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都上りの歌の読みかた


都上りの歌は、詩篇第五巻に収められた十五篇の詩篇(詩篇120-134篇)からなるものです。都へ「上る」歌とある通り、この詩篇集は、過越の祭り、七週の祭り、仮庵の祭りという年3回の巡礼祭のためにエルサレムを訪れるイスラエルの人々が、その道中で愛唱した歌でした(出エジ23:14-17; 申命16:16参照)。

私たちもまた、信仰の先祖たちと同様に、巡礼の旅の途上にあります。私たちの旅路は、この堕落した世界を通り抜け、新しいエルサレムを目指すものです。困難や、時には危険をも伴うこの旅路において、この詩篇集は私たちに知恵ある導きと豊かな霊的養いを与えてくれます。

では、この詩篇集が私たちの旅路の中で読まれるべきものであるなら、私たちはどのようにこれらを読むべきでしょうか。この記事では、その第一歩を踏み出すための五つの指針を紹介します。

1. 各詩篇を繰り返し読み、その基本的な構造を知る

これらの詩篇はヘブル語の詩文として書かれています。ですから、まずはこの文学形式を読み解くための基本原則を身につけることが大切です。その詩篇に見られる並行構造や、その他さまざまな各行の構造関係の特徴を理解することで、それぞれの詩篇の基本的な意味が見えやすくなるでしょう。これらの原則についてさらに詳しく学びたい方は、マシュー・H・パトンの『ヘブル語の詩文の読みかた』の記事をご参照ください。

2. 詩篇に用いられている比喩表現を味わう

比喩を読み解くためには、三つの問いを意識することが必要です。一つ目は、ここで取り扱われているテーマは何か。二つ目は、詩篇の作者は、そのテーマを表すためにどのような比喩を用いているか。三つ目は、そのテーマと比喩とはどのような点で似ているのか、という問いです。

詩篇133篇では印象的な比喩が二つ登場しますが、そのテーマは「神の民が一つになること」です。一つ目の比喩は、「油」です。

見よ。なんという幸せ なんという楽しさだろう。

兄弟たちが一つになって ともに生きることは。

それは 頭に注がれた貴い油のようだ。

それは ひげに アロンのひげに流れて

衣の端にまで流れ滴る。(詩篇133:1-2)

「一つになること」がテーマで、「油」が比喩であるなら、両者はどのような点で似ているのでしょうか。ダビデがここで語っている油とは、聖なる注ぎの油のことです(出エジ30:22-38)。この油は香料を贅沢に含み、心地よい香りを残します。すなわち、神の民が一つになるとき、そこには香りの良い、心地よい空気を生み出すのです。

二つ目の比喩は「露」です。

それはまた ヘルモンから

シオンの山々に降りる露のようだ。

がそこに

とこしえのいのちの祝福を命じられたからである。(詩篇133:3)

露が草に新たな力を与え、回復させるように、信仰者たちもまた、神のみわざに対する同じ心と思いを共有するとき、霊における新たな回復を経験します。

3. イエス・キリストの啓示として読む

最初の二つの指針は、各詩篇の文学的特徴に注目するものでした。三つ目の指針は、文学的要素から神学的要素へと視点を移します。イエスはこう言われました。「わたしについて、モーセの律法と預言者たちの書と詩篇に書いてあることは、すべて成就しなければなりません」(ルカ24:44)。詩篇は、キリストについて語っています。詩篇1篇は、このことを理解するのは比較的容易です。なぜなら、イエスこそが「のおしえ」に生きる「幸い」な人であるからです。また、詩篇22篇ではイエスは見捨てられた方として、詩篇23篇では良い羊飼いとして描かれています。

では、都上りの歌の中で、イエスはどのように見出されるでしょうか。そこに見出されるのは、これらの詩篇を歌いながらエルサレムへの道を歩まれる、忠実な巡礼者の姿としてのイエスです。救い主は、12歳のときに初めて過越の祭りのためにエルサレムへ上って以来(ルカ2:41-51)、定期的に巡礼祭を守られました(ヨハネ2:13; 6:4; 7:1-24; 13:1参照)。ご自身の十字架の時が近づいたときは、主は御顔をエルサレムに向け、過越の祭りのために進んで行かれました(ルカ9:51)。イエスはご自分の忠実さが自らを苦難と死へ導くことを知りながらも(ルカ9:21-22)、巡礼者として毅然と歩まれたのです。これらの詩篇を読むとき、イエスがどのようにこれらの詩を歌われたかを思い巡らしましょう。また、これらの詩篇を歌う私たちが、どのようにイエスのことを歌うように促されているかを問いかけてみてください。

4. 詩篇の文脈を学んだら、適用に意識を向ける

四つ目の指針は、文学的・神学的な要素から、さらに個人的な適用へと焦点を動かします。聖なる都へ向かうイスラエルの巡礼者の立場に身を置き、次のような問いを自分自身に投げかけてみましょう。

  • 新しいエルサレムへの旅路を歩む忠実な巡礼者とは、私にとってどのような者になることを意味するか。
  • 旅の中で出会う困難に対して、私はどのように対処すべきか(詩篇121:1参照)。
  • 礼拝への期待と、喜びに満ちた礼拝への参加は、私の人生の中でどのように見出されるべきか。

5. これらの詩篇に描かれる、神の民の共同体としての役割を味わう

イスラエルの民が祭りのためにエルサレムに旅をするとき、彼らは集団で旅をしました。マリアとヨセフが過越の祭りからナザレに戻る途中、イエスが見当たらないことを心配しなかったのも、イエスが一行の中にいるものと思って、彼らと一緒に北の方へ向かっているだろうと思っていたからです(ルカ2:43-44)。私たちもそれぞれが巡礼者ですが、この旅路を一人で歩むのではありません。だからこそ私たちは、互いを励まし合い(詩篇122:1)、ともに旅をする兄弟のことを気にかけ(詩篇122:8)、誰もが困難に直面することを認め(詩篇123:2-4)、ともに歩む同志が与えられている喜びを深く味わうことを学ぶべきです(詩篇133篇)。


この記事はリゴニア・ミニストリーズブログに掲載されていたものです。

 

レット・P・ドッドソン

レット・P・ドッドソン

レット・P・ドッドソン博士は、オハイオ州ハドソンにあるGrace Presbyterian Churchの主任牧師。著書に『Marching to Zion』『With a Mighty Triumph』などがある。