ウェストミンスター大教理問答書

(Westminster Larger Catechism)

1  序説  人生と聖書

  1 人生の目的

問1 人間のおもな、最高の目的は、何であるか。

答 人間のおもな、最高の目的は、神の栄光をあらわし(1)、永遠に神を全く喜ぶことである(2)。

    1 ロマ11:36、Ⅰコリント10:31

    2 詩73:24-28、ヨハネ17:21-23

  2 神を知る道としての聖書

問2 神の存在は、どのようにしてわかるか。

答 人間のうちの本性の光そのものと、神のみわざが、神の存在を明らかに示す(1)。しかし、神のみ言葉とみたまのみが、人間の救いのために、十分に、また有効に神を啓示する(2)。

    1 ロマ1:19,20、詩19:1-3(2-4)、行伝17:28

    2 Ⅰコリント2:9,10、Ⅱテモテ3:15-17、イザヤ59:21

  3 聖書とは何か

問3 神のみ言葉とは、何であるか。

答 旧・新約聖書が、神のみ言葉(1)、信仰と服従のただ一つの規準である(2)。

    1 Ⅱテモテ3:16、Ⅱペテロ1:19-21

    2 エペソ2:20、黙示22:18,19、イザヤ8:20、ルカ16:29,31、ガラテヤ1:8,9、

     Ⅱテモテ3:15,16〔第二問2を見よ〕(*)

     * Ⅱテモテ3:15,16,17が正しい(1648年版より)。

      〔〕内は、英語版が、聖書が直接引用されていたため記されていたが、ここでは必要ない。

問4 聖書が神のみ言葉であるということは、どのようにしてわかるか。

答 聖書は、その威厳(1)と、純正さ(2)、すべての栄光を神に帰する(3)全部分の一致(4)と全体の視野、罪人に罪を自覚させ、回心させ、信者を慰め、強くして救いにいたらせる(5)、その光と力によって、自ら神のみ言葉であることを示す。しかし、聖書によって、聖書と共に、人間の心のうちにあかしされる神のみたまのみが、それが神の真のみ言葉であることを、十分に納得させることができる。

    1 ホセア8:12、Ⅰコリント2:6、7、13、詩119:18、129

    2 詩12:6(7)、119:140

    3 行伝10:43、26:22

    4 ロマ3:19、27

    5 行伝18:28、ヘブル4:12、ヤコブ1:18、詩19:7-9、ロマ15:4、行伝20:32

    6 ヨハネ16:13、14、Ⅰヨハネ2:20、27、ヨハネ20:31

問5 聖書はおもに何をえるか。

答 聖書はおもに、人間が神について何を信じなければならないか、また神が人間に求められる義務は何であるか、を教える(1)。

    1 Ⅱテモテ1:13

2  信仰篇(使徒信

 人間は、神について何を信じなければならないか。

  1 総   説

問6 聖書は、神について何を知らせるか。

答 聖書は、神とはどのような方であるか(1)、神における人格(2)、神の聖定(3)、また聖定の遂行(4)を知らせる。

    1 ヘブル11:6

    2 Ⅰヨハネ5:17(*)   *Ⅰヨハネ5:7が正しい

    3 行伝15:14、15、18

    4 行伝4:27、28

  2 神と三位一体

問7 神は、どのような方であるか。

答 神は霊であり(1)、存在(2)、栄光(3)、祝福(4)、完全(5)、において自存無限、充足(6)、永遠(7)、不変(8)、知り尽せない(9)、どこにもおられる(10)、全能(11)、全知(12)、最も賢く(13)、最もきよく(14)、最も正しく(15)、最もあわれみあり、恵みあり、怒ることおそく、いつくしみとまこととの豊かな方(16)である。

    1 ヨハネ4:24

    2 出エジプト3:14、ヤコブ11:7-9(*)   *ヨブ11:7-9が正しい

    3 行伝7:2

    4 Ⅰテモテ6:15

    5 マタイ5:48

    6 創世17:1

    7 詩90:2

    8 マラキ3:6、ヤコブ1:17

    9 列王上8:27

    10 詩139:1-13

    11 黙示4:8

    12 ヘブル4:13、詩147:5

    13 ロマ16:27

    14 イザヤ6:3、黙示15:4

    15 申命32:4

    16 出エジプト34:6

問8 ひとりの神のほかにも、神があるか。

答 ひとりの神のみがおられる。それは、生けるまことの神である(1)。

    1 申命6:4、Ⅰコリント8:4、6、エレミヤ10:10

問9 神には、いくつの人格があるか。

答 神には、三つの人格がある。それは、父と子と聖霊であって、これらの三つは、人格的固有性によって区別されるけれども、本質において同一であり、力と栄光において同等な、ひとりの、まことの、永遠の神である(1)。

    1 Ⅰヨハネ5:7、マタイ3:16-17、28:19、Ⅱコリント13:14(*)、ヨハネ10:30

        *欽定訳が、Ⅱコリント13:14であり、日本語訳ではⅡコリント13:13。

問10 神の三人格の人格的固有性は何であるか。

答 子を生むことは、父に固有であり(1)、父から生まれることは、子に固有であり(2)、永遠から父と子から出ることは、聖霊に固有である(3)。

    1 ヘブル1:5、6、8

    2 ヨハネ1:14、18

    3 ヨハネ15:26、ガラテヤ4:6

問11 子と聖が、父と等しい神であることは、どのようにしてわかるか。

答 聖書が、神のみに固有であるみ名(1)、属性(2)、みわざ(3)、礼拝を(4)、子と聖霊に帰して、彼らが父と等しい神であることを表わしている。

    1 イザヤ6:3、5、8、(ヨハネ12:41、行伝28:25と比較)(*)、

     Ⅰヨハネ5:20、行伝5:3、4

        *イザヤ6:3,5,8をヨハネ12:41、行伝28:25と比較

    2 ヨハネ1:1、イザヤ9:6、ヨハネ2:24、25、Ⅰコリント2:10、11

    3 コロサイ1:16、創世1:2

    4 マタイ28:19、Ⅱコリント13:14(*)

        *欽定訳が、Ⅱコリント13:14であり、日本語訳ではⅡコリント13:13。

  3 神の聖定

問12 神の聖定とは、何であるか。

答 神の聖定とは、神のみ旨の計画(1)の、賢く、自由な、きよい決定であり、それによって神は、永遠から、ご自身の栄光のために、なにごとによらず時間の中に起こってくるすべてのこと(2)、特に、み使と人間に関することを、不変に予定された。

    1 エペソ1:11、ロマ11:33、9:14、15、18

    2 エペソ1:4、11、ロマ9:22、23、詩33:11

問13 神は、み使と人間について、特に何を聖定されたか。

答 神は、永遠不変の聖定によって、彼の全くの愛から、その栄光ある恵みがたたえられるため、定められた時に現わされるように、あるみ使を栄光に選び(1)、またキリストにあって、ある人間を永遠の生命と、それへの手段に選ばれた(2)。また、彼の主権的み力と、(それによってみ心のままに愛顧を施したり、差控えたりなさる)ご自身のみ旨の測り知れない計画に従って、その正義の栄光がたたえられるように、残りの者を見捨て、彼らの罪に対して加えられる恥と怒りにあらかじめ定められた(3)。

    1 Ⅰテモテ5:21

    2 エペソ1:4-6、Ⅱテサロニケ2:13、14

    3 ロマ9:17、18、21、22、マタイ11:25、26、Ⅱテモテ2:20、ユダ4、Ⅰペテロ2:8

問14 神は、どのようにその聖定を行されるか。

答 神は、その誤ることのない予知と、ご自身のみ旨の自由で不変な計画に従い、創造と摂理のわざにおいて、その聖定を実行される(1)。

    1 エペソ1:11

  4 創造

問15 創造のわざとは何であるか。

答 創造のわざとは、神がはじめに、その力あるみ言葉によって、無から世界とその中にあるすべてのものを、ご自身のために、六日間に、すべてはなはだ良く造られたことである(1)。

    1 [創世1章](*)、ヘブル11:3、箴言16:4   *括弧は不要

問16 神は、どのようにみ使を創造されたか。

答 神は、すべてのみ使を(1)、死ぬことなく(2)、きよく(3)、知識においてすぐれ(4)、力において強い(5)、霊(6)として、神の命令を実行し、み名を賛美し(7)、しかも変化しうるように(8)、造られた。

    1 コロサイ1:16

    2 マタイ22:30

    3 マタイ25:31

    4 サムエル下14:17、マタイ24:36

    5 Ⅱテサロニケ1:7

    6 詩104:4

    7 詩103:20、21

    8 Ⅱペテロ2:4

問17 神は、どのように人間を創造されたか。

答 神は、他のすべての被造物を造られたのちに、人間を男と女に創造された(1)。すなわち、男の体を土のちりから(2)、女を男の肋骨から形づくり(3)、彼らに生ける、理性のある、不死の霊魂を賦与し(4)、知識(5)と義と聖(6)とにおいてご自身の形にかたどり(7)、彼らの心にしるされた神の律法と(8)、それを成就する力とともに(9)、被造物を治める権を与え(10)、しかも堕落しうるものに(11)造られた。

    1 創世1:27

    2 創世2:7

    3 創世2:22

    4 創世2:7(ヨブ35:11、伝道12:7、マタイ10:28、ルカ23:43と比較)(*)

      * 創世2:7を、ヨブ35:11、伝道12:7、マタイ10:28、ルカ23:43と比較

    5 コロサイ3:10

    6 エペソ4:24

    7 創世1:27

    8 ロマ2:14、15

    9 伝道7:29

    10 創世1:28

    11 創世3:6、伝道7:29

  5 

問18 神の理のわざとは何であるか。

答 神の摂理のわざとは、すべての被造物に対する神の最もきよい(1)、賢い(2)、力強い保持(3)と統治(4)であり、全被造物とその全行動(5)を、ご自身の栄光のために(6)、秩序づけられることである。

    1 詩145:17

    2 詩104:24、イザヤ28:29

    3 ヘブル1:3

    4 詩103:19

    5 マタイ10:29-31、創世45:7

    6 ロマ11:36、イザヤ63:14

問19 み使にする神の理とは何であるか。

答 神はその摂理によって、ご自身の栄光のために、あるみ使らが自ら好んで、回復できないほどに罪と滅びに陥ること(1)を許し、そのことと彼らのすべての罪を限定し、配置された(2)。また、残りのみ使らを聖潔と幸福とに確立された(3)。そして、み心のままに、彼らすべてを、神の力、あわれみ、正義を行なうのに(4)用いられる(5)。

    1 ユダ6、Ⅱペテロ2:4、ヘブル12:16、ヨハネ8:44

    2 ヨブ1:12、マタイ8:31

    3 Ⅰテモテ5:21、マルコ8:38、ヘブル12:22

    4 列王下19:35、ヘブル1:14

    5 詩104:4

問20 創造されたままの態の人間にする神の理は、何であったか。

答 創造されたままの状態の人間に対する神の摂理は、彼を楽園に置き、それを耕すことを命じ、地の実を食べる自由を与え(1)、被造物を彼の支配下におき(2)、彼の助けのために結婚を定め(3)、彼にご自身との交わりを与え(4)、安息日を制定し(5)、個人的な、完全な、不断の服従を条件として、彼と命の契約を立て(6)、命の木をその保証とし(7)、死を罰則として、善悪を知る木から取って食べることを禁じられた(8)ことであった。

    1 創世2:8、15、16

    2 創世1:28

    3 創世2:18

    4 創世1:26-29、3:8

    5 創世2:3

    6 ガラテヤ3:12、ロマ10:5

    7 創世2:9

    8 創世2:17

  6 人間の罪と罰

問21 人間は、神が最初に彼を創造されたその態をけたか。

答 わたしたちの始祖は、彼ら自身の意志の自由にまかされていて、サタンの誘惑により、禁じられた木の実を食べて神の命令にそむき、それによって、彼らが創造された無罪の状態から堕落した(1)。

    1 創世3:6-8、13、伝道7:29、Ⅱコリント11:3

問22 全人類は、その最初の違反において落したか。

答 公人としてのアダムと結ばれた契約は、彼自身だけでなく、彼の子孫のためにも結ばれていて、普通の出生によって彼から出る全人類は(1)、その最初の違反において、彼にあって罪を犯し、彼と共に堕落した(2)。

    1 行伝17:26

    2 創世2:16、17(ロマ5:12-20、Ⅰコリント15:21、22と比較)(*)

      * 創世2:16、17をロマ5:12-20、Ⅰコリント15:21、22と比較

問23 落は、人類をどのような態にしたか。

答 堕落は、人類を罪と悲惨の状態にした。

    1 ロマ5:12、3:23(*)

      * RCJ訳のロマ3:28は間違い。

問24 罪とは何であるか。

答 罪とは、理性的被造者に規準として与えられた神のどの律法にでも、少しでもかなわないこと、またそれを犯すことである(1)。

    1 Ⅰヨハネ3:4、ガラテヤ3:10、12

問25 人間が落したその態の罪性は、どの点にあるか。

答 人間が堕落したその状態の罪性とは、アダムの最初の罪のとがと(1)、彼が創造されたその義を失っていることと、それによって彼が、霊的に善であるすべてのものに、全く嫌気がさし、不能となり、逆らうものとなり、すべての悪に全く、それも絶えず、傾いている本性の腐敗である(2)。これは普通に原罪と呼ばれ、すべての現実の違反がそれから生ずるのである(3)。

    1 ロマ5:12、19

    2 ロマ3:10-20(*)、エペソ2:1-3、ロマ5:6、8:7、8、創世6:5

      * RCJ訳のロマ3:10-19は間違い。

    3 ヤコブ1:14、15、マタイ15:19

問26 原罪は、どのようにしてわたしたちの始祖からその子孫にえられるか。

答 原罪は、わたしたちの始祖からその子孫に、自然的出生によって伝えられる。それゆえに、この仕方で彼らから生まれ出るすべての者に、罪のうちにはらまれ、また生まれるのである(1)。

    1 詩51:5(7)、ヨブ14:4、15:14、ヨハネ3:6

問27 落は、人類にどのような悲をもたらしたか。

答 堕落は人類に、神との交わりの喪失と(1)、神の憤りとのろいとをもたらした。それゆえに、わたしたちは生まれながらにして怒りの子(2)、サタンの奴隷であり(3)、この世と来世とにおけるすべての刑罰を、正当に受けるのである(4)。

    1 創世3:8、10、24

    2 エペソ2:2、3

    3 Ⅱテモテ2:26

    4 創世2:17、哀歌3:39、ロマ6:23、マタイ25:41、46、ユダ7

問28 この世における罪の刑罰とは何であるか。

答 この世における罪の刑罰とは、内的には、心の硬化(1)、正しからぬ思い(2)、迷わす力(3)、心情のかたくな(4)、良心の恐怖(5)、恥ずべき情欲(6)であり、外的には、わたしたちのために被造物に下された神ののろい(7)、また、わたしたちの体、名声、身分、関係、職業においてわたしたちに降りかかる他のすべての害悪(8)、また死そのものである(9)。

