
詩篇について知っておくべき三つのこと
2024年08月11日(木)
雅歌について知っておくべき三つのこと
2024年08月23日(木)伝道者の書について知っておくべき三つのこと
1. 伝道者の書は「人生は短い」と思い起こさせる
多くの人が、伝道者の書の冒頭でつまずきます。書物のテーマの提示に困惑させられるからです。欽定訳聖書(KJV、さらにその関連訳)では、そのテーマは「Vanity of vanities; all is vanity(伝道者1:1, KJV[新改訳2017「空の空。すべては空」 口語訳「空の空、いっさいは空である」]」とされています。NIV訳では「Utterly meaningless! Everything is meaningless.(まったく無意味だ! すべては無意味だ[訳者による])」、CSB訳では「Absolute futility. Everything is futile.(完全なる無益、すべては無益だ[訳者による])」とあります。すべてが空であり、無益で無意味なら、読み進める意味はあるのでしょうか? この宣言は、聖書が人生について教えるすべてのことに矛盾しているように感じられます。
しかし、問題はおそらく翻訳と、その翻訳が引き起こす期待にあるのだと思います。「空」と訳されるヘブル語(hebel)には、儚さや非永久性、すぐに過ぎ去るといった意味合いがあります。ヤコブは手紙の中でこの概念を捉えています。「あなたがたは、しばらくの間現れて、それで消えてしまう霧です」(ヤコブ4:14)。伝道者の書についてまず最初に知っておくべきことは、この書は私たちの地上での人生、太陽の下にある命は、過ぎ去るものだと教えているということです。
私たちの日数は少なく、すぐに過ぎ去ってしまいます。伝道者はこのように記しました。「一つの世代が去り、次の世代が来る」(伝道者1:4)。この概念は聖書全体を通して見られます(詩篇90:10; 103:15; ヤコブ4:14参照)。また、コリント人への手紙第二4章18節もこの概念に似ています。「私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです」 私たちの人生は、すぐに過ぎ去ります。ですから、「あなたの手がなし得ると分かったことはすべて、自分の力でそれを」すべきです(伝道者9:10)。
2. 伝道者の書は「堕落した世界に住んでいる」と思い起こさせる
伝道者の書について知っておくべき二つ目のことは、この書物は、私たちが堕落した世界に住んでいることを思い起こさせるということです。私がクリスチャンになったとき、超教派の宣教団体との関わりがあったのですが、その団体の伝道用トラクトにはヨハネの福音書10章10節が目立つように書かれてありました。「わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです」 この聖句は、私がこれから歩む道のりが、あたかも容易なものであるかのような印象を与えました。しかし、この箇所が意味していたのはそれとはまったく違っていたのです。私が新しいいのちを得ていても、この世はまだ新しく造り変えられていないことを学んでいく必要があったのです。
パウロの教えにも同じことが記されています。「被造物が虚無に服したのは、自分の意志からではなく、服従させた方によるものなので、彼らには望みがあるのです。被造物自体も、滅びの束縛から解放され、神の子どもたちの栄光の自由にあずかります」(ローマ8:20-21)。ここで「虚無」と訳されているパウロのことばは、七十人訳聖書(旧約聖書のギリシア語訳)で伝道者の書のhebelを訳すのに使われているギリシア語と同じです。
3. 伝道者の書は「堕落した世界にも喜びはある」と思い起こさせる
先ほど引用したhebelの訳は、まったく的外れではありません。私たちは、罪に汚れた世界に生きる、はかない被造物ですから、私たちの生活はときに虚無的に見えることがあるでしょう。忙しく過ごす日々も無意味に見えます。人生そのものが、空しく見えるかもしれません。もし伝道者の書が伝えようとしていることがこれだけだったなら、まさしく私たちがつまずいてしまうような書物に他ならないでしょう。しかし、伝道者の書が伝えている三つ目のことを知らなければなりません。それは、堕落した世界においても、喜びは可能であるということです。
伝道者の書がはっきりと語るのは、喜びは私たちが期待するようなところにはないということです。大きなできごとや記憶に残る瞬間などではなく、むしろ、平凡な、飾り気のない、ありふれた日々の繰り返しの中に見出されるのです。「人には、食べたり飲んだりして、自分の労苦に満足を見出すことよりほかに、何も良いことがない。そのようにすることもまた、神の御手によることであることが分かった」(伝道者2:24)。ソロモンは何度も繰り返して、このような生活の平凡な側面にこそ喜びを見出し、それを自分自身の喜びとするよう私たちに勧めています。
さらに、ソロモンはこれらが神から与えられる良い賜物であることを認識しなさいと促します。「また、人がみな食べたり飲んだりして、すべての労苦の中に幸せを見出すことも、神の賜物であることを」(伝道者3:13; 伝道者5:19-20; 8:15; 9:7参照)。ヤコブもこう述べています。「すべての良い贈り物、またすべての完全な賜物は、上からのものであり、光を造られた父から下って来るのです。父には、移り変わりや、天体の運行によって生じる影のようなものはありません。この父が私たちを、いわば被造物の初穂にするために、みこころのままに真理のことばをもって生んでくださいました」(ヤコブ1:17-18)。父がここで与えてくださる喜びは、来るべき喜びの前触れです。それは、もはや堕落した世界ではなく、私たちもまた、過ぎ去る存在ではなく朽ちない被造物となって、与えられる喜びです。
この記事はリゴニア・ミニストリーズブログに掲載されていたものです。
