ローマ人への手紙について知っておくべき三つのこと
2024年09月09日(木)コリント人への手紙第二について知っておくべき三つのこと
2024年09月09日(木)コリント人への手紙第一について知っておくべき三つのこと
1. コリントの教会は多くの課題を抱えていた
使徒パウロはコリントの教会の創設者でした。それはつまり、神がパウロという人物を用いてこの教会を誕生させたということです。この教会ができたのはパウロの第二回伝道旅行のあいだで、パウロが本土のアカイア地方と南方のペロポネソス半島とを結ぶ土地に位置するコリントの町に到着したのは50年代初頭のことでした。この町は、二つの港(レカイオンとケンクレア)に恵まれ、推定15万人の国際色豊かな人口を擁していました。人口密度が高く、偶像礼拝が盛んで、不道徳極まりない町であった、と言えるでしょう。
パウロの宣教は会堂で始まりましたが、そこでの反発があまりに大きくなったので、ティティオ・ユストという神を敬う人の家に行き、宣教を続けました。広場やその他の場所でも宣教が行われたことは間違いないでしょう。「多くのコリント人も聞いて信じ」ました(使徒18:8)。神は夜に幻を通して、この町には信仰を持つべき民が多くいるから恐れずに宣教せよと、パウロを励まされました。パウロはその地で、一年半宣教を続けています。したがって、教会は相当に大きく、回心した偶像礼拝者たちが大半を占め、ユダヤ人は少数であったと思われます。パウロはのちに、自身を彼らの霊的父親と呼んでいます(一コリ4:15)。
しかし、この教会での宣教は容易いものではありませんでした。コリントの人々の中には、かつて町で顕著に見られた性的倒錯に関与していた者もいれば、偶像を拝む者、盗む者、酒におぼれる者もいたからです(一コリ6:9-11)。さらに、パウロは彼らがギリシャ哲学に夢中になり(一コリ2:4-5)、幼く(一コリ3:1)、思い上がり(一コリ4:6)、高ぶり(一コリ5:2)、自分を誇り(一コリ5:6)、配慮に欠けている(一コリ6:1; 11:21-22)など、その他さまざまな点を取り上げています。パウロはどうやって、このような状況にある人々に宣教したのでしょうか?
注目すべきは、パウロがこの手紙の冒頭部分から、コリントの信者たちに感謝し、称賛し、彼らが霊的賜物に欠けることがなかったと認めている点です(一コリ1:4-7)。その後パウロは、自分が手紙を書いているのは彼らに恥ずかしい思いをさせるためではなく、彼の愛する子どもとして諭すためであると明確に述べています(一コリ4:14)。コリントの人々に対するパウロの牧会的な愛が、手紙全体を通してはっきりと示されているのです。手紙の最後にはこのように書いています。「私の愛が、キリスト・イエスにあって、あなたがたすべてとともにありますように」(一コリ16:24)。
2. コリント人への手紙第一は、他のどのパウロ書簡よりも多様な内容が含まれている
J・グレッサム・メイチェンは、このように書いています。「コリント人への手紙第一は、使徒時代の教会における内部事情について、新約聖書のどの書物よりも多くの情報を提供している。あらゆる戸惑いに満ちた初代教会の実際的な問題を提示しているのは、この書簡のみである」 コリント人への手紙第一を読むと、この手紙に含まれる幅広いテーマが明らかになります。パウロは、これらの問題について二つの連絡を通して知らされていたようです。一つは、クロエの「家の者」(おそらく使用人)からの報告(一コリ1:11)、もう一つは、ステファナ、ポルトナト、そしてアカイコからの報告(おそらく教会からの手紙)でした(一コリ16:17)。
コリントの教会の中では、分裂があり(一コリ1:11-12)、異邦人にも衝撃を与えるような近親相姦があり(一コリ5:1)、狭量な訴訟が公に行われ(一コリ6:1)、結婚や離婚に関する指導が求められ(一コリ7章)、異邦人の偶像に献げられた肉を食べることに対する意見の相違があり(一コリ8:1-11:1)、礼拝や霊的賜物の使いかたに関するさまざまな問題があり(一コリ12-14章)、復活の現実を否定する者が教会内に起こっていました(一コリ15:12)。目も眩むような困難の数々ですが、これだけではないのです。コリントの教会は、幅広い疑問や懸念を抱えた教会でした。
3. コリントの信者たちが抱えていた問題は、時代的にも文化的にも私たちと大きくかけ離れてはいるが、その問題に対処するパウロの教えは私たちにも完全に当てはまるものである
もう一度、メイチェンの解説をここで引用しましょう。
コリント人への手紙第一は、古代の教会のある具体的な問題を取り扱っている。ここに書かれている問題は、私たち自身の問題ではない……[しかし]パウロには、ささいな問題であっても永遠の原則に照らして見るという驚くべき能力があった。コリント人への手紙第一の驚くべき点はここにある——この書で議論される問題はすべて、福音的真理の炎によって試されている。だからこそ、この書簡は永久的な価値を持つのである。福音の崇高な原則を、いかにして日々の生活に適用するかということは、クリスチャンの日頃の行いの基本的な問題である。人生の細部は一人ひとり限りなく多様であるから、その問題は誰にとっても詳細に解決することはできない。しかし、その解決法は、コリント人への手紙第一に示されているのである。
これは、いかなる時代のいかなるクリスチャンも、聖書のことばを自分自身の文脈に適用するよう努めなければならないことを思い起こさせてくれます。そのために、私たちには助けが必要です。まずは、リフォメーション・スタディ・バイブル(『Reformation Study Bible』)のような、良い注釈付き聖書を使うことから初めてみてはどうでしょうか。さらに深く学ぶことができる注解書もあります。比較的簡単なものから、深く専門的な内容のものまで、さまざまです。キース・マティソンやティム・チャリーズなどは、最良の注解書のリストをまとめています。ただし最大の助けは神から来る、ということを決して忘れないでください。詩篇119篇18節は、聖書を読んだり学んだりするときの、良い祈りです。「私の目を開いてください。/私が目を留めるようにしてください。/あなたのみおしえのうちにある奇しいことに」
1 J. Gresham Machen, The New Testament: An Introduction to its Literature and History (Edinburgh: Banner of Truth, 1976), 131.
2 Ibid., 134.
この記事はリゴニア・ミニストリーズブログに掲載されていたものです。