    1 エペソ4:18

    2 ロマ1:28

    3 Ⅱテサロニケ2:11

    4 ロマ2:5

    5 イザヤ33:14、創世4:13、マタイ27:4

    6 ロマ1:26

    7 創世3:17

    8 申命28:15-68(*)   *RCJ訳の申命28:15-18は間違い

    9 ロマ6:21、23

問29 世における罪の刑罰とは何であるか。

答 来世における罪の刑罰とは、楽しい神のご臨在からの永久的隔離と、永遠に地獄の火の中で間断なく受ける魂と体との最も悲痛な苦悶である(1)。

    1 Ⅱテサロニケ1:9、マルコ9:44、46、48(*)、ルカ16:24

      * RCJ訳のマルコ9:43,44,46,48は間違い

  7 神の救い 

問30 神は全人類を、罪と悲態のうちに滅びるままにしておかれるか。

答 神はすべての人を、普通にわざの契約(1)と呼ばれる最初の契約の違反によって陥った罪と悲惨の状態のうちに滅びるままにしておかれず(2)、その全くの愛とあわれみのゆえに、選民をそこから救い出し、普通に恵みの契約と呼ばれる第二の契約によって、救いの状態に入れられる(3)。

    1 ガラテヤ3:10、12

    2 Ⅰテサロニケ5:9

    3 テトス3:4-7、ガラテヤ3:21、ロマ3:20-22

問31 みの契約は、だれと結ばれたか。

答 恵みの契約は、第二のアダムとしてのキリスト、また彼にあって、彼の子孫としてのすべての選民と結ばれた(1)。

    1 ガラテヤ3:16、[ロマ5:15-21](*)、イザヤ53:10、11

       * RCJ訳の括弧は不要

問32 神のみは、第二の契約のうちに、どのように現われているか。

答 神の恵みは、第二の契約のうちに、次のように現われている。すなわち、神は罪人に、価なしに仲保者と(1)、彼による命と救いと(2)を備え、提供される。また彼らを彼に関係づける条件として信仰を要求しながらも(3)、すべての選民に聖霊(4)を約束し、与えて、他のすべての救いの恵みと共に(5)、その信仰を彼らのうちに造り出させ(6)、また彼らの信仰(7)と神への感謝(8)との真実の証拠であり、神が救いのために指定された道(9)でもあるすべての清い従順(10)を可能ならしめる。

    1 創世3:15、イザヤ42:6、ヨハネ6:27

    2 Ⅰヨハネ5:11、12

    3 ヨハネ3:16、1:12

    4 箴言1:23

    5 ガラテヤ5:22,23

    6 Ⅱコリント4:13

    7 ヤコブ2:18、22

    8 Ⅱコリント5:14、15

    9 エペソ2:18(*)    *エペソ2:10が正しい

    10 エゼキエル36:27

問33 みの契約は、常に同じやり方で施行されたか。

答 恵みの契約は、常に同じやり方で施行されたのではなく、旧約の下での施行は新約の下でのそれとは違っていた(1)。

    1 Ⅱコリント3:6-9

問34 みの契約は、約の下では、どのようにして施行されたか。

答 恵みの契約は、旧約の下では、約束(1)、預言(2)、いけにえ(3)、割礼(4)、過越(5)、その他の型や規定によって施行された。それはみな、やがて来たるべきキリストを予兆したものであり、選民を約束のメシヤを信ずる信仰に教育するのに、その時代のために十分であった(6)。彼らも当時、このメシヤによって完全な罪のゆるしと永遠の救いをえていた(7)。

    1 ロマ15:8

    2 行伝3:20、24

    3 ヘブル10:1

    4 ロマ4:11

    5 Ⅰコリント5:7

    6 [ヘブル8,9,10章](*)、11:13   *括弧は不要

    7 ガラテヤ3:7-9、14

問35 みの契約は、新約の下では、どのようにして施行されたか。

答 本体であるキリストが現われた新約の下では、この同じ恵みの契約は、昔も今も、み言葉の宣教(1)と、洗礼(2)と主の晩餐(3)の礼典の執行によって施行されねばならない。ここでは、恵みと救いが、一層完全・明確・効果的に万国民に提供されている(4)。

    1 マルコ16:15

    2 マタイ28:19、20

    3 Ⅰコリント11:23-25

    4 Ⅱコリント3:6-18、ヘブル8:6、10、11、マタイ28:19等(*)  *「等」は不要

  8 仲保者

問36 みの契約の仲保者は、だれであるか。

答 恵みの契約の唯一の仲保者は、主イエス・キリストである(1)。彼は神の永遠のみ子、み父と同質同等でありながら(2)、時満ちて人となられた(3)。それで昔も今も引き続き永遠に、二つの完全な異なった性質と、一つの人格をもつ神にして人であられる(4)。

    1 Ⅰテモテ2:5

    2 ヨハネ1:1、14、10:30、ピリピ2:6

    3 ガラテヤ4:4

    4 ルカ1:35、ロマ9:5、コロサイ2:9、ヘブル7:24、25

問37 キリストは、どのようにして、神のみ子でありながら人となられたか。

答 神のみ子キリストは、聖霊の力により、処女マリヤの本質をとって彼女の胎に宿り、彼女から生まれて(1)、真実の体と理性的霊魂をとることによって(2)、人となられた。しかも罪がなかった(3)。

    1 ルカ1:27、31、35、42(*)   *RCJ訳は、ガラテヤ4:4が抜けている。

    2 ヨハネ1:14、マタイ26:38

    3 ヘブル4:15、7:26

問38 仲保者は、なぜ神でなくてはならなかったのか。

答 仲保者は、人間の本性を神の無限の怒りと死の力の下に沈み切らぬように支え防ぐため(1)、ご自身の苦難と服従と執成しを価値あり効果あるものとするため(2)、また神の正義を満足させ(3)、神の好意を獲得し(4)、特選の民を買いとり(5)、彼らにみたまを与え(6)、彼らのすべての敵を征服し(7)、彼らを永遠の救いに導くために(8)、神でなくてはならなかったのである。

    1 行伝2:24、25、ロマ1:4、(ロマ4:25と比較)(*)、ヘブル9:14

      *ロマ1:4とロマ4:25を比較

    2 行伝20:28、ヘブル9:14、7:25-28

    3 ロマ3:24-26

    4 エペソ1:6、マタイ3:17

    5 テトス2:13、14

    6 ガラテヤ4:6

    7 ルカ1:68、69、71、74

    8 ヘブル5:8、9、9:11-15(*)

      *1648年版は、9:11-16と表記されている。

問39 仲保者は、なぜ人でなくてはならなかったのか。

答 仲保者は、わたしたちの本性を向上させ(1)、わたしたちのために、人間性において律法への服従をなしとげ(2)、苦しみを受け、執成しをなし(3)、わたしたちの弱さを思いやるために(4)、また、わたしたちが神の子たる身分を授けられ(5)、慰められ、はばかることなく恵みのみ座に近づくために(6)、人でなくてはならなかったのである。

    1 ヘブル2:16

    2 ガラテヤ4:4

    3 ヘブル2:14、7:24、25

    4 ヘブル4:15

    5 ガラテヤ4:5

    6 ヘブル4:16

問40 仲保者は、なぜ、一人格において、神でも人でもなければならなかったのか。

答 神と人を和解させる仲保者は、それぞれの性質の固有のわざが全人格のわざとして、わたしたちのために受け入れられ(1)、また、わたしたちからより頼まれるために、自ら神でも人でもあり、しかも一人格においてそうでなければならなかったのである(2)。

    1 マタイ1:21、23、3:17、ヘブル9:14

    2 Ⅰペテロ2:6

問41 わたしたちの仲保者は、なぜイエスと名づけられたのか。

答 わたしたちの仲保者がイエスと名づけられたのは、ご自分の民をそのもろもろの罪から救うからであった(1)。

    1 マタイ1:21

問42 わたしたちの仲保者は、なぜキリストと名づけられたのか。

答 わたしたちの仲保者がキリストと名づけられたのは、聖霊を限りなく注がれて(1)、低い状態においても高い状態においても、その教会の預言者(2)・祭司(3)・王(4)の職務を果たすために聖別され、すべての権威と力を完全に与えられたからである(5)。

    1 ヨハネ3:34、詩45:7

    2 行伝3:21、22、ルカ4:18、21

    3 ヘブル5:5-7、4:14,15

    4 詩2:6、マタイ21:5、イザヤ9:6、7、ピリピ2:8-11

    5 ヨハネ6:27、マタイ28:18-20

問43 キリストは、どのようにして預言者の職務を果たされるか。

答 キリストは、すべての時代に、彼のみたまとみ言葉によって(1)、いろいろの施行方法で(2)、教会員の建徳と救いについてのすべての事柄において(3)、神のあますところのないみ旨(4)を教会に示す(5)ことによって、預言者の職務を果たされる。

    1 Ⅰペテロ1:10-12

    2 ヘブル1:1、2

    3 行伝20:32、エペソ4:11-13、ヨハネ20:31

    4 ヨハネ15:15

    5 ヨハネ1:18

問44 キリストは、どのようにして祭司の職務を果たされるか。

答 キリストは、ご自身を傷のないいけにえとして一度だけ神にささげて(1)、彼の民の罪のための和解となる(2)ことにより、また彼らのために絶えず執成しをする(3)ことによって、祭司の職務を果たされる。

    1 ヘブル9:14、28

    2 ヘブル2:17

    3 ヘブル7:25

問45 キリストは、どのようにして王の職務を果たされるか。

答 キリストは、世から一つの民をご自身のもとに召し出すこと(1)、彼が彼らを可見的に支配する(2)手段である役員(3)と律法(4)と戒規とを彼らに与えることにより、その選民に救いの恵みを授けること(5)・彼らの服従に報いること(6)・彼らを罪のために正すこと(7)・彼らのすべての誘惑と苦難の下で彼らを守り支えること(8)・彼らのすべての敵を抑制し征服すること(9)・ご自身の栄光(10)と彼らの益(11)のためにすべての事柄を力強く統御することにより、また神を認めず福音に従わないその他の人々に報復する(12)ことによって、王の職務を果たされる。

    1 行伝15:14-16、イザヤ55:4、5、創世49:10、詩110:3

    2 マタイ18:17、18、Ⅰコリント5:4、5

    3 エペソ4:11、12、Ⅰコリント12:28

    4 イザヤ32:22

    5 行伝5:31

    6 黙示22:12、2:10

    7 黙示3:19

    8 イザヤ63:9

    9 Ⅰコリント15:25、詩110篇

    10 ロマ14:10、11

    11 ロマ8:28

    12 Ⅱテサロニケ1:8、9、詩2:8、9

問46 キリストの低い態とは、何であったか。

答 キリストの低い状態とは、彼がわたしたちのために自らその栄光をむなしくし、胎に宿られたこと・出生・生涯・死において、またその死後も復活まで、自分の上にしもべの形をとった、あのいやしい状態であった(1)。

    1 ピリピ2:6-8、ルカ1:31、Ⅱコリント8:9、行伝2:24

問47 キリストは、胎に宿られたことと出生において、どのようにしてご自身を低くされたか。

答 キリストは、胎に宿られたことと出生において、彼は全くの永遠からみ父のふところにいる神のみ子でありながら、時満ちて、低い身分の女によって成り、彼女から生まれ、そして普通以上の屈辱的ないろいろな境遇をすごす人の子となることをよしとされたことによって、ご自身を低くされた(1)。

    1 ヨハネ1:14、18、ガラテヤ4:4、ルカ2:7

問48 キリストは、その生涯において、どのようにしてご自身を低くされたか。

答 キリストは、その生涯において、律法に服従して(1)、それを完全に成就した(2)ことにより、また人間性に共通なものであれ、特に彼のあの低い状態に伴うものであれ(3)、この世のはずかしめ(4)・サタンの誘惑(5)・肉の弱さと戦うことによって、ご自身を低くされた。

    1 ガラテヤ4:4

    2 マタイ5:17、ロマ5:19

    3 ヘブル2:17、18、4:15、イザヤ52:13、14

    4 詩22:6、ヘブル12:2、3

    5 マタイ4:1-12、ルカ4:13

問49 キリストは、その死において、どのようにしてご自身を低くされたか。

答 キリストは、その死において、ユダに裏切られ(1)・弟子たちに捨てられ(2)・世から軽べつ拒絶され(3)・ピラトによって罪に定められ・迫害者たちに虐待された(4)後、また死の恐れや暗黒の力と戦い・神のみ怒りの重さを感じ耐えた(5)後、罪のための供え物として(6)、十字架の苦しい・恥ずかしい・のろわれた死を耐え忍んでその命を捨てた(7)ことによって、ご自身を低くされた。

    1 マタイ27:4

    2 マタイ26:56

    3 イザヤ53:2、3

    4 マタイ27:26-50、ヨハネ19:34

    5 ルカ22:44、マタイ27:46

    6 イザヤ53:10

    7 ピリピ2:8、ヘブル12:2、ガラテヤ3:13

問50 キリストの死後の低い態は、どの点にあったか。

答 キリストの死後の低い状態は、彼が葬られたこと(1)と、三日目まで死者の状態にあって死の力の下にとどまっていたこと(2)、すなわち「陰府に下った」という言葉で従来表明されていたことであった。

    1 Ⅰコリント15:3、4

    2 詩16:10、行伝2:24-27、31(*)、ロマ6:9、マタイ12:40

      *詩16:10を行伝2:24-27、31と比較のこと

問51 キリストの高い態とは、何であったか。

答 キリストの高い状態は、彼の復活(1)、昇天(2)、み父の右に座していること(3)、世をさばくための再臨(4)を含んでいる。

    1 Ⅰコリント15:4

    2 マルコ16:19

    3 エペソ1:20

    4 行伝1:11、17:31

問52 キリストは、その復活において、どのようにして高くされたか。

答 キリストは、その復活において、次のように高くされた。すなわち、キリストは死において朽ち果てず(彼が死に支配されているはずはなかったからである(1))、彼が受難したのと全く同じ本質的属性をもったままの(2)(しかしこの生涯に属する死滅性や他の共通の弱さはもたない)体が真実に彼の霊魂に結合されて(3)、ご自身の力により、三日目に、死人の中から甦えられた(4)。そのことによって彼は、ご自分を神の子であり(5)、神の義を満足させており(6)、死と死の力をもつ者とに打ち勝っており(7)、また生者と死者の主である、と宣言された(8)。彼はこれらすべてのことを、その教会の首(かしら)(9)としての公人(10)として、教会員を義とし(11)、恵みに生かし(12)、敵から守り(13)、また彼らが終りの日に死人の中から復活することを保証する(14)ために、なされたのである。

    1 行伝2:24、27

    2 ルカ24:39

    3 ロマ6:9、黙示1:18

    4 ヨハネ10:18

    5 ロマ1:4

    6 ロマ8:34

    7 ヘブル2:14

    8 ロマ14:9

    9 エペソ1:20、22、23、コロサイ1:18

    10 Ⅰコリント15:21、22

    11 ロマ4:25

    12 エペソ2:1、5:6、コロサイ2:12

    13 Ⅰコリント15:25-27

    14 Ⅰコリント15:20

問53 キリストは、その昇天において、どのように高くされたか。

答 キリストは、その昇天において、次のように高くされた。すなわち、復活の後、たびたび使徒たちに現われて交わり、彼らに神の国にかかわることを語り(1)、万国民に福音を宣べ伝えるべき命令を与え(2)、復活後四十日たって、人間性において、わたしたちの首(かしら)として(3)、敵に打ち勝って(4)可見的に最高の天にのぼられた。そこで人々のために賜物を受け(5)、そこへわたしたちの心をひき上げ(6)、わたしたちのために場所を用意する(7)ためである。彼ご自身、今そこにおられ、世の終りの再臨までい続けられる(8)。

