モーセと燃える柴

モーセと燃える柴の物語はよく知られた物語であり、聞く者に驚きと畏敬の念を抱かせます。しかし、神がなぜこのようなかたちでモーセにご自身を現されたのか、知っていますか? この講義シリーズでは、モーセの人生を変えた聖なる神との出会いに関する聖書の記述を、R・C・スプロール博士が解説し、紐解きます。全10回の講義を通して、神が燃える柴に現れたことの意味と、モーセに語られたことばの重要性について説明し、さらには、聖なる地における神とモーセとの出会いの中にイエス・キリストの到来が予示されていることを示します。

 
 
2025年02月15日(木)

燃える柴

神の知恵によって、モーセはその時代で最も豊かな学問を得たとともに、地上で最も頑なな民を導き、世話をするための謙遜と忍耐を備えさせられたのです。
2025年02月15日(木)

焼き尽くす火

シャカイナ・グローリー(神の栄光)は罪と共存することはできず、その純粋さによって、罪は焼き尽くされなければなりません。しかし、キリストが神の怒りの熱に耐え、御霊によってご自身の民をきよめ、神の輝かしい栄光を明らかにし、その栄光に私たちが恐れることなく近づけるようにしてくださいました。
2025年02月15日(木)

聖なる地

礼拝の形態はさまざまな教会や教派によって異なるかもしれませんが、キリストのからだが集まるところには、私たちのきよい、聖なる救い主キリストもまたそこにおられるという、この原則は変わりません。
2025年02月15日(木)

わたしはある:神の名前

出エジプト記3章に記される、「わたしは『わたしはある』という者」という主の啓示は、人格的で道徳的な神の姿です。この神は、ご自身の被造物に基準の高い要求を課すと同時に、他には決して見られない救いと贖いの希望を与えてくださいます。
2025年02月15日(木)

わたしはある:神の存在

被造物である人間は、その存在の始まりも、存続においても、神に依存しています。この事実は、本来神の民の心に大きな喜びを抱かせるものです。変わることがなく、愛に満ち、至高の知恵を持つ主が、私たちの存在をその手のひらに握り、主を愛する者にはすべてのことを益として働かせてくださるのですから。
2025年02月15日(木)

わたしはある:神の自存性

私たちは、信仰を持たない人々が真理を否定することを予期すべきであり、むしろ、私たちもまた不信仰に陥っていたときに、主が私たちの心の暗闇に光を照らしてくださったことに感謝すべきです。
2025年02月15日(木)

神からの使命

私たちの霊的な父祖たちが偉大であったように、この講義は、死につながれず、敵に征服されなかった、私たちの救い主の圧倒的な優越性を明確に照らし出しています。
2025年02月15日(木)

キリストの影

神の民を愛に満ちた恵みと優しさで助けることを除いて、奇跡は何よりも、それを行う人物が主のしもべであることを裏付け、彼らを取り巻く神のことばの真実性を証明するためのものでした。