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2025年06月20日(木)ヨハネの手紙第一・第二・第三について知っておくべき三つのこと

聖書は隠された宝に満ちています。そして、その宝のほとんどが聖書の中でも比較的小さな書物の中にあります。神のことばを真剣に読むクリスチャンの多くは、「大きな書物」(創世記、詩篇、イザヤ書、ヨハネの福音書、ローマ人への手紙、エペソ人への手紙など)にはそれなりに精通しているでしょう。しかし、私の予測ですが、ヨエル書やハガイ書、ゼパニア書、そしてヨハネの手紙三巻などのことをよく知っている人は少ないのではないでしょうか。
この短い記事を通して、ヨハネの手紙三巻についてすべてのクリスチャンが知っておくべき三つのことを考えてみたいと思います。
1. 三つの手紙は短いが、クリスチャンの霊的成長と成熟のために重要な役割を果たしている
40年にわたる牧会経験から、私はクリスチャンが聖書をひと昔前の世代ほど良く知っていないようだということを学びました。聖書に対するリテラシーと聖書講解的な説教は、かつてほど一般的ではなくなっています。忠実な信仰者でさえ、その集中力が持続する時間は時代の影響を受けていると言わざるを得ません。今の文化に合うようにと努める良い意図が、講解説教よりもトピック中心の説教が多く語られる結果を生んでいます。これらすべてが、聖書全体の本来の幅広さと深さに通じる神のことばの知識をクリスチャンから奪ってしまっているのです。
パウロはテモテに、このように伝えています。「聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです」(二テモテ3:16-17)。パウロはこの真理を、この若い「神の人」テモテに強調して教えました。それはテモテが神によって記されたことば全体を大切にし、彼の人生と宣教の働きが神のことばによって形造られるためでした。テモテにとって真理であったことは、当然すべてのクリスチャンにとっても同様に真理であるはずです。
ですから、私たちはヨハネの手紙第一・第二・第三を知っておかなければなりません。それは私たちが義の訓練を受け、完全なクリスチャンとなり、すべての良い働きにふさわしくなるためです。
2. ヨハネの手紙三巻には、教会の純潔、平和、そして宣教を脅かしていた異端に対して書かれたという暗い背景がある
このような異端はヨハネの時代に初めて現れたものではありません。。サタンは異端の教えを定期的によみがえらせ、キリストの教会を軌道から外し、自らのことに夢中にさせ、教会の福音の信頼性を奪おうとします。ヨハネは最初の手紙の冒頭で、このように書いています。
私たちがキリストから聞き、あなたがたに伝える使信は、神は光であり、神には闇が全くないということです。もし私たちが、神と交わりがあると言いながら、闇の中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであり、真理を行っていません。もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。もし罪を犯したことがないと言うなら、私たちは神を偽り者とすることになり、私たちのうちに神のことばはありません。(一ヨハネ1:5-10)
「もし私たちが……と言うなら」と三度繰り返されていることに注目してください(一ヨハネ1:6, 8, 10)。なぜヨハネはこのように書く必要を感じたのでしょうか? それは教会の中に、神と交わりがあると言いながら闇の中を歩んでいる人がいたからです。この手紙では後に、2章19節でヨハネはこう記しています。「彼らは私たちの中から出て行きましたが、もともと私たちの仲間ではなかったのです」 忠実な牧会者として、ヨハネは「私の子どもたち」と呼ぶ人々に対し、偽りの教えに気をつけるよう警告を与えています。「神は光であり、神には闇が全くないということです」(一ヨハネ1:5; あわせて一ヨハネ2:22; 4:1-3も参照)。
ヨハネの手紙第二・第三では、「子どもたち」を誤りから守り導こうとする使徒ヨハネの想いがさらに強く見られます。ヨハネの手紙第二7節にはこう書かれています。「こう命じるのは、人を惑わす者たち、イエス・キリストが人となって来られたことを告白しない者たちが、大勢世に出て来たからです。こういう者は惑わす者であり、反キリストです」 ヨハネの手紙第三9節では、ヨハネは「かしらになりたがっているディオテレぺス」という特定の人物までをも取り上げて、「子どもたち」に警告を与えています。悪しき教理が神の民の生活を腐敗させるのと同じように、悪しき人格も同様に致命的であることを、ヨハネはよくわかっていたのでしょう。
3. ヨハネの手紙三巻は、すべての福音の教師はもちろん、すべてのクリスチャンのうちに見出されるべき愛と憐れみと励ましの模範を示している
神を崇め羊を養う宣教の働きは、正確で正統な説教だけでなく、豊かな憐れみと励ましと優しさに根ざしているものです。ヨハネがこの手紙を受け取る人々のことを「子どもたち」と繰り返し呼ぶのが印象的です(一ヨハネ2:1, 12, 28; 3:18; 4:4; 5:21)。ヨハネの「子どもたち」への教えは、彼らへの愛から流れ出たものです。私たちの多くの教会の人々も、牧師が彼らを心から気にかけ、いのちそのものよりも彼らにとって良いことを大切にしていると知り、そう実感することができれば、教会はどれほど違ったものになるでしょうか。
ヨハネの手紙三巻は福音の宝です。ぜひ読んで、思い巡らしてください。むしろ暗記するほど読み込んでいただきたいと思います。そうすれば、あなたは私たちの主の恵みのうちに成長し続けることができるでしょう。
この記事はリゴニア・ミニストリーズブログに掲載されていたものです。