    1 行伝1:2、3

    2 マタイ28:19、20

    3 ヘブル6:20

    4 エペソ4:8

    5 行伝1:9-11、エペソ4:10、詩68:18(19)

    6 コロサイ3:1、2

    7 ヨハネ14:3

    8 行伝3:21

問54 キリストは、神の右に座していることにおいて、どのようにして高くされているか。

答 キリストは、神の右に座していることにおいて、次のように高くされている。すなわち、彼は神・人として、満ちあふれる喜び(1)、栄光(2)、また天地のすべてのものを治める権威(3)をもって、父なる神の最高の愛顧に入れられ(4)、彼の教会を集め、守り、彼らの敵を征服し、その役員と民に賜物と恵みを与え(5)、また彼らのために執り成される(6)。

    1 行伝2:28(詩16:11と比較)(*)

      * 行伝2:28と詩16:11を比較

    2 ヨハネ17:5

    3 エペソ1:22、Ⅰペテロ3:22

    4 ピリピ2:9

    5 エペソ4:10-12、詩110篇

    6 ロマ8:34

問55 キリストは、どのようにして執り成されるか。

答 キリストは、次のようにして執り成される。すなわち、地上での彼の従順と犠牲のいさおしによって(1)、わたしたちの性質において絶えず天にいますみ父の前に出ること(2)、そのいさおしをすべての信者に適用するという彼のみ心を宣言すること(3)・彼らに対するすべての訴えに答えること(4)・彼らのために、日ごとの失敗にもかかわらず平和な良心(5)と、はばかることなく恵みのみ座に近づくこと(6)と、彼ら自身(7)とその奉仕(8)が受け入れられることを獲得して下さることによってである。

    1 ヘブル1:3

    2 ヘブル9:12、24

    3 ヨハネ3:16、17:9、20、24

    4 ロマ8:33、34

    5 ロマ5:1、2、Ⅰヨハネ2:1、2

    6 ヘブル4:16

    7 エペソ1:6

    8 Ⅰペテロ2:5

問56 キリストは、世をさばくための再臨において、どのようにして高くされるか。

答 キリストは、世をさばくための再臨において、次のように高くされる。すなわち、よこしまな人々によって不正にさばかれ、罪に定められた(1)彼が、終りの日に、大いなる力をもち(2)、ご自身とみ父との栄光の全き現われをもって、聖なるすべてのみ使たちと共に(3)、叫びと天使のかしらの声と神のラッパの鳴り響くうちに(4)、義をもってこの世界をさばくために(5)再臨される。

    1 行伝3:14、15

    2 マタイ24:30

    3 ルカ9:26、マタイ25:31

    4 Ⅰテサロニケ4:16

    5 行伝17:31

問57 キリストは、彼の仲保によって、どのような利益を獲得されたか。

答 キリストは、彼の仲保によって、あがない(1)と、恵みの契約の他のすべての利益(2)とを獲得された。

    1 ヘブル9:12

    2 Ⅱコリント1:20

  9 贖罪の適用

問58 わたしたちは、どのようにして、キリストが獲得された利益にあずかる者とされるようになるか。

答 わたしたちは、キリストが獲得された利益を、わたしたちに適用されることによって(1)、それにあずかる者とされる。それは特に聖霊なる神のみわざである(2)。

    1 ヨハネ1:11、12

    2 テトス3:5、6

    1 外的召命と可見教会

問59 だれが、キリストのあがないにあずかる者とされるか。

答 あがないは、キリストがそれを買いとられたすべての人々に、確実に適用され、有効に伝達される(1)。彼らは、時が来て、聖霊により、福音に従って、キリストを信じることができるようにされる(2)。

    1 エペソ1:13,14、ヨハネ6:37,39、10:15,16

    2 エペソ2:8、Ⅱコリント4:13

問60 福音を聞いたことがなく、ってイエスキリストを知らず、彼を信じない人は、本性の光による彼らの生活によって、救われることができるか。

答 福音を聞いたことがなく(1)、イエス・キリストを知らず(2)、彼を信じない人々は、本性の光(3)や自分の告白するその宗教のおきて(4)に従って生活を形成するのに、どれほど熱心であっても、救われることはできない(5)。また、キリストおひとりのほか、他の何物にも彼らの救いはない(6)。キリストはその体なる教会のみの救い主であられる(7)。

    1 ロマ10:14

    2 Ⅱテサロニケ1:8,9、エペソ2:12、ヨハネ1:10-12

    3 Ⅰコリント1:20-24

    4 ヨハネ4:22、ロマ9:31,32、ピリピ3:4-9

    5 ヨハネ8:24、マルコ16:16

    6 行伝4:12

    7 エペソ5:23

問61 福音を聞き、教会生活をする者は、みな救われるか。

答 福音を聞き、見える教会の生活をする者が、みな救われるのではない。ただ、見えない教会の真の会員である者のみが救われる(1)。

    1 ヨハネ12:38-40、ロマ9:6、マタイ22:14、7:21、ロマ11:7

問62 見える教会とは、何であるか。

答 見える教会とは、世のすべての時代・すべての場所にあって、真の宗教を告白するすべての者と(1)、彼らの子供たち(2)とから成る一つの社会である。

    1 Ⅰコリント1:2、12:13、ロマ15:9-12、黙示7:9、

      詩2:8、22:27-31(28-32)、45:17(18)、マタイ28:19、20、イザヤ59:21

    2 Ⅰコリント7:14、行伝2:39、ロマ11:16、創世17:7

問63 見える教会の特別な特とは、何であるか。

答 見える教会は、神の特別な配慮と統治の下にあること(1)、すべての敵の反抗にもかかわらず、すべての時代に保護され保存されること(2)、聖徒の交わりと、救いの普通の手段(3)と、だれでもキリストを信ずる者は救われ(4)、彼にくる者は一人も除外されないということ(5)を証しする福音の奉仕における全会員へのキリストによる恵みの提供とを受けることの特権をもっている。

    1 イザヤ4:5、6、Ⅰテモテ4:10

    2 詩115篇、イザヤ31:4,5、ゼカリヤ12:2-4,8,9

    3 行伝2:39,42

    4 詩147:19,20、ロマ9:4、エペソ4:11,12、マルコ16:15,16

    5 ヨハネ6:37

問64 見えない教会とは、何であるか。

答 見えない教会とは、首(かしら)なるキリストの下に、過去・現在・未来を通して、一つに集められる選民の全員である(1)。

    1 エペソ1:10,22,23、ヨハネ10:16、11:52

    2 不可見教会と聖

問65 見えない教会員は、キリストによって、どんな特別の利益を受けるか。

答 見えない教会の会員は、キリストによって、恵みと栄光とにおいて彼との結合と交わりを受ける(1)。

    1 ヨハネ17:21、エペソ2:5,6、ヨハネ17:24

問66 選民がえるキリストとの結合とは、何であるか。

答 選民がえるキリストとの結合とは、神の恵みのみわざであって(1)、それによって彼らは、首(かしら)であり夫であるキリストに、霊的に・神秘的に・しかも現実に・分離できないように結合されるのである(2)。それは、彼らの有効召命においてなされる(3)。

    1 エペソ1:22、2:6-8

    2 Ⅰコリント6:17、ヨハネ10:28、エペソ5:23,30

    3 Ⅰペテロ5:10、Ⅰコリント1:9

問67 有召命とは、何であるか。

答 有効召命とは、神の全能の力と恵みのみわざであって(1)、それによって神は(選民に対する自由な特別な愛からであって、神をその方へ動かす彼らのうちにある何ものからでもない)(2)、よしとせられる時に、み言葉とみたまによって、イエス・キリストヘ彼らを招き寄せ(3)、彼らの心を救うように啓蒙し(4)、彼らの意志を新たにして力強く決定し(5)、このようにして彼らが(自ら罪によって死んだ者だけれども)彼の召命に自由に答え、そこに提供され伝達される恵みを受け奉じることを欲し、またできるようにされるのである(6)。

    1 ヨハネ5:25、エペソ1:18-20、Ⅱテモテ1:8,9

    2 テトス3:4,5、エペソ2:4,5,7-9、ロマ9:11

    3 Ⅱコリント5:20(Ⅱコリント6:1、2と比較)、ヨハネ6:44、Ⅱテサロニケ2:13,14

    4 行伝26:18、Ⅰコリント2:10,12

    5 エゼキエル11:19、36:26,27、ヨハネ6:45

    6 エペソ2:5、ピリピ2:13、申命30:6

問68 選民のみが、有に召命されるのか。

答 すべての選民、そして選民のみが、有効に召命される(1)。他の者でも、み言葉の奉仕によって外的に召命され(2)、みたまのある程度の一般的働きをうけられるし、またしばしばうけるけれども(3)、彼らは提供された恵みを故意に無視し、軽蔑するために、彼らの不信仰の中に当然捨ておかれて、決して真実にイエス・キリストにくることをしないのである(4)。

    1 行伝13:48

    2 マタイ22:14

    3 マタイ7:22、13:20,21、ヘブル6:4-6(*)

      * ヘブル6:4-5が正しい。

    4 ヨハネ12:38-40、行伝28:25-27、ヨハネ6:6465、詩81:1112

問69 見えない教会員がキリストともつみの交わりとは、何であるか。

答 見えない教会の会員がキリストともつ恵みの交わりとは、彼らが義とされること(1)・子とされること(2)・聖とされること・またその他この世でキリストとの結合を示すすべてのものにおいて(3)、キリストの仲保の力にあずかることである。

    1 ロマ8:30

    2 エペソ1:5

    3 Ⅰコリント1:30

問70 義とされることとは、何であるか。

答 義とされることとは、罪人に対して価なしに与えられる神の恵みの行為であって(1)、神はそれによって彼らのすべての罪をゆるし、彼らの人格をみ前に義として受け、認められる(2)。それは、彼らのうちに生じたり、彼らによってなされる何かのためではなく(3)、ただ神によって彼らに転嫁され、またただ信仰によって受けられる(4)キリストの完全な服従と十分な賠償のためである(5)。

    1 ロマ3:22,24,25(*)、ロマ4:5(**)

      * ロマ3:23-25が正しい。  ** 松谷好明訳にはなし

    2 Ⅱコリント5:19,21、ロマ3:22,24,25,27,28

    3 テトス3:5,7、エペソ1:7

    4 行伝10:43、ガラテヤ2:16、ピリピ3:9

    4 ロマ5:17-19、ロマ4:6-8

問71 義とされることは、どのようにして、なしにえられる神のみの行なのか。

答 キリストは、義とされる者のために、その服従と死によって、神の義に対してふさわしく真実で十分な賠償をされたけれども(1)、しかし神は、彼らから要求したはずの賠償を保証人から受け、しかもこの保証人として神ご自身のひとり子を備えて(2)、彼の義を彼らに転嫁し(3)、彼らを義とするためには、それもまた神の賜物(4)である信仰以外の何ものをも彼らからは要求なさらない(5)のだから、彼らが義とされることは、彼らにとって、価なしに与えられる恵みによるのである(6)。

    1 ロマ5:8-10,19

    2 Ⅰテモテ2:5、6、ヘブル10:10、マタイ20:28、ダニエル9:24,26、

      イザヤ53:4-6,10-12、ヘブル7:22、ロマ8:32、Ⅰペテロ1:18,19

    3 Ⅱコリント5:21

    4 エペソ2:8

    5 ロマ3:24,25

    6 エペソ1:7

問72 義とする信仰とは、何であるか。

答 義とする信仰とは、神のみ霊(1)とみ言葉(2)とによって罪人の心情に働く一つの救いの恵みである(3)。それによって彼は、自分の罪と悲惨について、また失われた状態から回復する力が自らの中にも他のすべての被造物の中にもないことについて確信させられ(4)、福音の約束の真理に同意するのみではなく(5)、罪のゆるしのため(6)、また救いのために神のみ前に自分の人格を義として受け認められるために(7)、福音の中に提示されているキリストとその義を受け入れ、より頼むのである。

    1 Ⅱコリント4:13、エペソ1:17-19

    2 ロマ10:14、17

    3 ヘブル10:39

    4 行伝2:37、16:30、ヨハネ16:8,9、ロマ5:6、エペソ2:1、行伝4:12

    5 エペソ1:13

    6 ヨハネ1:12、行伝16:31、10:43

    7 ピリピ3:9、行伝15:11

問73 信仰は、どのようにして、罪人を神のみ前に義とするか。

答 信仰が罪人を神のみ前に義とするのは、信仰に常に伴う他の恵みのゆえにでもなく、信仰の実である善行のゆえにでもなく(1)、また信仰の恵みとか信仰による何らかの行為とかが、彼を義とするために彼に転嫁されるというのでもなく(2)、信仰は、罪人がキリストとその義とを受け適用される手段だからにすぎない(3)。

    1 ガラテヤ3:11、ロマ3:28

    2 ロマ4:5(ロマ10:10と比較)(*)

     * ロマ4:5とロマ10:10を比較

    3 ヨハネ1:12、ピリピ3:9、ガラテヤ2:16

問74 子とすることとは、何であるか。

答 子とすることとは、神のひとり子イエス・キリストにおいて、またキリストのゆえに(1)、価なしに与えられる神の恵みの行為であって(2)、それによって、義とされた者はみな、神の子の数に入れられ(3)、み名を記され(4)、神のみ子の霊を与えられ(5)、父としての神の保護と配慮の下に置かれ(6)、神の子の自由と特権をことごとく許され、すべての約束をつぐ者、また栄光の中にキリストと共同の相続人とされるのである(7)。

    1 エペソ1:5、ガラテヤ4:4,5

    2 Ⅰヨハネ3:1

    3 ヨハネ1:12

    4 Ⅱコリント6:18、黙示3:12

    5 ガラテヤ4:6

    6 詩103:13、箴言14:26、マタイ6:32

    7 ヘブル6:12、ロマ8:17

問75 聖とすることとは、何であるか。

答 聖とすることとは、神の恵みのみわざであって、それによって、きよくなるようにと神が世の造られる前から選んでおられた者たちが、時至って、キリストの死と復活を彼らに適用する(1)みたまの力強い働きにより(2)、神の形に従い、全人を新たにされる(3)。それは、命に至る悔改めの種と他のすべての救いの恵みを彼らの心に入れ(4)、彼らがますます罪に死に新しい命に生きかえって行くように(5)、これらの恵みをかき立て、増し加え、強めるのである(6)。

