コロサイ人への手紙について知っておくべき三つのこと
2025年05月23日(木)
ナホム書について知っておくべき三つのこと
2025年05月30日(木)
コロサイ人への手紙について知っておくべき三つのこと
2025年05月23日(木)
ナホム書について知っておくべき三つのこと
2025年05月30日(木)

ペテロの手紙第二について知っておくべき三つのこと


1. 使徒ペテロは教会に対して、偽りの教えの危険性とそこから生み出される不敬虔を警告している

ペテロは偽教師たちの名前を挙げてはいないものの、ペテロの手紙第二2章1-3節の記述から、彼らがかつてはクリスチャンを自称し、その信仰から離れた者たちであったことがわかります。ペテロは彼らが滅びをもたらす異端を持ち込み、自分たちを「買い取ってくださった」主を否定し、多くの信仰者たちを惑わして主を冒涜する者である、と説明しています。偽りの教理は必ず罪深い行動をもたらします。彼らの背教行為のために、神のさばきは必ず彼らの上に下されます。

ペテロが与えているいくつかの手がかりを見ると、これらの人々がパウロの手紙を悪用し、不法な行いを正当化していた可能性が見受けられます。ペテロは、この手紙の2章19節でこのように書いています。「その人たちに自由を約束しながら、自分自身は滅びの奴隷となっています」 また3章15-16節でも、続けて、パウロの送った手紙は「理解しにくいところがあり……無知な、心の定まらない人たちは、聖書の他の箇所と同様、それらを曲解して、自分自身に滅びを招きます」と記しています。どうやらパウロの手紙の内容は使徒の時代に歪められていたようです。これは、私たちの時代においても起こっていることです。

2. ペテロはこの手紙の読者を、信仰を通して神の御前で義と認められる者として語っている

ペテロはこのように書いています。「私たちの神であり救い主であるイエス・キリストの義によって、私たちと同じ尊い信仰を受けた方々へ」(二ペテロ1:1)。このような信仰を受けることは、イエス・キリスト——神の義の源であられる方——を通して神によって与えられる賜物です。すなわち、信仰は受けるものです(エペソ2:8-9)。そのような信仰が与えられている者はみな、「私たち」(使徒たち)と同じ信仰を持っているとされます。信仰者は、信仰という手段を通して、イエス・キリストによって、神の御前で義と認められるのです。そしてこのイエス・キリストは神であると、ペテロは私たちに教えています。

この神の御前の義は、ペテロの手紙第二全体を通して、不義と対比されています。不義の者は、偽教師たちと彼らに追従する者たちです。彼らはかつて義の道を知り、ペテロや他の使徒たちによって語られた福音を信じると告白しましたが、そこから再び離れてしまいました。ペテロは、この偽教師たちを「義を宣べ伝えたノアたち」と比較し(二ペテロ2:5)、彼らはもはや義の道を知らないほうがよかったと記しています(二ペテロ2:21)。信仰という賜物を受けることが、義なる者と、真理を離れたために避けられない神のさばきに直面する者とを区別します。ペテロはこれを、非常に重大な問題として、この手紙の2章全体を通して指摘しています。

3. ペテロは私たちに偽教師たちによるイエスの再臨の否定を知らせている

ペテロはすでに、山の上での主の変容において主の栄光を目撃したことを伝えています(二ペテロ1:16-21)。この出来事が、ペテロにとって主の約束に対する確信の基盤となっています。

ペテロの手紙第二3章3-7節で、ペテロは読者に次のように警告しています。

終わりの時に、嘲る者たちが現れて嘲り、自分たちの欲望に従いながら、こう言います。「彼の来臨の約束はどこにあるのか。父たちが眠りについた後も、すべてが創造のはじめからのままではないか。」

ペテロはこう注意しています。大昔に存在した世界(ノアの時代)は「水におおわれて滅びました。しかし、今ある天と地は、同じみことばによって、火で焼かれるために取っておかれ、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日まで保たれているのです」

主の再臨に関する混乱は、初代教会のあいだでよく起こっていましたし(パウロによるテサロニケ人への手紙第一・第二には終わりの日に関する疑問や答えが記されています)、私たちの時代にも同じことが言えます。イエス・キリストの再臨に関して、聖書の預言の学識者と呼ばれる人々があまりに突飛で無責任な予測を提言するため、未信者たちはもはや、イエスが死者をよみがえらせ、世界をさばき、すべてを新しく造りかえるために戻って来られるという聖書の教えに耳を貸さなくなってしまいました。

この警告を聞く者たちを慰めるために、ペテロは次のことを思い起こさせています。

主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。(二ペテロ3:9-10)

ですから、ペテロが言うように、嘲る者には警告を与え、神の民は来るべき栄光に希望を抱こうではありませんか。「私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでい」るからです(二ペテロ3:13)。


この記事はリゴニア・ミニストリーズブログに掲載されていたものです。

 

キム・リドルバーガー
キム・リドルバーガー
キム・リドルバーガー博士は、Westminster Seminary Californiaの組織神学の客員教授、およびカリフォルニア州アナハイムのChrist Reformed Churchの名誉牧師。著書に『A Case for Amillennialism』やLectio Continuaシリーズの『First Corinthians』などがある。