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2024年02月29日(木)
贖われた民の感謝の歌
2024年03月05日(木)
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2024年03月05日(木)

贖われた民の感謝の歌

編集者注:これはテーブルトーク誌の「神の国」というシリーズの第十三章の記事です。

詩篇107篇は神に贖われた民として、どれほど感謝すべきことがあるかを歌っています。私たちは真実な神によって深い悲劇から救われた民なのです。この詩篇が探る悲劇の深みの表面しかここでは見ることはできません。しかしこの詩篇は四つの鮮明な絵を私たちに与えます。これらの絵はたとえ話のように用いられており、神の民がどれほどの深みに自ら嵌っていったかをあらわします。

一つ目の絵は住むところもなくあてもなく彷徨っている民の絵です(4-9節)。迷子になるのはどんな時でも良くないですが、ここで表されているのは今自分がどこにいるかわかっていたとしても、いくあてのないような流浪の民です。今いるところにとどまって生きることはできません(5節)しかし、彼らには居場所がどこにもないのです。

二つ目の悲劇の絵は処刑されるのを待つ間、重労働を課せられている囚人たちの絵です(10-16節)。これは冤罪ではありません。ここにいる囚人はすべて有罪なのです。彼らを待つのは処刑と死だけです。

三つ目の絵は自ら病にかかった人たちの絵です(17-22節)。この病はなんの前触れもなくすべての人に降りかかって来るようなものではありません。この病は薬物乱用によって自分の健康を害する薬物中毒者、あるいはお酒を飲み過ぎて肝臓を破壊してしまったアルコール依存症の人が経験するような病のことです。命に関わる、必ず死に至る病なのです。

最後の絵は嵐や台風によって海で遭難している者たちの絵です(23-32節)。完全に強風と荒波のなすがままの状態です。状況は船乗りである彼らの技術を超越しており、機転も活力も完全に尽きています(26-27節)。

これらの鮮烈な絵は、自ら掘ってしまった深く暗い墓穴の中から自分を救うことができない、全く希望のない流浪のものたちを表しています。しかしこれらの失われた魂について一つ繰り返される言葉があります。「この苦しみのときに彼らがに向かって叫(んだ)」(28節)。希望も力もない者たちは、契約の神が唯一の救いの望みだと気がつくのです。全員が神に信頼し神の名を呼び、同じ栄光に満ちた応えを体験するのです。「主は彼らを苦悩から救い出された」のです(28節)。

あなたがどんな苦悩を経験しているかはわかりません。しかし私たちは全員自分の罪によって自ら墓穴を掘っていることは知っています。イエス・キリストという契約の主を備えてくださった神がほめたたえられますように。キリストは、私たちが自分で作り出した苦悩の淵からでも呼び求めることができ、私たちをそこから引き上げて救ってくださいます。キリストは失われた者、罪ある者、病ある者、沈みつつある者を救うことができます。私たちはキリストに完全に信頼することができます。キリストは良きお方であり、その恵みはとこしえまで変わることがないからです。この神が私たちの神であること(1節)に感謝し、いつもこの神の驚くべき愛に心を留めよう(43節)ではありませんか。


この記事はテーブルトーク誌に掲載されていたものです。

ウィリアム・C・ゴッドフレー
ウィリアム・C・ゴッドフレー
ウィリアム・C・ゴッドフレー師はカリフォルニア州サンティーにあるChrist United Reformed Churchの牧師である。