    1 ロマ6:4-6

    2 エペソ1:4、Ⅰコリント6:11、Ⅱテサロニケ2:13

    3 エペソ4:23,24

    4 行伝11:18、Ⅰヨハネ3:9

    5 ロマ6:4,6,14、ガラテヤ5:24

    6 ユダ20、ヘブル6:11,12、エペソ3:16-19、コロサイ1:10,11

問76 命に至る悔改めとは、何であるか。

答 命に至る悔改めとは、神のみたま(1)とみ言葉(2)によって罪人の心情に働く一つの救いの恵みである(3)。それによって、彼は自分の罪について、その危険さばかりでなく(4)、その汚らわしさやいとわしさを知り自覚し(5)、また後悔している者へのキリストにある神のあわれみをも悟って(6)、大いに罪を悲しみ(7)憎む(8)ので、全くそれを捨てて神に帰り(9)、新しい服従の道をいつも神と共に歩むように目差し努力するのである(10)。

    1 ゼカリヤ12:10

    2 行伝11:18,20,21

    3 Ⅱテモテ2:25

    4 エゼキエル18:28,30,32、ルカ15:17,18、ホセア2:6,7(2:8,9)

    5 エゼキエル36:31、イザヤ30:22

    6 ヨエル2:12,13

    7 エレミヤ31:18,19

    8 Ⅱコリント7:11

    9 行伝26:18(*)、エゼキエル14:6、列王上8:47,48

      * 1648年版の26:28は誤植

    10 詩119:6,59,128、ルカ1:6、列王下23:25

問77 義とすることと聖とすることとは、どこが違っているか。

答 聖とすることは義とすることと、分かつことのできないように結合しているが(1)、それでも次の点で違っている。義とすることにおいて、神はキリストの義を転嫁するのであるが(2)、聖とすることにおいては、みたまが恵みを注いで、それを用いることができるようにする(3)。前者では、罪がゆるされるのであるが(4)、後者では、罪が征服される(5)。一方は、すべての信者を神の報復的怒りから一様に解放するのであり、しかもこの世でそれを完全になし、決して彼らが罪に定められないようにする(6)。ところが他方は、すべての人に同様にでなく(7)、まただれの場合でも、この世では完成しないで(8)、ただ完成へと成長するのである(9)。

    1 Ⅰコリント6:11、1:30

    2 ロマ4:6,8

    3 エゼキエル36:27

    4 ロマ3:24,25

    5 ロマ6:6,14

    6 ロマ8:33,34

    7 Ⅰヨハネ2:12-14、ヘブル5:12-14

    8 Ⅰヨハネ1:8,10

    9 Ⅱコリント7:1(*)、ピリピ3:12-14

      * 1658年版による。1648年版の7:2は誤り

問78 信者の聖とされることの未完成は、どこからくるのであるか。

答 信者の聖とされることの未完成は、彼らのすべての部分に宿っている罪の残根と、みたまに反する肉の絶えざる欲情とからくる。それによって彼らは、しばしば誘惑に迷わされ、多くの罪に陥り(1)、あらゆる彼らの霊的奉仕において妨げられ(2)、彼らの最上のわざでさえも、神のみ前には不完全であり、汚れたものである(3)。

    1 ロマ7:18,23、マルコ14:66-72、ガラテヤ2:11,12

    2 ヘブル12:1

    3 イザヤ64:6(64:5)、出エジプト28:38

問79 の信者は、その未完成や、多くの誘惑と罪に襲われることによって、みの態から落ちることはないだろうか。

答 真の信者は、神の変わらぬ愛と(1)、彼らに堅忍を与えるという聖定と契約(2)・彼らをキリストから引き離すことのできぬ結合(3)・彼らのためのキリストの絶えざる執成し(4)・また彼らのうちに宿るみたまと神の種によって(5)、恵みの状態から全く、あるいは最後的に落ちるなどというようなことはありえないばかりか(6)、神のみ力によって、信仰により、救いに至るまで守られる(7)。

    1 エレミヤ31:3

    2 Ⅱテモテ2:19、ヘブル13:20,21、サムエル下23:5

    3 Ⅰコリント1:8,9

    4 ヘブル7:25、ルカ22:32

    5 Ⅰヨハネ3:9、2:27

    6 エレミヤ32:40、ヨハネ10:28

    7 Ⅰペテロ1:5

問80 の信者は、みの態にあること、およびその態で救いに至るまで保たれるということを、間違いなく確信できるか。

答 真実にキリストを信じ、そのみ前に全き良心をもって歩むことを務めるほどの者は(1)、特別な啓示がなくても、神の約束の真理に基づく信仰により、また、命の約束が与えられたそれらの恵みを自分のうちでわきまえることができるようにし(2)・彼らの霊と共に、彼らが神の子であることを証しする(3)ところのみたまによって、彼らが恵みの状態にあり、またその状態で救いに至るまで保たれることを、間違いなく確信される(4)。

    1 Ⅰヨハネ2:3

    2 Ⅰコリント2:12、Ⅰヨハネ3:14,18,19,21,24、4:13,16、ヘブル6:11,12

    3 ロマ8:16

    4 Ⅰヨハネ5:13

問81 すべてのの信者は、いつでも、彼らが現にみの態にあり、救われるのだということを確信しているか。

答 恵みと救いの確信は、信仰の本質ではないので(1)、真の信者もそれをえるまでには、長い間かかるかもしれない(2)。また、それを与えられてからでも、種々の病的不安や罪や誘惑や一時的な遺棄によって、弱められ、とぎれたりすることはあろうが(3)、神のみたまの臨在と支えなしに捨ておかれることはないので、全き絶望に沈むことからは守られる(4)。

    1 エペソ1:13

    2 イザヤ50:10、詩88篇

    3 詩77:1-12(77:2-13)、雅歌5:2,3,6、

      詩51:8,12(51:10,14)、31:22(31:23)、22:1(22:2)

    4 Ⅰヨハネ3:9、ヨブ13:15、詩73:15,23、イザヤ54:7-10

問82 見えない教会員がキリストと共にもつ、光における交わりとは、何であるか。

答 見えない教会の会員がキリストと共にもつ、栄光における交わりとは、この世にあり(1)、死の直後からあり(2)、そしてついに、復活と審判の日に完成されるものである(3)。

    1 Ⅱコリント3:18

    2 ルカ23:43

    3 Ⅰテサロニケ4:17

問83 見えない教会員がこの世で享受する、キリストと共にもつ光における交わりとは、何であるか。

答 見えない教会の会員は、首(かしら)なるキリストの肢体であり、それゆえ彼にあって、彼が完全に所有しておられる栄光に関与しているので、この世で、キリストと共なる栄光の初穂を分有している(1)。またその保証として、神の愛の自覚(2)、良心の平和・聖霊による喜び・栄光の望みを享受する(3)。反対に、神の報復的み怒りの自覚・良心の恐れ・審判の恐るべき予想が、悪人たちにとって、死後受ける苦痛の始まりであるのと同様である(4)。

    1 エペソ2:5、6

    2 ロマ5:5(Ⅱコリント1:22と比較)(*)

      * ロマ5:5を2コリント1:22と比較

    3 ロマ5:1,2、14:17

    4 創世4:13、マタイ27:4、ヘブル10:27、ロマ2:9、マルコ9:44

  10 死と終末

問84 すべての人が死ぬか。

答 死は、罪が支払う報酬として威嚇されているので(1)、一度だけ死ぬことがすべての人に定まっている(2)。それは、すべての人が罪を犯したからである(3)。

    1 ロマ6:23

    2 ヘブル9:27

    3 ロマ5:12

問85 死が罪の支う報酬であるのなら、なぜ義人は、そのすべての罪がキリストにおいて許されているのに、死から解放されていないのか。

答 義人は、終りの日に死そのものから解放されるし、死にあっても、死のとげとのろいから解放されている(1)。それゆえ、彼らは死にはするが、それは神の愛から出るのであって(2)、罪と悲惨から彼らを全く自由にするため(3)、また栄光におけるさらに深いキリストとの交わりを可能にするためであり、彼らは死に際して、それにはいるのである(4)。

    1 Ⅰコリント15:26,55,57(*)、ヘブル2:15

      * Ⅰコリント15:26,56が正しい。

    2 イザヤ57:1,2、列王下22:20

    3 黙示14:13、エペソ5:27

    4 ルカ23:43、ピリピ1:23

問86 見えない教会員が死の直後に享受する、光におけるキリストとの交わりとは、何であるか。

答 見えない教会の会員が死の直後に享受する、キリストと共にもつ栄光における交わりとは、次のことにある。すなわち、彼らの魂は、その時全く聖くされて(1)最高の天に受け入れられ(2)、そこで光と栄光のうちにいます神のみ顔を仰ぎ(3)、彼らの体の完全なあがないを待っている(4)。その体は、死にあってもなお続いてキリストに結合され(5)、終りの日に彼らの魂に再び結合されるまで(6)、床にあるようにその墓に休息する(7)。これと反対に、悪人の魂は、その死の時に地獄に投げ入れられ、そこで激しい苦痛と全くの暗黒の中にとどまり、また彼らの体は、大いなる日の復活と審判まで、獄屋にあるように閉じ込められる(8)。

    1 ヘブル12:23

    2 Ⅱコリント5:1,6,8、ピリピ1:23(行伝3:21、エペソ4:10と比較)(*)

      * ピリピ1:23を行伝3:21、エペソ4:10と比較

    3 Ⅰヨハネ3:2、Ⅰコリント13:12

    4 ロマ8:23、詩16:9(*)

      * 1658年版による。1648年版の19:6は誤り

    5 Ⅰテサロニケ4:14

    6 ヨブ19:26,27

    7 イザヤ57:2

    8 ルカ16:23,24、行伝1:25、ユダ6,7

問87 復活について、わたしたちは何を信じなければならないか。

答 わたしたちは、次の点を信じなければならない。すなわち、終りの日には、正しい者も正しくない者も同様に、一般的な死人の復活がある(1)。その時生きながらえている人々は、一瞬にして変えられる。また死人については、墓に置かれた同じ体が、その時再び永遠にその魂に結合されて、キリストのみ力によって、よみがえらせられる(2)。正しい者の体は、キリストのみたまにより、また彼らの首(かしら)であるキリストの復活の力によって、強いもの、霊のもの、朽ちないものによみがえらせられ、キリストの栄光の体に似たものとされる(3)。また悪人の体は、彼らにそむかれた審判者キリストによって恥辱によみがえらせられる(4)。

    1 行伝24:15

    2 Ⅰコリント15:51-53、Ⅰテサロニケ4:15-17、ヨハネ5:28,29

    3 Ⅰコリント15:21-23,42-44、ピリピ3:21

    4 ヨハネ5:27-29、マタイ25:33

問88 復活後直ちに何がくか。

答 復活後直ちに、み使と人間への一般的な、また最後の審判が続く(1)。その日その時を、だれも知らない。それは、すべての人が目をさまして祈り、主の来臨のために常に備えをするためである(2)。

    1 Ⅱペテロ2:4、ユダ6,7,14,15、マタイ25:46

    2 マタイ24:36,42,44、ルカ21:35,36

問89 審判の日に、人には何がなされるか。

答 審判の日に悪人は、キリストの左側に置かれ(1)、明白な証拠と彼ら自身の良心の十分な納得に基づいて(2)、彼らに対して判決された恐ろしいが正当な定罪の宣告を受け(3)、そこで神の好意あるみ前と、キリスト・聖徒・全天使の栄光に輝く交わりとから捨てられ、地獄に投げ入れられて、永遠に、悪魔とその使たちと共に、体と魂との両方の言い尽しえない苦痛をもって罰せられる(4)。

    1 マタイ25:33

    2 ロマ2:15,16

    3 マタイ25:41-43

    4 ルカ16:26、Ⅱテサロニケ1:8,9

問90 審判の日に、義人には何がなされるか。

答 審判の日に義人は、雲に包まれてキリストのもとに引き上げられて(1)、キリストの右側に置かれ、そこで公に受け入れられ無罪を宣言されて(2)、捨てられたみ使や人間をキリストと共にさばき(3)、また天に受け入れられる(4)。そこで彼らは完全・永遠にすべての罪と悲惨から解放され(5)、考えも及ばぬ喜びに満たされ(6)、体と魂の両方において・無数の聖徒やみ使と共になることにおいて(7)・特に父なる神と主イエス・キリストと聖霊を永遠に直接見て喜ぶことにおいて、完全に聖(きよ)く幸いにされる(8)。これこそ、見えない教会の会員が、復活と審判の日に、栄光のうちにキリストと共に享受する十全で十分な交わりである。

    1 Ⅰテサロニケ4:17

    2 マタイ25:33、10:32

    3 Ⅰコリント6:2,3

    4 マタイ25:34,46

    5 エペソ5:27、黙示14:13

    6 詩16:11

    7 ヘブル12:22,23

    8 Ⅰヨハネ3:2、Ⅰコリント13:12、Ⅰテサロニケ4:17,18

3  生活篇

 聖書が主に、神について信ずるよう、わたしたちに教えているところを見たので、次に、聖書が人間の義務として求めるところを考察する。

  1 十誡

問91 神が人間に求められる義務は、何であるか。

答 神が人間に求められる義務は、啓示されたみ心に服従することである(1)。

    1 ロマ12:1,2、ミカ6:8、サムエル上15:22

問92 神は人間に、服の規準として、最初、何を啓示されたか。

答 無罪の状態のアダムに、またアダムにおいて全人類に啓示された服従の規準は、善悪を知る木の実を食べてはならないという特別な命令の外には、道徳律法であった(1)。

    1 創世1:26,27、ロマ2:14,15、10:5、創世2:17

問93 道律法とは何であるか。

答 道徳律法とは、身も魂も人間全体の状態と性向において(1)、また神と人とに負うている聖と義のすべての義務の遂行において(2)、それに対する人格的な完全な不断の一致服従を各人に命じ拘束し、またそれを守れば命を与えることを約束し、破れば死を報いると威嚇している(3)、人類に対する神のみ心の宣言である。

    1 申命5:1-3,31,33(*)、ルカ10:26,27、ガラテヤ3:10、Ⅰテサロニケ5:23

       * 松谷訳は申命5:1,21,32,33とする。1648年版が読みずらくなっている。

    2 ルカ1:75、行伝24:16

    3 ロマ10:5、ガラテヤ3:10,12

問94 道律法は、落以後の人間にとっても、何かの用があるか。

答 堕落以後だれも、道徳律法によって義と命に至ることはできないとはいえ(1)、それには、すべての人間に共通な大きな効用があると同様に、再生しない者または再生した者に、それぞれ特有の大きな効用がある(2)。

    1 ロマ8:3、ガラテヤ2:16

    2 Ⅰテモテ1:8

問95 道律法は、すべての人間に、どのような用があるか。

答 道徳律法は、すべての人間に、次のような効用がある。すなわち、彼らに神のきよい性質とみ心と(1)、それらに従って歩むよう彼らを拘束する義務とを教え(2)、それを守れない彼らの無能力と、性質・心情・生活の罪深い汚れとを悟らせ(3)、彼らを罪と悲惨の自覚においてへりくだらせ(4)、またそれによって彼らに、キリストを必要としていることと(5)、その服従の完全性を一層明らかに認めさせるのである(6)。

