ヨハネの黙示録3章20節
2022年12月15日(木)
変わることのない福音
2022年12月22日(木)
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あらゆる慰めに満ちた神

編集者注:これはテーブルトーク誌の「この聖句って本当はどういう意味?」というシリーズの第十三章の記事です。

あなたは正しく苦しんでいますか。私は神の子とされた者ですが、正しく苦しむのは得意ではありません。私たちは皆この領域において成長する必要があると信じています。

神の子どもとされた者として、私たちはさまざまな理由で苦しみを受けます。第一に、アダムの罪のせいで、私たちは堕落した世界において苦しみを受けます。神の摂理的な鉄拳は、神への悔い改めと、イエス・キリストへの信仰へと私たちを誘導するためのものです(ローマ2:1-5; 8:18-39)。第二に、私たちは、私たちの罪深い思い、欲望、言葉、行動の結果、苦しみを受けます(一ペテロ4:12-19)。罪には必ず結果があります。しかし、神のあわれみと愛は私たちを良き牧者の下へと呼び戻します(2:18-25; 一ヨハネ1:5-2:2)。最後に、私たちは世と悪魔の攻撃の対象として苦しみを受けます。私たちはキリストと結ばれているからです。

私たちが苦しむ時、その原因が何であれ、私たちは痛みを経験します。ボディーブローをくらった時のように、息ができなくなります。聖霊という息吹きが私たちのうちから完全に吐き出されてしまうかのようです。私たちには何が必要なのでしょうか。あらゆる慰めに満ちた神に私たちを支えていただき、慰めていただき、御霊に息を吹き返していただかなければなりません。神の慰めは悲しみと苦悩を和らげます。また、私たちを力づけ、必要ならば悔い改めへと導きます。

旧約聖書は私たちの慰めの土台を築きます。ソロモンは虐げられている者には守護者がなく、邪悪な者が力を持っているように見えると言いますが、この空しさは決定的ではありません。羊飼いは神の子どもを気にかけるからです(詩篇23; 50; 52; 65; 70; 82; 119)。神のことばは神の子どもを慰めます。捕囚という懲らしめの後、神はご自身の民を慰められる、と預言者たちは言います(イザヤ12:1;  22:4;  51:3, 19; ゼカリヤ1:7)。良い知らせとは、神がご自身の民を慰められるということです(イザヤ40:1-5)。ナザレの会堂での説教で宣言されたように、イエスはこれらの約束(イザヤ61:1-4)を成就されます(ルカ4:16-21)。神の慰めは、良い羊飼いであるイエスにおいて完全になるのです(ヨハネ10:1-21)。

この慰めは、新約聖書において、一点の曇りもなく明らかです。新約聖書全体を通して慰めを得ることができますが、今はコリント人への手紙第二1章のパウロの言葉に注目しましょう。パウロはあなたと私を合わせた以上の苦しみを受けましたが、神は彼を慰められました(二コリ4:7-12; 6:3-10; 11:16-12:10 )。コリント人への手紙第二1章3-11節を読んでください。パウロは神を祝福し、神の二つの特徴に焦点を合わせています。第一に、神はあわれみの父です。私たちの天の父は、心の優しい方であり、冷酷な方ではありません。苦しみや痛みの中にあっても、私たちにあわれみを注いでくださいます。これはシナイ山でモーセに語られた素晴らしい自らについての記述(出エジ34章)よりも優れています。主は石、蛇、さそりではなく、パン、魚、卵-そして御霊さえも-与えてくださいます(マタイ7:7-11; ルカ11:9-11)。

第二に、神はあらゆる慰めに満ちた神です。神はすべての苦難の中にあって私たちを慰めてくださいます。私たちが価しないあわれみをかけてくださるだけでなく、二つの目的のために慰めを注いでくださいます。一つ目は、私たちを慰めてくださるのは、私たちが慰められたのと同じ憐れみ深い慰めで今度は他の者を慰めることができるように、です。これは隣人を自分自身のように愛することです。

厳しく、耐え難い苦難と摂理的な鉄拳の二つ目の目的は、己への自信と自力本願を殺し、よみがえりの神へ確信と信頼を移すことにあります。これは、死の影の谷で自分のうちにあるすべてのもので神を信頼することです。これらの二つの目的-御父の慰めで他の者を慰め、苦難を乗り切るために御父の超自然的な力に信頼すること-は御霊が私たちの息を吹き返してくださる時に、再び呼吸できるようになるのを助けてくれるはずです。

苦難や辛い摂理に打たれる時、御霊が離れていかれたと感じる時、私たちは何が必要なのでしょうか。そうです。御霊が慰めてくださる時、慰めてくださる御父の約束にしがみつく必要があります(使徒9:31)。御父は心優しいのです。何という慰めでしょう。私たちは、恵みの王座の前に進み出て良いのです。

最後にもう一つ。パウロは、自分がイエスに倣うように、私たちもパウロに倣う者になってほしいと願っています(一コリ11:1; 一テサ1:6)イエスは新しい契約の仲介者です。また新たな契約における信実な奉仕の模範でもあります(一ペテロ2:18-24)。イエスは注がれた御霊を通して、御父の憐れみと慰めを私たちに与えてくださいます。イエスは私たちの信実で憐れみ深い大祭司です(ヘブル2:14-18; ウエストミンスター大教理問答55問参照)。イエスは、他の誰よりも、私たちに同情できる方です。イエスも苦しみを受け、その苦しみの中で誘惑を受け、しかし罪を犯さなかったからです(ヘブル4:14-16)。イエスは苦しみから学ばれました(5:7-10)。信仰の創始者、そして完成者としてイエスを求める必要があります(12:1-11)。イエスは私たちを御父の元へ連れて行ってくださいます(ヨハネ17章)。御父の慰めは新しい契約の主たる祝福です。

苦しみを共に受けている親愛なる皆さん。苦しみを無駄にしないようにしましょう。正しく苦しみましょう。パウロのように苦しみましょう。イエスのように苦しみましょう。自分に頼るのではなく、死者をよみがえらせる、慰めの御父により頼むためです。御父から受けた同じ慰めで他の者を慰めるためです。御父の栄光のために苦しむことができるように祈りましょう。

これらの祝祷を受け取りましょう。

 主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。(二コリ13:14)

どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、永遠の慰めとすばらしい望みを恵みによって与えてくださった方ご自身が、 あなたがたの心を慰め、強めて、あらゆる良いわざとことばに進ませてくださいますように。(二テサ2:16-17)

アーメン。


この記事はテーブルトーク誌に掲載されていたものです。

ジョージ・C・スキピオーネ
ジョージ・C・スキピオーネ
ジョージ・C・スキピオーネ博士は、ピッツバーグにある、Reformed Presbyterian Theological Seminaryで牧会カウンセリングの非常勤教授であり、著書に「The Battle for the Biblical Family」と「Timothy, Titus and You」がある。