昇天の前にイエスが与えられた約束とは?

2026年10月08日(木)

昇天の前にイエスが与えられた約束とは?

2026年10月08日(木)

なぜ愛するのか


20世紀の古典的名著『悪魔の手紙』の中で、C・S・ルイスは、老悪魔スクルーテイプ(Screwtape)が甥のワームウッド(Wormwood)に宛てて、なぜ神が人間を愛しているのか、その秘密を突き止める必要があると書き送る場面を描いています。彼は、こう記しています。

実のところわたしは、単なる不注意から、敵は本当に人間どもを愛すると言ったのである。もちろんそれは不可能なことである。……愛についての彼のたわごとは全部、何かほかのものの偽装であるに相違ない——彼らを創造し、彼らのためにあのように苦労するのには、何か別に〈本当の〉動機があるに相違ない。あたかも彼が本当にこの不可能な愛を抱いているかのような言い方になるのは、われわれがその本当の動機を発見することが全くできないでいるからである。彼は彼らを何にしようと頑張っているのか。解き得ぬ問題である。……ここに大きい課題があるのだ。われわれは、彼が本当には愛しえないことを知っている。誰にだってできはしない。それでは筋が通らないのだ、彼が〈本当に〉何をしようとしているのか発見できさえしたらなあ!

悪魔たちがその答えを探求することについては、健闘を祈るとしましょう。しかし、神の民である私たちには、そのような探求をする必要はありません。私たちは、神が私たちを心から愛しておられることを信じています。神は愛です(一ヨハネ4:16)。ですから、愛することは神の本質そのものなのです。神は、私たちが堕落する前の無垢な状態にあったときにも私たちを愛し、堕落した状態にある今も、変わらず私たちを愛しておられます。だからこそ、イエスはこう言うことができるのです。「自分の敵を愛し[なさい]……天におられるあなたがたの父の子どもになるためです」(マタイ5:44-45)。

神の私たちに対する愛は、十字架上での主の贖いの御業において、その頂点に達しました。「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである」(ヨハネ3:16)。この愛は、言葉で表すことのできない愛であり、私たちをすっかり圧倒させてしまいます。チャールズ・ウェスレーはこう書いています。

これほどの愛が なぜ私に注がれるのか

天で とりなす方に 尋ねよう

その思いは イエスの御顔に

今 恵みの御座の前におられる その方に

そこに立つは わがため わが救い主

傷を負われた その御手を広げ

神は愛なり 私はこれを知り また味わう

イエスは生きておられ 今日も われを愛す

聖書が示す神の私たちへの愛こそが、私たちの神への愛に火をつけたのです。考えてみてください。これほどの途方もない事実を目の当たりにして、どうして神を愛さずにいられるでしょうか。十字架でいけにえとなられた神ご自身の御子こそが、私たちの神への冷たい心を温める暖炉です。私たち説教者にとっては、神が私たちのために払ってくださった犠牲を思うなら、宣教において払う犠牲に大きすぎるものなどありません。聖霊はこの真理を用いて、私たちの魂の燃焼室を燃え続けさせます。私たちの熱意は、決して消えることがありません。アイザック・ワッツの有名な讃美歌は、最後の一節でこの真理を実に見事に捉えています。

ああ主の恵みに 報ゆる術なし

ただ身と魂とを 献げてぬかずく

しかし、私たちはただ神に愛をもって応答するだけではありません。神が愛してこられ、今も愛し続けておられる人々にも、私たちの愛を注ぐようになるのです。私たちは、神の愛を本来受け取るべき人々へと届けるための器となることを願います。私たちは、失われた魂に神の怒りの警告を届けるためだけでなく、キリスト・イエスにあって彼らに注がれている神の愛に応えるよう熱心に訴えるために、大地を超え、海を超えてでも、出て行くのです。そうです、この愛を知っているならば、私たちはそうすべきなのです。

まさにパウロは、このことを伝えるためにこう言いました。

というのは、キリストの愛が私たちを捕らえているからです。私たちはこう考えました。一人の人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのである、と。……こういうわけで、神が私たちを通して勧めておられるのですから、私たちはキリストに代わる使節なのです。私たちはキリストに代わって願います。神と和解させていただきなさい。(二コリ5:14, 20)

もしこの愛があなたを福音の働きに突き動かさないなら、おそらくあなたは本来発揮すべき力をはるかに下回って動いている状態でしょう。

私たちに注がれる神の愛のうちに、私たちは神を愛しますが、それと同時に、私たちは神の花嫁である教会をも愛するようになります。神がご自分の血をもって買い取られた神の民は、私たちにとって、非常に大切な存在となります。パウロの言葉で、私たちは彼らにこう語ります。

信仰によって、あなたがたの心のうちにキリストを住まわせてくださいますように。そして、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべえの聖徒たちとともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに超えたキリストの愛を知ることができますように。そのようにして、神の満ちあふれる豊かさにまで、あなたがたが満たされますように。(エペソ3:17-19)

この目的のために、私たちは神が与えてくださるあらゆる力を尽くして、労を惜しまず働き、励みます。

ルイスの描いた地獄の悪魔たちが、神が私たちを愛する本当の動機を探ろうと躍起になっている一方で、私たちはこの愛によって突き動かされ、神を愛するようになり、さらには、神に造られ贖われた人々をも愛するようになります。私たちは、ジョン・ケントの言葉を借りて自らにこう語るのです。

このような愛を わが魂よ 思いめぐらせよ

これほど大きく 豊かで 惜しみない愛を

聖なる驚きに我を忘れ 尋ねる

主よ なぜ このような愛を私に

ハレルヤ! 恵みは永遠に治める


1   C・S・ルイス『悪魔の手紙』森安綾・蜂谷昭雄訳、新教出版社、1979.
2  Depth of Mercy by Charles Wesley. 日本語訳は訳者による。
3  When I Survey by Issac Watts. 『栄えの主イエスの』讃美歌142番、新聖歌117番.
4  Sovereign grace o’er sin abounding by John Kent. 日本語訳は訳者による。


この記事はリゴニア・ミニストリーズブログに掲載されていたものです。

 

コンラッド・ムベウェ

コンラッド・ムベウェ

コンラッド・ムベウェ牧師は、ザンビアのルサカにあるKabwata Baptist Churchで牧師を務める。著書に『Foundations for the Flock: Truths about the Church for All the Saints』がある。