    1 レビ11:44,45、20:7,8、ロマ7:12

    2 ミカ6:8、ヤコブ2:10,11

    3 詩19:11,12、ロマ3:20、7:7

    4 ロマ3:9,23

    5 ガラテヤ3:21,22

    6 ロマ10:4

問96 道律法は、再生しない者にとって、どのような特有の用があるか。

答 道徳律法は、再生しない者にとって、次の効用がある。すなわち、来たるべき神のみ怒りからのがれるように彼らの良心を呼びさまし(1)、彼らをキリストに追いやる(2)。あるいは、彼らが罪の状態と習慣を続けるならば、彼らを弁解の余地なき者とし(3)、罪ののろいにまかせる(4)。

    1 Ⅰテモテ1:9,10

    2 ガラテヤ3:24

    3 ロマ1:20(ロマ2:15と比較)(*)

      * ロマ1:20とロマ2:15を比較

    4 ガラテヤ3:10

問97 道律法は、再生した者にとって、どのような特有の用があるか。

答 再生してキリストを信ずる者たちは、わざの契約としての道徳律法から解放されており(1)、従って、それによって義とされもせず(2)、罪に定められもしない(3)とはいえ、すべての人間と彼らとに共通な道徳律法の一般的効用の外に、次のような特有の効用がある。すなわち、彼らの代りに、また彼らの益のために、キリストが律法を成就し、律法ののろいを受けられたことのゆえに、彼らがどれほど多くキリストに負うているかを示し(4)、またそれによって、彼らを一層の感謝にかり立て(5)、彼らの服従の規準としての道徳律法に自分をかなわせるよう一層意を用いることにおいて、その感謝を表わさせる(6)。

    1 ロマ6:14、7:4,6、ガラテヤ4:4,5

    2 ロマ3:20

    3 ガラテヤ5:23、ロマ8:1

    4 ロマ7:24,25、ガラテヤ3:13,14、ロマ8:3,4

    5 ルカ1:68,69,74,75、コロサイ1:12-14

    6 ロマ7:22、12:2、テトス2:11-14

問98 道律法は、どこに要約的に包含されているか。

答 道徳律法は、十誡のうちに要約的に包含されている。これは、シナイ山で神のみ声によって申し渡され、神によって二枚の石の板に書きつけられ(1)、出エジプト記第二〇章に記録されている。その初めの四つの戒めは、神に対するわたしたちの義務を、ほかの六つの戒めは、人に対するわたしたちの義務を含んでいる(2)。

    1 申命10:4、出エジプト34:1-4

    2 マタイ22:37-40

問99 十誡の正しい理解のためには、どのような規則が守られなければならないか。

答 十誡の正しい理解のためには、次の規則が守られなければならない。すなわち、

 1 律法は完全であり、全人においてその義に全く一致し、またいつまでも完全な服従をするように、すべての人間を拘束する。従って、すべての義務に対する最高度の完全さを要求し、またすべての罪の最少度をも禁ずる(1)。

    1 詩19:7(8)、ヤコブ2:10、マタイ5:21-48

 2 律法は霊的であり、従って言葉・わざ・挙動と同様に、理性・意志・感情・霊魂の他のあらゆる働きにも及ぶ(1)。

    1 ロマ7:14、申命6:5。マタイ22:37-39と比較せよ。(*)(**)

      * 申命6:5とマタイ22:37-39と比較

      ** マタイ5:21,22,27,28,36-48

 3 同一のことが、さまざまの関係で、いくつかの戒めの中に命じられ、あるいは禁じられている。

    1 コロサイ3:5、アモス8:5、箴言1:9、Ⅰテモテ6:10

 4 義務が命じられている場合には、反対の罪が禁じられており(1)、また罪が禁じられている場合には、反対の義務が命じられている(2)。そのように、約束が付加されている場合には、反対の威嚇が含まれており(3)、また威嚇が付加されている場合には、反対の約束が含まれている(4)。

    1 イザヤ58:13、申命6:13。マタイ4:9,10、マタイ15:4-6と比較せよ。(*)

      * 申命6:13とマタイ4:9,10を比較、マタイ15:4-6。

    2 マタイ5:21-24(**)、エペソ4:28

      ** マタイ5:21-25が正しい

    3 出エジプト20:12(箴言30:17と比較)(***)

     *** 出エジプト20:12と箴言30:17を比較

    4 エレミヤ18:7,8、出エジプト20:7(詩15:1,4,5、24:4,5と比較)。(****)

     **** 出エジプト20:7を詩15:1,4,5と詩24:4,5とを比較

 5 神が禁じられることは、してよい時はない(1)。神が命じられることは、いつでもわたしたちの義務である(2)。しかし、すべての特殊な義務は、いつでもしなけわばならないのではない(3)。

    1 ヨブ13:7,8、ロマ3:8、ヨブ36:21、ヘブル11:25

    2 申命4:8,9

    3 マタイ12:7

 6 一つの罪あるいは義務のもとに、同じ種類のすべての罪あるいは義務が、そのすべての原因・手段・機会・その情況・それへの挑発と共に、禁じられ、あるいは命じられている(1)。

    1 マタイ5:21,22,27,28、15:4-6、ヘブル10:24,25、Ⅰテサロニケ5:22、

      ユダ23、ガラテヤ5:26(*)、コロサイ3:21

      * ガラテヤ5:16が正しい。1648年版の印刷が読みにくいことから生じたエラー。

 7 わたしたち自身に対して禁じられ、あるいは命じられていることは、他の人々が、彼らの立場の義務に従ってそれを避け、あるいは実行することができるように、わたしたちの立場から努力しなければならない(1)。

    1 出エジプト20:10、レビ19:17、創世18:19、ヨシュア24:5、申命6:6,7

 8 他の人々に命じられることにおいては、わたしたちは自分の立場と職分に従って、彼らの助けとならなければならない(1)。また他の人々に禁じられていることにおいては、わたしたちは、彼らに加わらないように用心しなければならない(2)。

    1 Ⅱコリント1:24

    2 Ⅰテモテ5:22、エペソ5:11

問100 十誡においてわたしたちは、どのような特別な事柄を考えなければならないか。

答 わたしたちは十誡において、序言・戒めそのものの内容・それを一層強く主張するために、そのあるものに付加されているいくつかの理由を考えなければならない。

問101 十誡の序言は何であるか。

答 十誡の序言は、「わたしはあなたの神、主であって、あなたをエジプトの地、奴隷の家から導き出した者である」というみ言葉に含まれている(1)。ここで神は次のようにその主権をお示しになる。すなわち、神はエホバ、永遠・不変・全能の神(2)、自律自存し(3)、すべてのみ言葉(4)とみわざ(5)に存在を与える者、また昔のイスラエルにとってのように、すべての神の民にとっての契約の神(6)、彼らをエジプトの奴隷の鎖から導き出されたように、霊的隷属から救い出される神であり(7)、従ってわたしたちは、彼をわたしたちのただひとりの神として、そのすべての戒めを守らなければならないのである(8)。

    1 出エジプト20:2

    2 イザヤ44:6

    3 出エジプト3:14

    4 出エジプト6:3

    5 行伝17:24,28

    6 創世17:7(ロマ3:29と比較)(*)

      * 創世17:7とローマ3:29を比較

    7 ルカ1:74,75

    8 Ⅰペテロ1:15-18、レビ18:30、19:37

問102 神にするわたしたちの義務を含む四つの戒めの要約は、何であるか。

答 神に対するわたしたちの義務を含む四つの戒めの要約は、心をつくし、精神をつくし、力をつくし、思いをつくして、主なるわたしたちの神を愛することである(1)。

    1 ルカ10:27

問103 第一戒は、何であるか。

答 第一戒は「あなたは、わたしのほかに(またに、わたしの前に)、なにものをも神としてはならない」である(1)。

    1 出エジプト20:3

問104 第一戒で求められている義務は、何であるか。

答 第一戒で求められている義務は、次の通りである。すなわち、神が唯一のまことの神・わたしたちの神であることを知り・認めること(1)、それにふさわしく神を礼拝し栄光を帰することであって(2)、それは、神を心に留め(3)・深く思い(4)・覚え(5)・大いに尊び(6)・敬い(7)・たたえ(8)・選び(9)・愛し(10)・慕い(11)・恐れること(12)、神を信ずることで(13)、神に信頼し(14)・望み(15)・喜び(16)・楽しむこと(17)、神のために熱心になること(18)、神を呼んですべての賛美と感謝をささげ(19)・全人において全き服従をささげること(20)、神に喜ばれるよう、すべてのことに注意し(21)・何事によらず、神にそむくことのある時は心を痛めること(22)、また神と共にへりくだって歩むことによる(23)。

    1 歴代上28:9、申命26:17、イザヤ43:10、エレミヤ14:22

    2 詩95:6,7、マタイ4:10、詩29:2

    3 マラキ3:16

    4 詩63:6(7)

    5 伝道12:1

    6 詩71:19

    7 マラキ1:6

    8 イザヤ45:23

    9 ヨシュア24:15,22

    10 申命6:5

    11 詩73:25

    12 イザヤ8:13

    13 出エジプト14:31

    14 イザヤ26:4

    15 詩130:7

    16 詩37:4

    17 詩32:11

    18 ロマ12:11(民数25:11と比較)(*)

      * ロマ12:11と民数25:11を比較

    19 ピリピ4:6

    20 エレミヤ7:23、ヤコブ4:7

    21 Ⅰヨハネ3:22

    22 エレミヤ31:18、詩119:15(*)

      * 1658年版は15を136に変更、以後の版は136となる

    23 ミカ6:8

問105 第一戒で禁じられている罪は、何であるか。

答 第一戒で禁じられている罪は、次の通りである。すなわち、神を否定したり、神を持たない無神論(1)。一つ以上の多くの神々を、またはまことの神と同時に、あるいはその代りに他の神を持ち、礼拝する偶像礼拝(2)。神を神として、また自分の神として持たず、証ししないこと(3)。この戒めで求められている神に対する何らかの義務を省いたり、無視すること(4)。神についての無知(5)、忘却(6)、誤解(7)、謬見(8)、ふさわしくない悪い考え(9)。神の神秘に対する無謀で物好きなせんさく(10)、すべての卑俗(11)、神への憎しみ(12)、自己愛(13)、自己追求(14)、その他すべての無軌道不節制に知情意を外のものに向けて、全体的または部分的に神からそらすこと(15)。むなしい軽率(16)、不信仰(17)、異端(18)、誤信(19)、不信頼(20)、絶望(21)、審判に対し性こりせず(22)、不感症であること(23)、かたくなな心(24)、高慢(25)、自惚れ(26)、肉的安心(27)、神を試みること(28)。不正手段の利用(29)、正当な手段そのものに信頼し切ること(30)。肉の楽しみと喜び(31)、汚れた盲目な無分別な熱心(32)。神のことについてのなまぬるさ(33)と冷淡(34)。神からの離反と背教(35)。聖人・天使・その他の被造物に祈ったり、宗教的礼拝をささげること(36)。すべて悪魔と同盟したり、相談したり(37)、その指図に耳をかすこと(38)。人間たちを自分の信仰や良心の主とすること(39)。神とその戒めを軽蔑すること(40)。神のみたまを拒み、嘆かせること(41)。神の配剤に不満を持ち、忍耐せず、神がわたしたちの上に下される災いのゆえに愚かにも神を非難すること(42)。わたしたちがそうであり、それを持っており、それをすることができるどんな善いことの賞賛であれ、それを運命(43)や偶像(44)や自分自身や(45)、その他どんな被造物にでも帰すること(46)である。

    1 詩14:1、エペソ2:12

    2 エレミヤ2:27,28(Ⅰテサロニケ1:9と比較)(*)

      * エレミヤ2:27,28と1テサロニケ1:9を比較

    3 詩81:11(12)

    4 イザヤ43:22-24

    5 エレミヤ4:22、ホセア4:1,6

    6 エレミヤ2:32

    7 行伝17:23,29

    8 イザヤ40:18

    9 詩50:21

    10 申命29:29(28)

    11 テトス1:16、ヘブル12:16

    12 ロマ1:30

    13 Ⅱテモテ3:2

    14 ピリピ2:21

    15 Ⅰヨハネ2:15,16、サムエル上2:29、コロサイ3:2,5

    16 Ⅰヨハネ4:1

    17 (*)、ヘブル3:12

      * RCJ訳は申命9:6,24が抜けている。1648年版の申命10:6,24は間違い

    18 ガラテヤ5:20(*)、テトス3:10

      * 1648年版の5:21は間違い

    19 行伝26:9

    20 詩78:22

    21 創世4:13

    22 エレミヤ5:3

    23 イザヤ42:25

    24 ロマ2:5

    25 エレミヤ13:15

    26 詩19:13(14)

    27 ゼパニヤ1:12

    28 マタイ4:7

    29 ロマ3:8

    30 エレミヤ17:5

    31 Ⅱテモテ3:4

    32 ガラテヤ4:17、ヨハネ16:2、ロマ10:2、ルカ9:54,55

    33 黙示3:16

    34 黙示3:1

    35 エゼキエル14:5、イザヤ1:4,5

    36 ロマ10:13,14、ホセア4:12、行伝10:25,26、黙示19:10、マタイ4:10、

      コロサイ2:18、ロマ1:25

    37 レビ20:6、サムエル上28:7,11(歴代上10:13,14と比較)(*)

      * サムエル上28:7,11と歴代上10:13,14を比較 

    38 行伝5:3

    39 Ⅱコリント1:24、マタイ23:9

    40 申命32:15、サムエル下12:9、箴言13:13

    41 行伝7:51、エペソ4:30

    42 詩73:2,3,13-15,22(*)、ヨブ1:22

      *  詩73:2,3,14,15,22が正しい

    43 サムエル上6:7-9

    44 ダニエル5:23

    45 申命8:17、ダニエル4:30(27

    46 ハバクク1:16

問106 第一戒の「わたしの前に」という言葉で、わたしたちは特に何をえられるか。

答 第一戒の「わたしの前に、または、わたしの顔の前に」という言葉は、わたしたちに次のことを教える。すなわち、すべてのことを見ておられる神は、他のどのような神をでも持つことの罪に特別に目を注ぎ、それをはなはだしく嫌っておられること、だからこれが、最も無礼に神のみ怒りを挑発するものとして、この罪を思いとどまらせ、憎ませ(1)、また、わたしたちが神への奉仕においてすることは何でも、神のみ前であるかのようにするよう説得するための論証となることである(2)。

    1 エゼキエル8:5,6-18(*)、詩44:20,21(21,22)

      * エゼキエル8:5-18

    2 歴代上28:9

問107 第二戒は何であるか。

答 第二戒は、「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものには、父の罪を子に報いて、三四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの求めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう」である(1)。

    1 出エジプト20:4-6

問108 第二戒で求められている義務は、何であるか。

答 第二戒で求められている義務は、次の通りである。すなわち、神がみ言葉のうちに定められたすべての宗教的礼拝と規定を、純粋完全に受け入れ、守り、保つこと(1)。特にキリストのみ名による祈りと感謝(2)。み言葉の朗読、説教、傾聴(3)。礼典の執行と受領(4)。教会政治と戒規(5)。教職とその維持(6)。宗教的断食(7)。神のみ名による誓約(8)。神への誓願(9)。すべての偽りの礼拝を非難、憎悪、反対すること(10)。各自の地位と職責に応じて、偽りの礼拝とすべての偶像礼拝の記念物を除くことである(11)。

