。
2023年07月12日(木)

ユダヤ教のメシア的期待

メシアという言葉は「油注がれた者」という意味のヘブル語・アラム語のマシアッハ(mashiach)から来ています。ギリシャ語の同義語はクリストス(christos)で同じく「油注ぐ」という意味のクリ(chri)から来ています。1世紀においては「メシア」も「キリスト」もほぼ同義でした(ヨハネ1:41)。
2023年07月18日(木)

ユダヤ人のメシアはどう受け入れられたか

教会の初期において、ユダヤ人はどのようにイエスを受け入れ、あるいは拒絶したのでしょうか。AD70年、エルサレムの神殿が破壊されるという悲劇に襲われた時、ユダヤ人はどのように反応したのでしょうか。その出来事はその後数十年間の、ユダヤ人のアイデンティティ形成にどう影響したのでしょうか。
2023年11月28日(木)

栄光に満ち満ちた、私たちの救い主

多くの場合、キリストの栄光は、私たちが最も暗い谷底にいるとき、より強烈に輝きます。イエスの弟子たちはこれが事実であることを、身をもって体験しました。ご自身が十字架にかけられることをイエスが予言された時(マルコ8:31)弟子たちのメシア的な期待は打ち砕かれました。
2023年11月29日(木)

ご自身に敵対するものを救うイエス・キリスト

回心する前のパウロは、イスラム教の過激派のようでした。キリスト教を憎み、それを根絶やしにするためにあらゆる手を尽くしたのです。神は、神の民を迫害した他の人たちを滅ぼしたのと同じように、パウロを滅ぼすこともできたでしょう。
2023年11月29日(木)

牧会は三一の神に倣う働き

教会を牧するということにおいて、長老の責にある人はその召しが現実的かつ三一の働きであることをおぼえるべきです。パウロはこの真実をエペソの教会の長老たちにはっきりとさせました。
2023年11月30日(木)

キリスト者は完全に堕落しているのか?

かつてジョン・ニュートンは、キリスト者の罪の体験をこのように要約しました:私はあるべき自分ではない。あぁ!私はなんと不完全で足りない者であろう!私はありたいと願っている自分ではない。私は悪を憎み、善を貫きたい。