ガラテヤ人への手紙について知っておくべき三つのこと
2025年01月23日(木)
ガラテヤ人への手紙について知っておくべき三つのこと
2025年01月23日(木)

エペソ人への手紙について知っておくべき三つのこと


パウロによるエペソ人への手紙は、ローマ人への手紙と並んで、パウロの思想の典型的な例として知られています。エペソ人への手紙はその内容において天上の事柄を扱い、宣言される真理において多面的でありながら、その教えにおいては親しみやすく実践的です。この記事では、エペソ人への手紙を読む際に知っておくべき三つのことを紹介したいと思います。

1. エペソ人への手紙は、意図的に広く一般的に書かれている

パウロが手紙の受け取り手に会ったことがなかったコロサイ人への手紙とは違って、パウロはエペソの教会を3年間牧会していました(使徒20:31)。その間、パウロは定期的に公の会堂で教え、キリスト教の教えの幅広い土台を築いていました(使徒19:9-10)。ですから、パウロが書いているのは(コロサイ人への手紙のように)異端に対する反応でも、(コリント人への手紙第一・第ニのように)公の場で物議を醸している事柄に対する反応でもなく、本質的な福音なのです。エペソ人への手紙は、栄光に満ち、壮大でありながら、ごく一般的です。この手紙は、パウロがエペソの教会の牧師として長年にわたって教えてきた福音のダイジェスト版と言えるでしょう。

パウロのバランスの取れた要約は、信仰の二つの偉大な働きを示しています。それは、イエス・キリストによって成し遂げられた贖いを受け入れること、そして新しい従順にある応答です。1-3章は、福音の事実を列挙しています。神が永遠の計画をもってご自分の民を祝福されること、霊的に死んでいた人々に新しいいのちを与えること、分裂して遠く離れていた人々を一つの教会として結びつけること、そして「私たちのうちに働く御力によって、私たちが願うところ、思うところのすべてをはるかに超えて行う」ことです(エペソ1:3-14; 2:1-10, 11-22; 3:20)。基本的に、初めの3章は「これをあなたは信じますか」と問いかけているのです。

最後の3章では、パウロは贖いに対する信仰の応答を提示しています。この手紙において、人の「歩み」は一つのモチーフとなっています。最初にこの表現が出てくるのは、未信者が背きと罪の中を「歩んで」いたという記述です(エペソ2:1-2)。しかし、4章の冒頭からは、信仰者は信仰にふさわしく「歩む」よう召されています。そして、未信者のように歩むのではなく、愛のうちに歩むこと、光の子どもとして歩むこと、知恵のある者として歩むことが勧められます(エペソ4:17; 5:2, 8)。すなわち、4-6章は、「あなたは従いますか」と問いかけているのです。

2. エペソの信者たちは社会の中で周縁化されていた

エペソの信者たちは、広大な大都市の中でごく少数派でした。エペソの推定人口は20〜25万人です。当時はアテネとローマに次ぐ大きな都市だったのです。エペソで最も広く信仰されていた宗教はアルテミス崇拝でした。しかしその他にも、皇帝崇拝など、さまざまなカルト宗教が溢れていました。これらの宗教は歓迎されていましたが、キリスト教に対しては違っていました。キリスト教は、女神アルテミスの名誉と尊厳を脅かすものと見なされていたのです(使徒19:27参照)。エペソの信者たちは銀細工人たちの暴動を鮮明に記憶しており、その中で仲間の何人かは攻撃され、劇場に引きずり込まれたということがありました。5万人もの怒り狂う群衆が「偉大なるかな、エペソ人のアルテミス」と叫び続けるのを、目の当たりにした者もいたのです(使徒19:23-41)。エペソに住む信者たちは少数派として、アルテミス神殿の陰で、占術に囲まれ、再び暴力に晒されるかもしれないという恐怖の中で暮らしていました。

エペソの信者たちは、異教徒の世界から拒絶されていただけでなく、会堂からも同じ扱いを受けていました。エペソの残りの人々が福音を聞く前に、ユダヤ人の会堂は「会衆の前でこの道のことを悪く言った」として、すでにその教えを拒んでいました(使徒19:9)。エペソの信者が周縁化されていたという背景は、教会を神の家族とし、キリストのからだとするパウロの教えに現れています(エペソ2:11-22; 4:1-16; 5:23-30)。キリストにあって、すべての信者は神の家族に属し、彼らのための神の永遠の目的という奥義が明らかにされました。彼らは、守られていたのです。

3. エペソの教会は霊的な戦いの中で成長した

エペソの信者たちが直面していた危険は、物理的な暴力や社会的な周縁化という脅威だけでなく、霊的な悪の力からの攻撃も含まれていました。パウロは「支配」「力」「世界の支配者たち」について警告しています(エペソ6:12)。6章の「神の武具」を知っているクリスチャンは多いと思いますが、この箇所の背景となっている状況については、あまり知られていないのではないでしょうか。

エペソは魔術の中心地でした(使徒19:18-19)。魔術師や呪術師を歓迎していたのです。彼らはアルテミス崇拝やその他のオカルト的な儀式などから力を得ていると信じられていました。私たちは、偽りの神など「存在しない」ので脅威ではない(一コリ8:4)と言ってしまいがちです。しかし、パウロはこの軽率な考えを正し、偶像の背後には悪霊が存在しその崇拝を受け取っていると警告しています(一コリ10:20)。このように、エペソは霊的な暗黒と悪霊の抑圧の拠点だったのです。

それにもかかわらず、教会は成長しました。エペソの信者たちは忠実でした(エペソ1:15; 黙示2:1-3参照)。主は、その約束を、彼らを通してはっきりと示されたのです。それは、私たちが福音を信じるとき、私たちは「約束の聖霊によって証印を押され」たことです。「聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証です。このことは、私たちが贖われて神のものとされ、神の栄光がほめたたえられるためです」(エペソ1:13-14, 斜体は著者による)。


この記事はリゴニア・ミニストリーズブログに掲載されていたものです。

 

デイビッド・バリー
デイビッド・バリー
デイビッド・バリー博士は、フロリダ州コーラルスプリングスにあるFirst Presbyterian Churchの主任牧師である。著書に『The Exile of Adam in Romans』がある。