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空しさ

編集者注:これはテーブルトーク誌の「誤解されている聖書の言葉やフレーズ」というシリーズの第十章の記事です。

物事が上手く進まないと、イライラします。リモコン用の電池を探そうとガラクタの引き出しを漁っても、使用期限は十分でも充電がされていない電池ばかりが出てくる、ということもあります。

この無駄骨のような行為は、聖書の言う空しさ(vanity)がどういうものかを物語っているようです。空しさとは、旧・新約聖書で見られる知恵の概念で、何が上手くいき、何が上手くいかないかを示すものです。それはいわゆる神の貼り付けた警告ラベルのように、何が本物で、永遠で、効果的で、価値のあるものか、また反対に、何が空虚で、無駄で、無意味で、はかないものかを私たちに教えようとします。旧約聖書の伝道者の書は、この「空しさ」[新改訳聖書2017では「空」と訳される]というテーマに特化し、日の下で営む人生のほぼすべての分野に適用できる議論を展開します。私たちはまさに、この堕落した世界で人生の意味を見出そうとしているのです。その苛立ちと無益に関する記述には、私たちの自らの経験と重なり合うものがあります。

知恵の概念として、空しさは、失望させるだけのものに意味や目的や価値を求めないようにするためのものです。これは、ある箴言の言葉に反映されています。「人の目にはまっすぐに見えるが、その終わりが死となる道がある」(箴言14:12)。しかし、知恵は、空しさの見極めを助けるだけでなく、私たちの求めるいのちがあるところへ導いてくれるものでもあります。伝道者の書における「空」の包括的概観の後、この書では有意義な人生のための原則が記されています。「結局のところ、もうすべてが聞かされていることだ。神を恐れよ。神の命令を守れ。これが人間にとってすべてである」(伝道者12:13)。すなわち、自分にとって正しいと思われることに頼ったり、世の中の忠告を鵜呑みにしたりするよりも、被造物の秩序を超えて存在される創造主に目を上げ、耳を傾けるべきなのです。そのみことばを聞いて、神の言われることを実践し、自分の意見を形成し、歩むべき方向を定め、神と神の啓示されたみこころを信頼します。主を恐れることは、知恵の初めです。

神が預言者イザヤを通して語り掛けられることばにおいて、この原理を見ることができます。イザヤは、腹を満たさないパンと、神が与えてくださる豊かな食べ物とを比較しています(イザヤ55:2-3)。主を恐れ、神である主に耳を傾けなければ、私たちは結局失望するだけの空しいものに身を委ねてしまう危険性があります。空しさと真実、何が空しく、何が価値あるものなのか、という比較は、聖書全体を通して、知恵と愚かさの境界線を示しています。このことは、私たちが真理をどこに求め、何を拠りどころにして生きているかということからもわかります。

使徒の働きで、パウロとバルナバがリステラに福音を伝えたとき、彼らは人々に、「このような空しいことから離れて、天と地と海、またそれらの中のすべてのものを造られた生ける神に立ち返るように」(使徒14:15)と勧めました。「このような空しいこと」とは何だったのでしょうか? 人々は、自分たちの神々を作り、自分自身の思うままに歩んでいました。それらをすべて「空しいこと」と呼ぶことで、パウロとバルナバは「それでは上手くいかない」と言っているのです。人々は、むしろ自分たちの作ったものを悔い改め、生けるまことの神に立ち返らなければなりません(詩篇31:5-8; 一テサ1:9-10参照)。

創造主であられる神に耳を傾けるなら、自分の目には正しく見えていた無益な道から、いのちを生み出す豊かな道へと導かれます。究極的に、その道とは、イエス・キリストにあって神が備えてくださる道です。私たちはこのお方のうちに、本当の、豊かな、永遠のいのちを見出すのです。

使徒パウロは、キリストにある神の救いについて、空しいという言葉で表現しています。キリストの御業の有効性について、パウロはこのように説明しています。「そして、キリストがよみがえらなかったとしたら、私たちの宣教は空しく、あなたがたの信仰も空しいものとなります。…そして、もしキリストがよみがえらなかったとしたら、あなたがたの信仰は空しく、あなたがたは今もなお自分の罪の中にいます。そうだとしたら、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったことになります」(一コリ15:14, 17-18)。しかし、キリストはよみがえられました。私たちの信仰は基礎を得ています。私たちの希望は空虚なものではありません。キリストにある私たちのいのちは無意味ではありません。私たちの主にある労苦は、空しいものではないのです。


この記事はテーブルトーク誌に掲載されていたものです。

スタンレー・D・ゲイル
スタンレー・D・ゲイル
スタンレー・D・ゲイル博士は、すでに引退した牧師であり、『Finding Forgiveness: Discovering the Healing Power of the Gospel』などの著書がある。