    1 申命32:46,47、マタイ28:20、行伝2:42、Ⅰテモテ6:13,14

    2 ピリピ4:6、エペソ5:20

    3 申命17:18,19、行伝15:21、Ⅱテモテ4:2、ヤコブ1:21,22、行伝10:33

    4 マタイ28:19、 Ⅰコリント11:23-30

    5 マタイ18:15-17、16:19、Ⅰコリント5章、12:28

    6 エペソ4:11,12、Ⅰテモテ5:17,18(*)

      * 1648年版の5:17,16は誤記

    7 ヨエル2:12,13、Ⅰコリント7:5

    8 申命6:13

    9 イザヤ19:21、詩76:11(12)

    10 行伝17:16,17、詩16:4

    11 申命7:5、イザヤ30:22

問109 第二戒で禁じられている罪は、何であるか。

答 第二戒で禁じられている罪は、次の通りである。すなわち、神ご自身によって定められたのではないどんな宗教的礼拝でも、すべて、案出したり(1)、相談したり(2)、命令したり(3)、使用したり(4)、とにかく承認する(5)こと。偽りの宗教を大目にみること(6)。三位一体の全部についても、どの人格についても、内面的に心の中ででも、外面的にどんな被造物のどんな種類の像や似姿ででも、神の描写をすること(7)。すべてそれを礼拝したり(8)、それにおいて、あるいはそれによって神を礼拝すること(9)。どんなものでも偽りの神を表わすものを作り(10)、すべてそれを礼拝したり、それに属する奉仕をすること(11)。自分自身で発明して採用したにしろ(12)、他人からの伝承によって受け継いだにしろ(13)、たとえ大昔からのものだという名目(14)、習慣(15)、敬けん(16)、善意、その他どんな口実によるにせよ(17)、神礼拝を腐敗させ(18)、それに対して付加または削除する(19)、すべての迷信的考案(20)。僧職売買(21)、聖物俗用(22)。すべて、神が定められた礼拝と規定への無視(23)、軽蔑(24)、妨害(25)、反対(26)である。

    1 民数15:39

    2 申命13:6-8

    3 ホセア5:11、ミカ6:16

    4 列王上11:33、12:33(*)

      * 1648年版では、12:33のみ。1658年版以降は、11:33となる。松谷訳は

       11:33とする。12:33が正しいと考えられる。

    5 申命32:30-32

    6 申命13:6-12、ゼカリヤ13:2,3、黙示2:2,4,15,20(*)、17:12,16,17

      * 黙示2:2,14,15,20が正しい

    7 申命4:15-19、行伝17:29、ロマ1:21-23,25

    8 ダニエル3:18、ガラテヤ4:8

    9 出エジプト32:5

    10 出エジプト32:8

    11 列王上18:26,28、イザヤ65:11

    12 詩106:39

    13 マタイ15:9

    14 Ⅰペテロ1:18

    15 エレミヤ44:17

    16 イザヤ65:3-5、ガラテヤ1:13,14

    17 サムエル上13:11,12、15:21

    18 マラキ1:7,8,14

    19 申命4:2

    20 行伝17:22、コロサイ2:21-23

    21 行伝8:18

    22 ロマ2:22、マラキ3:8

    23 出エジプト4:24-26

    24 マタイ22:5、マラキ1:7,13

    25 マタイ23:13

    26 行伝13:44,45、Ⅰテサロニケ2:15,16

問110 第二戒を一層く主張するために付加されている理由は、何であるか。

答 第二戒を一層強く主張するために「あなたの神、主であるわたしは、ねたむ神であるから、わたしを憎むものには、父の罪を子に報いて、三四代に及ぼし、わたしを愛し、わたしの戒めを守るものには、恵みを施して、千代に至るであろう」という言葉に含まれて付加されている理由は(1)、次の通りである。すなわち、わたしたちの上にある神の主権と、わたしたちのうちにある神の所有権の外(2)、ご自身への礼拝に対する燃えるような熱心(3)、すべての偽りの礼拝を霊的姦淫として執念深く憤られること(4)、この求めを破る者を神を憎む者と認めて、数代までも罰すると威嚇すること(5)、この戒めに従う者を神を愛してその戒めを守る者と認めて、末長くあわれみを約束するということである。

    1 出エジプト20:5,6

    2 詩45:11(12)、黙示15:3,4

    3 出エジプト34:13,14

    4 Ⅰコリント10:20-22、エレミヤ7:18-20、エゼキエル16:2627、申命32:16-20

    5 ホセア2:2-4

    6 申命5:29

問111 第三戒は何であるか。

答 第三戒は「あなたは、あなたの神、主の名を、みだりに唱えてはならない。主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう」である(1)。

    1 出エジプト20:7

問112 第三戒で、何が求められているか。

答 第三戒が求めていることは、次の通りである。すなわち、神のみ名・称号・属性(1)・規定(2)・み言葉(3)・礼典(4)・祈り(5)・宣誓(6)・誓願(7)・くじ(8)・みわざ(9)・その他、神がそれによってご自分を知らせようとされるどんなことがあるとしても、それらが思想(10)とめい想(11)と言葉(12)と文書(13)において、きよい告白(14)と責任のある行動(15)とにより、神の栄光(16)とわたしたち自身(17)や他の人々の福祉(18)のために、きよく敬けんに用いられることである。

    1 マタイ6:9、申命28:58、詩29:2、68:4、黙示15:3,4

    2 マラキ1:14、伝道5:1(4:17)

    3 詩138:2

    4 Ⅰコリント11:24,25,28,29

    5 Ⅰテモテ2:8

    6 エレミヤ4:2

    7 伝道5:2,4-6(5:1,3-5)

    8 行伝1:24,26

    9 ヨブ36:24

    10 マラキ3:16

    11 詩8:1,3,4,9(*)

      * 詩8篇が正しい。上記の表記となったのは、Fee Presbyterian Publications版で

       詩8:1,3,4,9のみ聖句と共に記されており、最後に括弧書きで「詩編全体よ見よ」

       となっていることからの誤用だと考えられる。

    12 コロサイ3:17、詩105:2,5

    13 詩102:18(19)

    14 Ⅰペテロ3:15、ミカ4:5

    15 ピリピ1:27

    16 Ⅰコリント10:31

    17 エレミヤ32:39

    18 Ⅰペテロ2:12

問113 第三戒で禁じられている罪は、何であるか。

答 第三戒で禁じられている罪は、次の通りである。すなわち、求められているように神のみ名を用いないこと(1)、神の称号・属性(2)・規定(3)・みわざ(4)の無知な(5)・空しい(6)・不敬けんな・汚らわしい(7)・迷信的な(8)・悪意ある言及、その他の用い方によってみ名を乱用することであって、それは、冒とく(9)、偽誓(10)、すべての罪深いのろい(11)・宣誓(12)・誓願(13)・くじ(14)、正しい場合の宣誓や誓願の破棄(15)、不正な事柄についてのそれらの成就(16)、神の聖定(17)と摂理(18)へのつぶやきや抗弁(19)・猟奇的なせんさく(20)・誤った適用、み言葉またはその一部でも卑しい冗談(21)・猟奇的で無益な疑問・空しいおしゃべり・偽りの教理の支持(22)のために誤り解釈し(23)・誤り適用し(24)・またはどのような方法ででも曲げること(25)、み名と被造物と神のみ名に含まれている何ものをでも、呪文(26)・罪深い欲望と習慣(27)のために誤用すること、神の真理・恵み・手段に対する悪意(28)・あざけり(29)・ののしり(30)・またはどのような方法ででも反対すること(31)、偽善的に、あるいは悪い目的に宗教を告白すること(32)・不快で(33)・愚かな(34)・稔りのない(35)・つまずきとなる歩み(36)なり、背教(37)によって、み名を恥じたり(38)、はずかしめることによる。

    1 マラキ2:2

    2 列王下18:30,35、出エジプト5:2、詩139:20(*)

      * 1648年版の139:10は誤植

    3 詩50:16,17

    4 イザヤ5:12

    5 行伝17:23

    6 箴言30:9

    7 マラキ1:6,7,12、3:14

    8 サムエル上4:3,4,5、エレミヤ7:4,910,14,31、コロサイ2:20-22

    9 列王下19:22、レビ24:11

    10 ゼカリヤ5:4、8:17

    11 サムエル上17:43、サムエル下16:5

    12 エレミヤ5:7、23:10

    13 申命23:18(19)、行伝23:12,14

    14 エステル3:7、9:24、詩22:18(19)

    15 詩24:4、エゼキエル17:16,18,19

    16 マルコ6:26、サムエル上25:22,32-34

    17 ロマ3:5,7、6:1,2(*)

      * ローマ3:5,7、6:1が正しい。

    18 伝道8:11、9:3、詩39篇

    19 ロマ9:14,19,20

    20 申命29:29(28)

    21 イザヤ22:13、エレミヤ23:34,36,38等(*)

      * 「等」は不要

    22 Ⅰテモテ1:4,6,7、6:4,5,20、Ⅱテモテ2:14、テトス3:9

    23 マタイ5:21-48

    24 エゼキエル13:22

    25 Ⅱペテロ3:16、マタイ22:24-31

    26 申命18:10-14、行伝19:13

    27 Ⅱテモテ4:3,4、ロマ13:13,14、列王上21:9,10、ユダ4

    28 行伝13:45(*)、Ⅰヨハネ3:12

      * 1648年版の13:16は誤記と考えられる

    29 詩1:1、Ⅱペテロ3:3

    30 Ⅰペテロ4:4

    31 行伝13:45,46,50、4:18、19:9、Ⅰテサロニケ2:16、ヘブル10:29

    32 Ⅱテモテ3:5、マタイ23:14、6:1,2,5,16

    33 詩73:14,15

    34 Ⅰコリント6:5,6、エペソ5:15-17

    35 イザヤ5:4、Ⅱペテロ1:8,9

    36 ロマ2:23,24

    37 ガラテヤ3:1,3、ヘブル6:6

    38 マルコ8:38

問114 第三戒には、どんな理由が付加されているか。

答 「あなたの神、主」また「主は、み名をみだりに唱えるものを、罰しないでは置かないであろう」という言葉で、第三戒に付加されている理由は(1)、彼が主、またわたしたちの神であり、従ってそのみ名が、わたしたちによって汚されたり、どのような方法ででも誤用されてはならないということ(2)、特に彼はこの戒めの違反者を放免したり見逃すどころか、たとえ多くの違反者が人々の非難と刑罰を逃れようとも(3)、彼の正しいさばきを逃れることは許されないということである(4)。

    1 出エジプト20:7

    2 レビ19:12

    3 サムエル上2:12,17,22,24(サムエル上3:13と比較)(*)

      * サムエル上2:12,17,22,24とサムエル上3:13とを比較

    4 エゼキエル36:21-23、申命28:58,59、ゼカリヤ5:2-4

問115 第四戒は何であるか。

答 第四戒は「安息日を覚えて、これを聖とせよ。六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。七日目はあなたの神、主の安息であるから、なんのわざをもしてはならない。あなたもあなたのむすこ、娘、しもべ、はしため、家畜、またあなたの門のうちにいる他国の人もそうである。主は六日のうちに、天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれたからである。それで主は安息日を祝福して聖とされた」である(1)。

    1 出エジプト20:8-11

問116 第四戒では、何が求められているか。

答 第四戒はすべての人々に、神がそのみ言葉の中で命じられた一定の時、すなわち明らかに七日のうちの丸一日を、神に対して聖別すること、またはきよく守ることを求めている。それは、世の初めからキリストの復活までは週の第七日であったが、それ以後引き続き世の終りまでは、週の第一日である。これがキリスト教の安息日であって(1)、新約聖書では「主の日」と呼ばれる(2)。

    1 申命5:12-14、創世2:2,3、Ⅰコリント16:12、行伝20:7、マタイ5:17,18、

      イザヤ56:2,4,6,7

    2 黙示1:10

問117 安息日すなわち主の日は、どのように聖別されなければならないか。

答 安息日すなわち主の日は、次のようにして聖別されなければならない。すなわち、いつでも有罪であるようなわざからばかりでなく、他の日なら合法的であるような世俗の職や娯楽からさえも(1)、終日きよく休むことにより(2)、また(止むをえないわざや慈善のわざに用いられる時間を除いて(3))その全時間を公的・私的礼拝の実践に費やすことを、わたしたちの喜びとすることによってである(4)。その目的のためには、わたしたちは心の備えをし、また一層自由の身でその日の義務に当たれるよう、大いに見通しと勤勉と節度とをもって世俗の仕事を処理し、適切に手早く片付けなければならない(5)。

    1 出エジプト16:25-28、ネヘミヤ13:15-22(*)、エレミヤ17:21,22

      * 1648年版は、ネヘミヤ13:15-19,21,22

    2 出エジプト20:8,10

    3 マタイ12:1-13

    4 イザヤ58:13、ルカ4:16、行伝20:7、Ⅰコリント16:1,2、詩92篇(*)、

      イザヤ66:23、レビ23:3

      * 詩92編タイトル(92:1)が正しい

    5 出エジプト20:8、ルカ23:54,56、出エジプト16:22,25,26,29、ネヘミヤ13:19

問118 なぜ、安息日を守る責任が、特に家族の主人や他の上の人に命じられているのか。

答 安息日を守る責任が、特に家族の主人や他の上の人に命じられているのは、彼らが安息日を自ら守ることだけでなく、自分の監督下にあるすべての者によって守られるよう注意する義務があるから、またしばしば、自分自身の職によって彼らを妨げがちだからである(1)。

    1 出エジプト20:10、ヨシュア24:15、ネヘミヤ13:15,17、エレミヤ17:20-22、出エジプト23:12

問119 第四戒で禁じられている罪は、何であるか。

答 第四戒で禁じられている罪は、次の通りである。すなわち、求められている義務のすべての不履行(1)。すべて不注意・不行届き・無益にそれらを行ない、飽きること(2)。怠慢により、またそれ自体で有罪なことを行なうことにより(3)、また世俗の職や娯楽に関するすべて不必要なわざと言葉と思いとによって(4)、この日を汚すことすべてである。

    1 エゼキエル22:26

    2 行伝20:7,9、エゼキエル33:30-32、アモス8:5、マラキ1:13

    3 エゼキエル23:38

    4 エレミヤ17:24,27、イザヤ58:13

問120 第四戒を一層く主張するために付加されている理由は、何であるか。

答 第四戒を一層強く主張するために付加されている理由は、次の事柄から取られている。すなわち「六日のあいだ働いて、あなたのすべてのわざをせよ」という言葉において、神が七日のうちの六日をわたしたち自身の用のために許可し、ご自身のためには一日しか取り分けなさらないこの戒めの公平さから(1)。神がその日には特別の所有権を主張されること、すなわち「七日目はあなたの神、主の安息である」ことから(2)。「六日のうちに天と地と海と、その中のすべてのものを造って、七日目に休まれた」神の模範から。また神がこの日を神礼拝用のきよい日として聖別されただけでなく、わたしたちが聖別する時、これがわたしたちに対する祝福の手段となるよう定め、「それで主は安息日を祝福して、聖とされた」ことによって、神がこの日の上に置かれた祝福からである(3)。

