
サムエル記第一・第二について知っておくべき三つのこと
2024年08月09日(木)
詩篇について知っておくべき三つのこと
2024年08月11日(木)列王記第一・第二について知っておくべ三つのこと

1. 列王記は捕囚の時代に書かれた書物で、なぜイスラエルとユダが捕囚の民となったのかが説明されている
ヘブライ語聖書の列王記(列王記第一・第二を合わせたものと理解される)は、前預言書(ヨシュア記、士師記、サムエル記、列王記)の最後の書にあたります。これらの書物は、民が神の約束の地に足を踏み入れてから、アッシリアとバビロンによる捕囚の間その土地から追放されるまでの、イスラエルの歴史が記されています。列王記が最終的なかたちで執筆されたと考えられるのは、エホヤキン王が牢獄から解放された紀元前561年です(二列王25:27)。列王記には捕囚からの帰還については触れられていないため、おそらくバビロン捕囚の後半のある時点で書かれたと考えられています。
列王記は神学的歴史であり、神がなぜご自身の民を異邦人の国に引き渡されたのかを説明しています。答えは何度も繰り返されています。ソロモン治世の後、王国が分裂し、その後神の民と指導者たちは「主の目に悪であることを行い、彼らが犯した罪によって、その先祖たちが行ったすべてのこと以上に主のねたみを引き起こし」ました(一列王14:22)。敬虔な王が時として起こされることもありましたが、その子孫はイスラエルとユダの霊的衰退を止めることはありませんでした。列王記第二17章7-23節に長く綴られる神学的注解は、列王記全体のメッセージを要約しています。「こうなった[捕囚]のは、イスラエルの子らが、自分たちをエジプトの地から連れ上り、エジプトの王ファラオの支配下から解放した自分たちの神、主に対して罪を犯し、ほかの神々を恐れ、主がイスラエルの子らの前から追い払われた異邦の民の風習、イスラエルの王たちが取り入れた風習にしたがって歩んだからである」(7-8節)。
列王記には、捕囚からの帰還について明確な約束も預言もありませんが、巻末のエホヤキンの釈放は良い結末を予示しています。申命記4章25-31節や預言書の記録にあるように、結末は確かに来ること、そしてそれが、究極的には偉大なるダビデにまさるダビデの子孫、御子イエス・キリストが来られ、そのお方がダビデの王座に永遠に着座されるとき、実現することがわかります。
2. 列王記は王に関することだけではなく、預言者についても言及される
イスラエルの王政の台頭は、健全な理由で預言者職の開花をもたらします。反逆的な王は神の警告のことばに聞く必要があり、敬虔な王は神の励ましのことばに聞く必要があるからです。列王記全体を通して、数々の預言者が助言、戒め、警告、そして将来の預言を告げてきました。それはイスラエルの指導者たちが(そして読者たちが)、神のことばこそイスラエルの最高の権威かつ権力であることを思い起こさせるためでした。
物語の中では、名前のある者・ない者含め、多くの預言者たちが重要な役割を担っていますが、その中心に立つのはエリヤとエリシャです。彼らはアハブの家が治めていた時代(イスラエルの最も深い背教の時代)に神によって起こされた預言者で、特に北王国に神と神のことばに立ち返るよう呼びかける働きを担いました。この敬虔かつ勇気ある二人の預言者は、サムエルが預言者として働いていたときに初めて集められた「預言者の仲間」のリーダーでした。エリヤとエリシャによって告げられることばと奇跡のわざは、イエスの宣教のことばとわざを予示しています。イエスはモーセにまさる預言者として、申命記18章で預言されています。
3. 列王記第一19章に登場するエリヤは、恐れに満ちた自己憐憫的な預言者ではなかった
多くの注解者は、この章に出てくるエリヤについて、イゼベルを恐れて神を信じず逃げる、不平ばかりの臆病者として見ています。「私はわざわいだ」と主に訴えるのも、実に自己中心的のようです。しかし、このエリヤの言葉に関するパウロの説明は、私たちに違った視点を与えます。「エリヤはイスラエルを神に訴えています」(ローマ11:2)。デイル・ラルフ・デイヴィス博士の注解書によると、エリヤは不信仰ゆえ逃げた、という見解はいくつかの理由に基づき否定されるべきだとされます。
- 列王記第一19章3節のヘブル語は「彼は恐れ」と読むことができますが、伝統的なマソラ本文は「彼は見て」となっています[訳註:新改訳第三版では「エリヤは恐れて」 新改訳2017では「彼はそれを知って」]。本文批評において、後者がオリジナルだったとすれば、前者の異読をよく説明できます。エリヤはカルメル山でバアルの預言者たちを打ち負かしたことが、何の成果ももたらしていないことを見た、すなわち悟ったのです(一列王18:17-40)。バアルを崇拝するイゼベルは、なおもイスラエルで主権を握っていたのです。それでエリヤは、自分自身の行く末とイスラエルの状況を神に委ねるために旅立ちました。
- 地図を見れば、エリヤの旅路は決してパニックによるものや職務放棄といったようなものではなく、目的と計画に則ったものであることがわかります。ユダ王国に留まっていても安全だったでしょう。しかし、エリヤはわざわざ南に160kmも離れたベエル・シェバまで出て行き、イゼベルから離れ、そこからさらに一日の道のりを経て荒野に入りました(一列王19:3-4)。主の使いはエリヤに食べ物を与え、旅の道のりはまだ長いからと告げ、力を得させます(一列王19:7)。その行き先はホレブ山でした。神はその場所で、エリヤの言葉を聞こうとされたのです。
- モーセとの比較は、私たちもまたパウロのようにエリヤの言葉を解釈すべきだと促します。モーセが最初に十戒を受け取ったのはホレブ山/シナイ山です。モーセが40日間の断食をしていたとき、イスラエルは第二の戒めに背き、神がモーセの契約における執りなしを聞いたことにより、かろうじて見逃されたのです。そしてエリヤの時代、イスラエルは神の契約に対してさらに、甚だしく不信仰極まりない振る舞いをとり、イスラエル全体が異教の神々を崇めていました。エリヤが神に語ったのは、執りなしをする者としてではなく、契約の検察官として、イスラエルを訴える証拠を述べていたのです。
エリヤは決して、不安に震え、自己中心的な思いに耽っていたのではなく、イスラエルの悔い改めない頑なな心に失望し、心砕かれた預言者として、ホレブ山へ向かったのです。神はエリヤがホレブ山にいることを非難せず、むしろ憐れみ深く、正しく、落胆の中にあるしもべに近づき、イスラエルに対する契約の告発を聞かれました。主はご自分の預言者をさばきと希望のことばで励まし、エリヤの働きに新しい方向性を与えられます。このようにして、物語の次なる舞台が整えられるのです。
この記事はリゴニア・ミニストリーズブログに掲載されていたものです。
参照・Dale Ralph Davis, 1 Kings: The Wisdom and the Folly (Fearn, Scotland: Christian Focus Publications, 2008) and 2 Kings: The Power and the Fury (Fearn, Scotland: Christian Focus Publications, 2011)