子どもたちは完璧な両親を求めてはいない

2026年08月29日(木)

子どもたちは完璧な両親を求めてはいない

2026年08月29日(木)

恵みをもって母親としての困難に向き合う


この春、母親としての私に大きな変化が訪れます。末の息子が高校を卒業するのです。それは、子育ての一つの段階の終わりを告げるゴールラインでもあります。この日が近づいていることを理解していたはずですが、私の心は今、さまざまな感情で溢れています。息子が新たな人生のステージに歩みを進めることを嬉しく思う一方、もう家で毎日会えなくなる寂しさも感じます。誰もがやがて辿り着く旅路の終わりに、私も到着したのです。しかし私は、この先に何が待っているのかわからない不安に満ちています。

この旅路を始めたばかりのころ、私は自分のあまりの無知に圧倒されていました。新しいことや未知のことばかりが目の前にあり、自分の力の足りなさを感じていました。親としての難しい決断に直面するたびに知恵の無さを思わされ、間違った判断をしないかと不安でした。そのときから、母親として歩む中で私は多くの困難に遭遇してきましたし、これからもさまざまなことが待ち受けているだろうと思っています。しかし、その歩みを振り返るとき、すべての問題のうえに神の恵みがあり、神の誠実さが現されていたことに気付かされます。

あなたが今、母親としての旅路のどの段階を歩んでいるかに関わらず——それが幼児期であれ、学童期・思春期であれ、子どもが巣立った後であれ——神は、あなたの今置かれている場所で、あなたに出会ってくださいます。神はご自身の恵みを与えてくださいます。私たちは、この神のわざを、聖書に登場する三人の母親の人生を通して見ることができます。彼女たちが置かれていたそれぞれの状況の中で、神は必要なものを備え、ご自身の恵みを与えられました。

神は見て、知っておられる

ハガルの物語では、もうすぐ母になろうとしている女性の姿が描かれています。神は苦しみの中にいる彼女を見ておられました。サライの女奴隷であったハガルは、神の約束を実現させるためのサライの計画に組み込まれることになりました(創世16章)。後に、サライの怒りから逃れるためにハガイが荒野に向かったとき、神はその場所で彼女に出会い、恵みを示してくださいました。そこでハガイは神の名を「エル・ロイ」と呼び、「私を見てくださる方……を見[た]」と述べています(創世16:13)。その後、彼女が再び荒野に逃れ、自分も息子も死んでしまうと思ったときにも、神は彼女を見ておられました。神は彼女の嘆きを聞き、もう一度、恵みをもって彼女の必要を満たしてくださいました。「恐れてはいけない。神が……聞かれたからだ」(創世21:17)。

私たちが母親として葛藤するとき、神は豊かな恵みをもって、その置かれている場所で私たちに出会ってくださいます。神は「エル・ロイ」、「私を見てくださる方」です。神は、私たちの恐れも、悲しみも、不安も見ておられます。助けを求める私たちの叫びを聞き、私たちを救い出してくださいます。そのことを最も力強く証明しているのが、十字架における神の救いです。神は、私たちを罪から救い出すために、ご自分のひとり子を与え、私たちが受けるべき罪の罰をその方に負わせてくださいました。キリストが私たちのために成し遂げてくださった御業を信じるなら、私たちは罪から救い出され、今や神に属する者となるのです。「神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。私たちすべてのために、ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか」(ローマ8:31-32)。

荒野でハガルを見ておられた同じ神が、助けを求めて叫ぶ私たちを見て、その声を聞いてくださいます。

神はご自身の契約の愛ゆえに私たちを救い出される

ルツ記では、モアブの地ですべてを失ったナオミが描かれています。ナオミは夫を亡くした後、二人の息子をも亡くしました。彼女は深い悲しみの中にいました。この先の人生に、もはや喜びなど見出せないと思っていたでしょう。しかし神は、義理の娘であるルツを通して、彼女に必要なものを備えてくださいました。ルツは自分の民を離れ、ナオミとともに、ナオミの故郷であるベツレヘムへ旅立ちました。そして神は、麦畑で、ルツのための愛情深い夫を備え、ナオミには孫が与えられたのです。彼女らの物語の中で繰り返されるテーマは、神の「ヘセドhesed)」の愛です。この愛は単なる親切以上のものであり、まさにご自身の民に対する神の契約の約束に現される愛です。

神は、絶望的な状況に置かれた母親たちに、ご自身の「ヘセド」の愛をもって出会ってくださいます。困難な状況に置かれている母親たち、また難しい子育ての時期にある私たちも、神が示してくださる誠実ないつくしみの愛に信頼することができます。それは、誠実な愛、救いを与え必要を備える愛、約束を守る愛、そして、決して絶えることのない愛です。

悲しみの中にあったナオミを救い出し、ナオミとルツに「ヘセド」の愛を示された同じ神が、私たちにも、その愛のうちに誠実を示してくださいます。

神は私たちの召しを果たすために、私たちを整えてくださる

若い十代のマリアの前に、ある日、御使いガブリエルが現れました。そして御使いはマリアが世の救い主を身ごもることを告げます。私が新米の母親だった頃、自分の力の足りなさを心底感じたことをよく覚えています。まして、マリアがこのような知らせを聞いたときは一体どのような思いになったことか、想像もつきません。マリアの讃歌は、神がその恵みによって私たちの人生にどのように働いてくださるのかを私たちに思い起こさせます。

力ある方が、

私に大きなことをしてくださったからです。

その御名は聖なるもの、

主のあわれみは、代々にわたって

主を恐れる者に及びます。(ルカ1:49-50)

神が私たちを母親として召されるのは、私たちがすでに子育てについてよくわかっているからではありません。私たちに能力があり、知恵があるから、神は私たちに子どもたちを託し、彼らを育てるようにと私たちを選ばれるのでもありません。むしろ神は、豊かな恵みによって、私たちを母親として整えてくださるのです。「私たちをご自分の栄光と栄誉によって召してくださった神を、私たちが知ったことにより、主イエスの、神としての御力は、いのちと敬虔をもたらすすべてのものを、私たちに与えました」(二ペテロ1:3)。神は、私たちが子育てのために必要とするものすべてを与えてくださいます。神は知恵と、力と、忍耐を備えられます。これこそ、母親たちにとって良い知らせです。

マリアにご自身の恵みを示された同じ神が、私たちにも同じ恵みを注いでくださいます。

ここに紹介した聖書の中の母親たちは、それぞれの人生の中で神の恵みに出会い、神の誠実さを現しました。母親である皆さん、今日あなたがどのような状況にあろうと、神は恵みをもってあなたと出会ってくださることを信じましょう。


この記事はリゴニア・ミニストリーズブログに掲載されていたものです。

 

クリスティーナ・フォックス

クリスティーナ・フォックス

クリスティーナ・フォックスは、ジョージア州ルックアウト・マウンテンにあるCovenant Collegeの同窓会関係業務に携わっている。著書に『Closer Than a Sister』など多数。ジョージア州マリエッタにあるEast Cobb PCAの教会員。