    1 出エジプト20:9

    2 出エジプト20:10

    3 出エジプト20:11

問121 なぜ、「えよ」という言葉が、第四戒の初めに置かれているのか。

答 「覚えよ」という言葉が、第四戒の初めに置かれているのは(1)、次の理由による。すなわち、一部には、それを覚えることの大きな利益のためであって、わたしたちはそのおかげで、これを守る準備において助けられるし(2)、またこれを守るに当たって、残り全部の戒めも一層良く守り(3)、宗教の短い要約を含む創造とあがないという二大利益についての感謝に満ちた記憶を継続させることを助けられる(4)。また一部には、わたしたちがそれを忘れやすいからであって(5)、それは、このための自然の光が比較的少ないのに(6)、他の時なら合法的な事柄におけるわたしたちの自然的な自由を抑圧するから(7)、またこれが七日に一度しか訪れず、多くの世俗の仕事が間にはいって、あまりにしばしばわたしたちの心を奪い、準備のためであれ聖別のためであれ、これについて考えることを妨げるから(8)、またサタンがその手先を用いて、この日の栄光とその記憶さえも拭い去り、無宗教と不敬けんにおとしいれようと、大いに苦労しているからである(9)。

    1 出エジプト20:8

    2 出エジプト16:23、ルカ23:54,56(マルコ15:42と比較)(*)、ネヘミヤ13:19

      * ルカ23:54,56とマルコ15:42を比較

    3 詩92編(13,14節と比較)(*)、エゼキエル20:12,19,20

      * 詩92編タイトル(92:1)と92:13,14(14,15)を比較

    4 創世2:2,3、詩118:22,24(行伝4:10、11と比較)(*)、黙示1:10

      * 詩118:22,24と行伝4:10,11を比較

    5 エゼキエル22:26

    6 ネヘミヤ9:14

    7 出エジプト34:21

    8 申命5:14,15、アモス8:5

    9 哀歌1:7、エレミヤ17:21-23、ネヘミヤ13:15-23

問122 人間にするわたしたちの義務を含む六つの戒めの要約は、何であるか。

答 人間に対するわたしたちの義務を含む六つの戒めの要約は、自分自身のようにわたしたちの隣り人を愛すること、また他人からしてほしいことを、彼らに行なうことである(1)。

    1 マタイ22:39

    2 マタイ7:12

問123 第五戒は何であるか。

答 第五戒は「あなたの父と母を敬え。これは、あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである」である(1)。

    1 出エジプト20:12

問124 第五戒の父や母とは、だれのことであるか。

答 第五戒の父や母とは、本来の両親ばかりでなく(1)、すべて年齢(2)や賜物(3)での上の人、特に家庭(4)・教会(5)・または国家社会(6)のいずれであれ、神のみ定めによって、権威上わたしたちの上にある人を指すのである。

    1 箴言23:22,25、エペソ6:1、2

    2 Ⅰテモテ5:1,2

    3 創世4:20,21,22、45:8

    4 列王下5:13

    5 列王下2:12、13:14、ガラテヤ4:19

    6 イザヤ49:23

問125 なぜ、上の人が父や母と言われているのか。

答 上の人が父や母と言われているのは、彼らが下の人に対するすべての義務において、本来の両親のように、彼らのいろいろな関係に応じて彼らに愛と優しさを示すことを教えるためであり(1)、また下の人が上の人に対する義務を行なう場合に、彼らの両親にするように、一層自発的に喜んでするよう下の人を促すためである(2)。

    1 エペソ6:4、Ⅱコリント12:14、Ⅰテサロニケ2:7,8,11、民数11:11,12

    2 Ⅰコリント4:14-16、列王下5:13

問126 第五戒の一般的な適用範は、何であるか。

答 第五戒の一般的な適用範囲は、下の人・上の人・また対等の人として、いろいろな関係において、わたしたちが互いに負っている義務の履行である(1)。

    1 エペソ5:21、Ⅰペテロ2:17、ロマ12:10

問127 上の人にして下の人がわなければならない尊敬とは、何であるか。

答 上の人に対して下の人が払わなければならない尊敬は、次の通りである。すなわち、心(1)と言(5)、彼らの正当な命令と忠告への心からの従順(6)、彼らのきょう正への当然な服従(7)、彼らのいろいろな地位と立場の性質とに応じた(8)、その人物と権威に対する忠信(9)と弁護(10)と支持、彼らの弱さを忍び、愛をもってそれを包み(11)、彼らにもその支配にも名誉となるようにすることである(12)。

    1 マラキ1:6、レビ19:3

    2 箴言31:28、Ⅰペテロ3:6

    3 レビ19:32、列王上2:19

    4 Ⅰテモテ2:1,2

    5 ヘブル13:7、ピリピ3:17

    6 エペソ6:1,2,5-7、Ⅰペテロ2:13,14、ロマ13:1-5、ヘブル13:17、

      箴言4:3,4、23:22、出エジプト18:19,24

    7 ヘブル12:9、Ⅰペテロ2:18-20

    8 マタイ22:21、ロマ13:6,7、Ⅰテモテ5:17,18、ガラテヤ6:6、創世45:11、47:12

    9 テトス2:9,10

    10 サムエル上26:15,16、サムエル下18:3、エステル6:2

    11 Ⅰペテロ2:18、箴言23:22、創世9:23

    12 詩127:3-5、箴言31:23

問128 上の人にする下の人の罪とは、何であるか。

答 上の人に対する下の人の罪は、次の通りである。すなわち、求められている上の人への義務をすべて無視すること(1)、正当な忠告(2)や命令やきょう正(3)を受けた場合に、彼らの人物(4)と地位(5)を羨み(6)、軽んじ(7)、反抗すること(8)、のろい、あざけり(9)、また彼らとその支配にとって恥や不名誉になるような、すべてわがままでつまずきとなる態度である(10)。

    1 マタイ15:4-6

    2 サムエル上2:25

    3 申命21:18-21

    4 出エジプト21:15

    5 サムエル上10:27

    6 民数11:28,29

    7 サムエル上8:7、イザヤ3:5

    8 サムエル下15:1-12(*)

      * 松谷訳は、15:1-22とあるが、これは1648年版が読みづらく、15:1-22と

       読み取ったためと考えられる。

    9 箴言30:11,17

    10 箴言19:26

問129 上の人が下の人にするように求められているのは、何であるか。

答 上の人に求められていることは、次の通りである。すなわち、彼らが神から授かった権力と置かれている関係に応じて、下の人を愛し(1)、祈り(2)、祝福すること(3)。彼らに教え(4)、すすめ、戒めること(5)。良いことをした人には奨励(6)と推賞(7)とほう賞を与え(8)、悪いことをした人には恥(9)と叱責と懲戒を加えること(10)。彼らを保護し(11)、その心(12)と体に必要なすべてのものを支給すること(13)。威厳ある賢明なきよい模範的態度で、神の栄光を輝かし(14)、自身の名誉を高め(15)、神から授かった権威を保つことである(16)。

    1 コロサイ3:19、テトス2:4

    2 サムエル上12:23、ヨブ1:5

    3 列王上8:55,56、ヘブル7:7、創世49:28

    4 申命6:6,7

    5 エペソ6:4

    6 Ⅰペテロ3:7

    7 Ⅰペテロ2:14、ロマ13:3

    8 エステル6:3

    9 ロマ13:3,4

    10 箴言29:15、Ⅰペテロ2:14

    11 ヨブ29:12-17、イザヤ1:10,17

    12 エペソ6:4

    13 Ⅰテモテ5:8

    14 Ⅰテモテ4:12、テトス2:3-5

    15 列王上3:28

    16 テトス2:15

問130 上の人の罪とは、何であるか。

答 上の人の罪とは、次の通りである。すなわち、彼らに求められている義務を無視することの外に(1)、自我(2)・おのれの栄光(3)・安逸・利益・快楽を過度に追求すること(4)。不正なこと(5)や下の人の力ではできないことを命令すること(6)。悪いことをすすめたり(7)、応援したり(8)、賛成すること(9)。良いことをするのを止めさせたり、はばんだり、反対すること(10)。不当にきょう正すること(11)。不注意に不正や誘惑や危難に会わせたり、捨ておくこと(12)。怒らせること(13)。あるいは不正・軽率・苛酷または怠慢な振舞で、いずれにせよ自分の名誉を汚したり、その権威を傷つけることである(14)。

    1 エゼキエル34:2-4

    2 ピリピ2:21

    3 ヨハネ5:44、7:18

    4 イザヤ56:10,11、申命17:17

    5 ダニエル3:4-6、行伝4:17,18

    6 出エジプト5:10-18、マタイ23:2,4

    7 マタイ14:8(をマルコ6:24と比較)(*)

      * マタイ14:8とマルコ6:24を比較

    8 サムエル下13:28

    9 サムエル上3:13

    10 ヨハネ7:46-49、コロサイ3:21、出エジプト5:17

    11 Ⅰペテロ2:18-20、ヘブル12:10、申命25:3

    12 創世38:11,26、行伝18:17

    13 エペソ6:4

    14 創世9:21、列王下12:13-16、1:6、サムエル上2:29-31

問131 等の人の義務とは、何であるか。

答 対等の人の義務は、人を自分よりすぐれた者として尊びながら(1)、互いの尊厳と価値を認め合うこと(2)、また互いの賜物と進歩を自分のことのように喜ぶことである(3)。

    1 ロマ12:10

    2 Ⅰペテロ2:17

    3 ロマ12:15,16、ピリピ2:3,4

問132 等の人の罪とは、何であるか。

答 対等の人の罪とは、求められている義務を無視することの外(1)、互いに相手の価値を低く評価したり(2)、賜物をうらやんだり(3)、進歩や繁栄を残念がったり(4)、互いに人の上に立とうとすることである(5)。

    1 ロマ13:8

    2 Ⅱテモテ3:3

    3 行伝7:9、ガラテヤ5:26

    4 民数12:2、エステル6:12,13

    5 Ⅲヨハネ9、ルカ22:24

問133 第五戒を一層く主張するために付加されている理由は、何であるか。

答 「あなたの神、主が賜わる地で、あなたが長く生きるためである」という言葉で、第五戒に付加されている理由(1)は、この戒めを守るすべての人に対する、神の栄光と自身の福祉に役立つ限りでの、長寿と繁栄の明白な約束である(2)。

    1 出エジプト20:12

    2 申命5:16、列王上8:25、エペソ6:2,3

問134 第六戒は何であるか。

答 第六戒は「あなたは殺してはならない」である(1)。

    1 出エジプト20:13

問135 第六戒で求められている義務は、何であるか。

答 第六戒で求められている義務は、次の通りである。すなわち、自分(1)と他人(2)の命を保持するため、できる限り注意深く研究し、合法的に努力することであって、それは、だれのであれ不正に命を奪うようになるすべての思いと企てを制御し(3)、すべての感情を押え(4)、すべての機会(5)・誘惑(6)・習慣を避けることにより(7)、暴力に対する正当防衛(8)・神のみ手を忍耐して辛抱すること(9)・精神の平静(10)・心の喜びにより(11)、食物(12)・飲物(13)・医薬(14)・睡眠(15)・労働(16)・娯楽(17)を適度に用いることにより、慈悲深い思い(18)・愛(19)・同情(20)・柔和・温順・親切により(21)、穏和な(22)礼節ある言葉づかいや行為(23)・忍耐・進んで人と和らぐこと・傷害を忍んで耐えまた許すこと・悪に報いるのに善をもってすることにより(24)、また悩む者を慰め助け・罪のない者を保護し防御することによるのである(25)。

    1 エペソ5:28,29

    2 列王下18:4

    3 エレミヤ26:1516、行伝23:12,16,17,21,27

    4 エペソ4:26,27

    5 サムエル下2:22、申命22:8

    6 マタイ4:6,7、箴言1:10,11,15,16

    7 サムエル上24:12、26:9-11、創世37:21,22

    8 詩82:4、箴言24:11,12、サムエル上14:45

    9 ヤコブ5:7-11、ヘブル12:9

    10 Ⅰテサロニケ4:2(*)、Ⅰペテロ3:3,4(**)、詩37:8-11

      * Ⅰテサロニケ4:11が正しい。  ** Ⅰペテロ3:4が正しい。

    11 箴言17:22

    12 箴言25:16,27

    13 Ⅰテモテ5:23

    14 イザヤ38:21

    15 詩127:2

    16 伝道5:12(5:11)、Ⅱテサロニケ3:10,12、箴言16:26

    17 伝道3:4,11

    18 サムエル上19:4,5、22:13,14

    19 ロマ13:10

    20 ルカ10:33,34(*)

      * ルカ10:33-35が正しい

    21 コロサイ3:12,13

    22 ヤコブ3:17

    23 Ⅰペテロ3:8-11、箴言15:1、士師8:1-3

    24 マタイ5:24、エペソ4:2,32、ロマ12:17,20,21

    25 Ⅰテサロニケ5:14、ヨブブ31:19,20、マタイ25:35,36、箴言31:8,9

問136 第六戒で禁じられている罪は、何であるか。

答 第六戒で禁じられている罪は、次の通りである。すなわち、社会正義(1)・合法的戦争(2)・止むをえない防衛の場合以外(3)に、すべて自分(4)または他人(5)の命を奪うこと。生命保持の合法的な、または止むをえない手段を無視したり撤回したりすること(6)。罪深い怒り(7)・憎しみ(8)・うらやみ(9)・復しゅう心(10)、すべての過度の情欲(11)、取り乱した思いわずらい(12)、食物・飲物(13)・労働(14)・娯楽(15)に度を過ごすこと。人を怒らせる言葉(16)・虐待(17)・口論(18)・殴打・傷害(19)・またその他、だれのであれ命を滅ぼすようになるすべてのことである(20)。

    1 民数35:31,33

    2 エレミヤ48:10、申命20章

    3 出エジプト22:2,3

    4 行伝16:28

    5 創世9:6

    6 マタイ25:42,43、ヤコブ2:15,16、伝道6:1,2

    7 マタイ5:22

    8 Ⅰヨハネ3:15、レビ19:17

    9 箴言14:30

    10 ロマ12:19

    11 エペソ4:31

    12 マタイ6:31,34

    13 ルカ21:34、ロマ13:13

    14 伝道12:12、2:22,23

    15 イザヤ5:12

    16 箴言15:1、12:18

    17 エゼキエル18:18、出エジプト1:14

    18 ガラテヤ5:15、箴言23:29

    19 民数35:16-18,21

    20 出エジプト21:18-36

問137 第七戒は何であるか。

答 第七戒は「あなたは姦淫してはならない」である。

    1 出エジプト20:14

問138 第七戒で求められている義務は、何であるか。

答 第七戒で求められている義務は、次の通りである。すなわち、体・精神・感情(1)・言葉(2)・行動の純潔(3)、それを自分自身と他人の間で保持すること(4)、目やすべての感覚に注意深くあること(5)、節制(6)・きよい交際を守ること(7)・服装の質素さ(8)・禁欲の賜物がない人々の結婚(9)・夫婦愛(10)・夫婦生活(11)、自分の職分に忠実に働くこと(12)、不潔へのすべての機会を避け、それへの誘惑に抵抗することである(13)。

