ヨハネの手紙における愛
2023年02月01日(木)
聖書に啓示された神の摂理
2023年02月10日(木)
ヨハネの手紙における愛
2023年02月01日(木)
聖書に啓示された神の摂理
2023年02月10日(木)

神の摂理の中で

編集者注:これはテーブルトーク誌の「摂理」というシリーズの第一章の記事です。

私は長年に渡り、多くのクリスチャンと神の主権について、語り合ってきました。彼らは、救いにおける神の主権について理解した時、まるでもう一度キリストに回心したような感覚を得たと言っていました。このように感じる多くの人にとって、実際はこれが最初の回心なのです。なぜなら神が本当はどのようなお方なのか理解できて初めて、私たちは自分が何者なのか理解できるからです-私たちが罪の中で死んでいたこと、神が主権的な意志によって、キリストにあって聖霊を通して私たちを生かしてくださったことをー私たちが救われたのは神の驚くばかりの恵みによると気づく時に、私たちの目は開かれるのです。私たちは、神が私たちを救ってくださったという事実だけでなく、どのように救ってくださったかについても知るようになります。聖霊なる神は、私たちの生涯において神が取り計らわれたすべてのことを振り返るのを助けてくださるのです。

クリスチャンである私たちは、ラッキーな出来事、偶然、運命といったものは、実際には存在しないということを知っています。「摂理」(という言葉)が、「偶然」をクリスチャン風に言い換えたものではないということを知っています。「すべての出来事には理由がある」と知っています。そして、同様のことを語る未信者とは違い、すべてのものを支配しておられる神を実際に知っているのです。私たちはあらゆる出来事の究極的な理由を知っています。それは、神の栄光とそして私たちの究極的、恒久的な益のためです。。クリスチャンとして、私たちは神が主権者(最高権利者、最高統治者)であることを信じずにはいられません。なぜなら、神の主権を信じていなければ、神が神であることを信じていないことになるからです。もし、神の主権を信じるなら、神の摂理も信じなければなりません。主権と摂理は不可分の関係にありますが、同じことではありません。端的に言うならば、摂理とはすべてのことにおいて神が主権を能動的に行使する事を指します。したがって、良い摂理も悪い摂理も、喜ばしい摂理も厳しい摂理もなく、ただ摂理のみがあるのです。

問題は、多くのクリスチャンが、神がどのように摂理を働かせ、すべてのことをなしておられるのかを正しく理解していないことです。クリスチャンが神の摂理を語るとき、非日常的なことについては摂理を認めながら、人生のあらゆる小さなことには神の摂理を認めないことがどれほど多いことでしょうか。私たちは、被造世界で起こるすべてのことは何らかのかたちで神の摂理の結果であることを認識しなければなりません。また、私たちの三位一体の神が被造物とすべての被造物を摂理的に支配することは、神が罪の作者(創造主)であったり、罪を肯定する方ではないことを認識しなければなりません。このことには栄光に満ちた謎がありますが、神がご自身について明らかにされたことなのです。神の摂理によって、私たちはすべてを神のせいにするのではなく、すべてにおいて神に自分を委ねるようになるのです。神の栄光のために、神の栄光だけのために、今も永遠までも神の御前に-コーラム・デオ(Coram Deo)-生きるようにと。


この記事はテーブルトーク誌に掲載されていたものです。

バーク・パーソンズ
バーク・パーソンズ
バーク・パーソンズ博士は、フロリダ州サンフォードのSaint Andrew’s Chapel(聖アンドリューズ・チャペル)の主任牧師、リゴニア・ミニストリーズの出版部門主任、テーブルトーク誌の編集者、並びにリゴニアの専属講師を務めている。彼はアメリカ長老派教会(PCA)の按手を受けた牧師であり、Church Planting Fellowshipのディレクターとしての役職もある。彼は『Why Do We Have Creeds?』の著者、『Assured by God』、『John Calvin: A Heart for Devotion, Doctrine, and Doxology』の編集者、そしてジャン・カルヴァンによる『A Little Book on the Christian Life』の共同翻訳者・共同編集者である。パーソンズ博士のツイッターアカウントは @BurkParsons