完全なる明け渡し
2023年01月04日(木)
中心がずれていませんか?
2023年01月10日(木)
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神のさばきと憐み

編集者注:これはテーブルトーク誌の「福音書」というシリーズの第八章の記事です。

この記事を通して何を語るべきかを考え始めると、二つの方向に引っ張られる自分に気付きました。最初に私を突き動かしたのは、私たちの世代が目の当たりにしてきた霊的な衰退への嘆きと、次の世代にはその衰退に立ち向かい、絶え間ない信仰と勇気をもって戦いを続けてほしいという訴えでした。しかし、そのことを思い巡らしていると、このような暗雲に覆われた逆境の時代においても、なおも成し遂げられる神の驚くべき恵みの御業に感謝をささげることこそが正しいことのようにも思えます。もしかしたら、私はこの両方向に同時に足を進めることができるのかもしれません。

私が福音宣教の働きに就いてから、早くも50年が過ぎました。神学生だったとき、そして牧師としてまだ若かったとき、私たちの多くは教会の中で起こっていることに焦りを感じていましたが、同時に私たちは霊的覚醒の寸前に立っているのだとも信じていました。そのような聖霊によるムーブメントが起これば、自由主義神学の残骸は拭い去られ、低迷する教会を聖書の信仰に立ち返らせ、数えきれないほどの人が回心するだろうと期待していたのです。しかし、この希望がほとんど実現しないままであることについては、証拠を示すまでもないでしょう。

1960年代、オランダとイギリスに何年か滞在していた間、私は新しい視点を得ました。当時、これらの国では、大西洋のこちら側では考えられないほどキリスト教の証しが堕落していました。ヨーロッパの多くの人々は、アメリカの教会に羨望と軽蔑のまなざしを向ける傾向があったようです。それは、アメリカの信仰生活がまだ活気に満ちていることへの羨望と、現代の生活や思想との現実を彼らがいまだ受け入れていないことへの軽蔑でした。それ以来、アメリカにおけるキリスト教の立場は劇的に変わりました。そして、私たちには無縁だと傲慢にも思われていた衰退が、あちこちで見られるようになってきたのです。

このような事態を単純に説明することはできませんし、私たちは歴史的な視点を持ち続けなければいけません。聖書の時代においても、またその後何世紀にも渡って、同じような不毛の時代がありました。神はそのような時代に改革やリバイバルを起こし、憐れみをもって介入しておられます。過去も現在も、自分は賢いと信じて疑わない人々がクリスチャンの「何でも鵜呑みにする」姿を軽蔑し、福音など真剣に取り扱うに値しないとたびたび主張してきました。しかし、不信仰の砂漠には、「神などはいない」と信じて人に言いふらす愚か者の白くなった骨がそこらじゅうに散らばっているのです。

また、私たちは「主のことばを聞くことの飢饉」(アモス8:11)という名の神の裁きのもとに生きているのかどうかについても考えるべきです。このような神の裁きは、多くの教派内で蔓延する腐敗に対するものでしょうか? これらの教派は、かつて確固とした信仰を証ししていたにも関わらず、教理的、神学的、道徳的混乱に陥っています。形式的には正統派であり続けている教会でさえ実りがないのは、神の不服の表れなのでしょうか? 今日キリスト教の信仰と呼べるものは、親から受け継いだ表面的な信仰で、知識や信仰や熱意に欠けたものだと評するのは、決して私だけではないはずです。

しかし、これを書いている私は窮地に陥っているのではありません。現在の混乱が幻滅や失望を起こしているのではないのです。それどころか、もし私たちに見る目があるなら、感謝や希望を抱く根拠はたくさんあります。そのうちのいくつかを紹介しましょう。

私たちは、キリスト教の書籍や雑誌が手に入るこの現状に感謝すべきです。1958年、Banner of Truth Trustが出版した最初のうすい書籍のシリーズが私たちの神学校の書店の棚に並んだ時のことを、昨日のことのように覚えています。この小さなシリーズの出版こそが、世界中の出版社から文学が一気に激流となって世に溢れ出る前触れとなったことを、誰が予測し得たでしょうか。改革者たち、ピューリタン、そしてその後継者たちの著作は、歴史的に前例のないほど数多く復刻されました。さらに、それらを土台として、聖書の教えを探求し私たちの実生活に適用できる書籍が、多く出版されています。

ですから、私たちは熱心で誠実な福音の説教者たちに感謝すべきです。ヨーロッパ、カナダ、アメリカの歴史的なキリスト教会が崩壊している一方で、福音はなおも私たちの国や世界の多くの地域で力強く宣べ伝えられています。実際に教会間の繋がりが引き伸ばされ、時に壊れること自体が、その命が本物であることのしるしなのです。勇敢な指導者によって分断の線引きがなされてきました。彼らは、教団教派に対する忠誠心より、神への服従の道を選んだのです。今、私たちはアフリカ、アジア、南米で力強い成長の時を迎えています。この事実から目を離してはいけません。

福音の灯火が明るく燃える、強くたくましい会衆に、私たちは感謝すべきです。彼らの中には、真理を「感情」に置き換えることなく、他のいかなる事柄よりも神への誠実を大切にし、主の日を常に尊び、聖書の戒めに従って喜んで礼拝する者が多くいます。そして、救いの信仰をもってキリストに導かれる人々(選民)が起こされているのです。

最後に、何よりも私たちが感謝すべきは、この宇宙も、この世界も、そして教会も、すべてが主権者である神の御手のうちにあるということです。神の目的は欠けるところがなく、そのご計画は日々成し遂げられ、救い主の死による命を得るべきすべての人々をご自身のもとに導かれます。そしてこの主権者である神は、最後にすべての賛美と栄光を受けるお方なのです。


この記事はテーブルトーク誌に掲載されていたものです。

ジョン・R・デウィット
ジョン・R・デウィット
ジョン・R・デウィット博士は、およそ60年間牧師として仕えた。彼はBanner of Truth誌の副編集長、またヘルマン・リダーボス著『Paul: An Outline of His Theology』の翻訳者。著書に『What is the Reformed Faith?』などがある。