    1 Ⅰテサロニケ4:4、ヨブ31:1、Ⅰコリント7:34

    2 コロサイ4:6

    3 Ⅰペテロ3:2

    4 Ⅰコリント7:2,35,36

    5 ヨブ31:1

    6 行伝24:24,25

    7 箴言2:16-20(*)

      * 箴言2:16-21が正しい

    8 Ⅰテモテ2:9

    9 Ⅰコリント7:2,9

    10 箴言5:19,20

    11 Ⅰペテロ3:7

    12 箴言31:11,27,28

    13 箴言5:8、創世39:8-10

問139 第七戒で禁じられている罪は、何であるか。

答 第七戒で禁じられている罪は、求められている義務を無視することの外には(1)、次の通りである。すなわち、姦淫・不品行(2)・強姦・血族相姦(3)・男色およびすべての不自然な欲情(4)、すべての不潔な想像・思想・企て・感情(5)、すべて汚れた卑わいな会話・またはそれに耳を傾けること(6)、みだらな態度(7)・図々しい軽薄な行動・慎みのない服装(8)・合法的結婚を禁止すること(9)・不合法な結婚を許可すること(10)、娼婦を許可し黙認し蓄えること・また売娼すること(11)、独身生活へのとらわれた誓願(12)・不当な結婚延期(13)、同時に多妻または多夫をもつこと(14)、不正な離婚(15)や配偶者遺棄(16)、逸楽・暴食・泥酔(17)・不貞な交際(18)、みだらな歌・本・絵・踊り・演劇(19)・その他自分自身や他人に汚れを挑発したり行なったりするすべてのことである(20)。

    1 箴言5:7

    2 ヘブル13:4、ガラテヤ5:19

    3 サムエル下13:14、Ⅰコリント5:1

    4 ロマ1:24,26,27、レビ20:15,16

    5 マタイ5:28、15:19、コロサイ3:5

    6 エペソ5:3,4、箴言7:5,21,22

    7 イザヤ3:16、Ⅱペテロ2:14

    8 箴言7:10,13

    9 Ⅰテモテ4:3

    10 レビ18:1-21、マルコ6:18、マラキ2:11,12(*)

      * 1648年版のマタイ2:11,12は誤植と思われる

    11 列王上15:12、列王下23:7、申命23:17,18、レビ19:29、エレミヤ5:7、箴言7:24-27

    12 マタイ19:10,11

    13 Ⅰコリント7:7-9、創世38:26

    14 マラキ2:14,15、マタイ19:5

    15 マラキ2:16、マタイ5:32

    16 Ⅰコリント7:12,13

    17 エゼキエル16:49、箴言23:30-33(*)

      * 1648年版は、箴言23:30,33。松谷訳もこれを採用している。

    18 創世39:10、箴言5:8

    19 エペソ5:4、エゼキエル23:14-16、イザヤ23:15-17、3:16、マルコ6:22、

       ロマ13:13、Ⅰペテロ4:3

    20 列王下9:30(エレミヤ4:30、エゼキエル23:40と比較)(*)

      * 列王下9:30をエレミヤ4:30、エゼキエル23:40と比較

問140 第八戒は何であるか。

答 第八戒は「あなたは盗んではならない」である。

    1 出エジプト20:15

問141 第八戒で求められている義務は、何であるか。

答 第八戒で求められている義務は、次の通りである。すなわち、人と人との間の契約や取引きにおいての真実・忠実・正義(1)、各人にその義務を果たすこと(2)、正当な所有者から不法に手に入れた財産を賠償すること(3)、自分の能力と他人の必要に応じて無償で与えまた貸すこと(4)、この世の所有についての自己の判断・意志・感情に節度のあること(5)、自分たちの性質の維持に必要かつ便利であり、またその状態に適切である事物を、獲得(6)・保持・使用・処理するための慎重な注意と研究(7)、合法的な職業(8)とその勤勉さ(9)、倹約(10)、不要な訴訟(11)や保証やその他同様の債務(12)を避けること、自分同様他人の富と生活状態を獲得・保存・助長するために正しい合法的手段をつくして励むことである(13)。

    1 詩15:2,4、ゼカリヤ7:4,10(*)、8:16,17

      * 1648年版ではゼカリヤ7:4,20と読み取れるが、誤記と思われる。

    2 ロマ13:7

    3 レビ6:2-5(ルカ19:8と比較)(*)

      * レビ6:2-5とルカ19:8を比較

    4 ルカ6:30,38、Ⅰヨハネ3:17、エペソ4:28、ガラテヤ6:10

    5 Ⅰテモテ6:6-9、ガラテヤ6:14

    6 Ⅰテモテ5:8

    7 箴言27:23-27、伝道2:24、3:12,13、Ⅰテモテ6:17,18、イザヤ38:1、

      マタイ11:8

    8 Ⅰコリント7:20、創世2:15、3:19

    9 エペソ4:28、箴言10:4

    10 ヨハネ6:12、箴言21:20

    11 Ⅰコリント6:1-9

    12 箴言6:1-6、11:15

    13 レビ23:35、申命22:1-4、出エジプト23:4,5、創世47:14,20、ピリピ2:4、

      マタイ22:39

問142 第八戒で禁じられている罪は、何であるか。

答 第八戒で禁じられている罪は、求められている義務を無視することの外には(1)、次の通りである。すなわち、窃盗(2)・強奪(3)・誘かい(4)・盗品を受けること(5)、詐欺行為(6)・不正な度量衡(7)・地境の移動(8)(*)・人と人との間の契約(9)や信用問題上(10)の不正や不忠実、しえたげ(11)・ゆすり(12)・高利(13)・まいない(14)・人いじめな訴訟(15)・不正な土地取得とそのための住民追放(16)、価格引上げのための必需品買占め(17)・不合法な職業(18)・その他、隣人からその所有をとったり、与えなかったり、あるいは自分を富ませるためのすべての不正な罪深い方法(19)、貪欲(20)・この世の財産を過度に尊び愛すること(21)、それを獲得・保持・使用する場合の不信仰な取り乱した思いわずらいや研究(22)、他人の繁栄をねたむこと(23)、怠慢(24)・放とう・浪費的なとばく・わたしたちが自分自身の生活状態を不当にそこなうその他すべての方法(25)、神がわたしたちに与えられた状態を正当に使用し慰めをえることについて自分を欺くことである(26)。

  * RCJ訳は、(8)は記載ミスで記されていません。

    1 ヤコブ2:15,16、Ⅰヨハネ3:17

    2 エペソ4:28

    3 詩62:10(62:11)

    4 Ⅰテモテ1:10

    5 箴言29:24、詩50:18

    6 Ⅰテサロニケ4:6

    7 箴言11:1、20:10

    8 申命19:14、箴言23:10

    9 アモス8:5、詩37:21

    10 ルカ16:10-12

    11 エゼキエル22:29、レビ25:17

    12 マタイ23:25、エゼキエル22:12

    13 詩15:5

    14 ヨブ15:34

    15 Ⅰコリント6:6-8、箴言3:29,30

    16 イザヤ5:8、ミカ2:20

    17 箴言11:26

    18 行伝19:19,24,25

    19 ヨブ20:19、ヤコブ5:4、箴言21:6

    20 ルカ12:15

    21 Ⅰテモテ6:5、コロサイ3:2、箴言23:5、詩62:10(62:11)

    22 マタイ6:25,31,34、伝道5:12(5:11)

    23 詩73:3、37:1,7

    24 Ⅱテサロニケ3:11、箴言18:9

    25 箴言21:17、23:20,21、28:19

    26 伝道4:8、6:2、Ⅰテモテ5:8

問143 第九戒は何であるか。

答 第九戒は「あなたは隣人について、偽証してはならない」である(1)。

    1 出エジプト20:16

問144 第九戒で求められている義務は、何であるか。

答 第九戒で求められている義務は、次の通りである。すなわち、人と人との間の真実(1)を、またわたしたち自身の名声と同様に隣人の名声を保持増進すること(2)、真理のために立ち味方すること(3)、裁判・正義(4)・その他すべての事柄に関して(5)、心から(6)・誠実に(7)・自由に(8)・明白に(9)・十分に(10)真実を、そして真実のみを語ること、隣人を心広く尊敬すること(11)、彼らの名声を愛し願い喜ぶこと(12)、彼らの欠点を悲しみ(13)包むこと(14)、彼らの才能や長所を心から認めること(15)、彼らの潔白を擁護すること(16)、彼らに関する好評を受け入れるに早く(17)、悪評を認容するのに遅いこと(18)、陰口を言う者(19)・へつらう者(20)・中傷する者(21)に水をさすこと、自分自身の名声を愛し大切にし、必要の場合にはそれを擁護すること(22)、合法的な約束を守ること(23)、すべて真実なこと・尊ぶべきこと・愛すべきこと・誉れあることを学び、実行することである(24)。

    1 ゼカリヤ8:16

    2 Ⅲヨハネ12

    3 箴言31:8,9

    4 レビ19:15、箴言14:5,25

    5 Ⅱコリント1:17,18、エペソ4:25

    6 詩15:2

    7 歴代下19:9

    8 サムエル上19:4,5

    9 ヨシュア7:19

    10 サムエル下14:18-20

    11 ヘブル6:9、Ⅰコリント13:7

    12 ロマ1:8、Ⅱヨハネ4、Ⅲヨハネ3,4

    13 Ⅱコリント2:4、12:21

    14 箴言17:9、Ⅰペテロ4:8

    15 Ⅰコリント1:4,5,7、Ⅱテモテ1:4,5

    16 サムエル上22:14

    17 Ⅰコリント13:6,7

    18 詩15:3

    19 箴言25:23

    20 箴言26:24,25

    21 詩101:5

    22 箴言22:1、ヨハネ8:49

    23 詩15:4

    24 ピリピ4:8

問145 第九戒で禁じられている罪は、何であるか。

答 第九戒で禁じられている罪は、次の通りである。すなわち、すべて、真理とわたしたち自身や隣人の名声を(1)、特に公のさばきにおいて(2)傷つけること、偽りの証拠を与えること(3)、偽証をさせること(4)、意識して悪い申し立てのために立ちまた弁じること、真理にいどみかかり抑圧すること(5)、不正な宣告をくだすこと(6)、悪を善・善を悪と呼ぶこと、悪人に義人のわざに対するのと同じように扱い・義人に悪人のわざに対するのと同じように報いること(7)、がん造(8)、真理の隠蔽、正しい申し立てにおける不当な沈黙(9)、不正行為がわたしたち自身からのけん責(10)、または他の者への苦情(11)、要求しているのに沈黙を守ること、場所柄をわきまえないで(12)または悪い目的のために悪意から(13)または悪い意味に曲げて(14)、または真理や正義を害するために疑わしいあいまいな表現で(15)、真理を語ること(16)、偽り(17)、中傷(18)、陰口(19)名誉き損(20)、告げ口(21)、ひそひそ話(22)、嘲笑(23)、悪口(24)、無分別で(25)荒々しい(26)偏頗な批評(27)、意図・言葉・行動の誤解(28)、へつらい(29)、むなしい誇り(30)、自分自身や他人について過大または過小に考えたり語ること(31)、神の賜物や恵みを否定すること(32)、比較的ささいな過誤を重くすること(33)、率直な告白の求められている場合に罪を隠し・言訳し・軽くすること(34)、弱点を不必要にあばくこと(35)、偽りのうわさを立てること(36)、悪い報道を受け入れて肩をもつこと(37)、正しい弁護に耳をかさないこと(38)、邪推(39)、ひとの正当な信用をうらやんだり残念がること(40)、それを傷つけようと努めたり願うこと(41)、ひとの不名誉や弱みを喜ぶこと(42)、冷笑的な軽蔑(43)、他愛もない賞賛(44)、合法的約束の破棄(45)、ほまれあることを無視すること(46)、悪名を招来するような事柄を実行すること、またはそれから身を避けないことまたはできるだけ他人をそれから防がないことである(47)。

    1 サムエル上17:28、サムエル下16:3、1:9,10,15,16

    2 レビ19:15、ハバクク1:4

    3 箴言19:5、6:16,19

    4 行伝6:13

    5 エレミヤ9:3,5(9:2,4)、行伝24:2,5、詩12:3,4(12:4,5)、

      詩52:1-4(52:3-6)

    6 箴言17:15、列王上21:9-14(*)

      * 21:9-13が正しい(1648年版より)

    7 イザヤ5:23

    8 詩119:69、ルカ19:8、16:5-7

    9 レビ5:1、申命13:8(13:9)、行伝5:3,8,9、Ⅱテモテ4:6(*)

      * Ⅱテモテ4:16が正しい(1648年版より)。

    10 列王上1:6、レビ19:17

    11 イザヤ59:4

    12 箴言29:11

    13 サムエル上22:9,10(詩52:1-5(52:3-7)と比較)(*)(**)

      * 詩52:1-4(52:3-7)が正しい(1648年版より)

      ** サムエル上22:9,10と詩52:1-4(52:3-6)を比較

    14 詩56:5(56:6)、ヨハネ2:19(マタイ26:60,61と比較)(*)

      * ヨハネ2:19とマタイ26:60,61を比較

    15 創世3:5、26:7,9

    16 イザヤ59:13

    17 レビ19:11、コロサイ3:9

    18 詩50:20

    19 詩15:3

    20 ヤコブ4:11、エレミヤ38:4

    21 レビ19:16

    22 ロマ1:29,30

    23 創世21:6(ガラテヤ4:29と比較)(*)

      * 創世21:6とガラテヤ4:29を比較

    24 Ⅰコリント6:10

    25 マタイ7:1

    26 行伝28:4

    27 創世38:24、ロマ2:1

    28 ネヘミヤ6:6-8、ロマ3:8、詩69:10(69:11)、サムエル上1:13-15、

      サムエル下10:3

    29 詩12:2,3(12:3,4)

    30 Ⅱテモテ3:2

    31 ルカ18:9,11、ロマ12:16、Ⅰコリント4:6、行伝12:22、出エジプト4:10-14

    32 ヨブ27:5,6、4:6

    33 マタイ7:3-5

    34 箴言28:13、30:20、創世3:12,13、エレミヤ2:35、列王下5:25、創世4:9

    35 創世9:22、箴言25:9,10

    36 出エジプト23:1

    37 箴言29:12

    38 行伝7:56,57、ヨブ31:13,14

    39 Ⅰコリント13:5、Ⅰテモテ6:4

    40 民数11:29、マタイ21:15

    41 エズラ4:12,13

    42 エレミヤ48:27

    43 詩35:15,16,21、マタイ27:28,29

    44 ユダ16(*)、使徒12:22

      * 1648年版は、ユダ6となっているが誤植と思われ、1658年版よりユダ16となる。

    45 ロマ1:31、Ⅱテモテ3:3

    46 サムエル上2:24

    47 サムエル下13:12,13、箴言5:8,9、6:33

問146 第十戒は何であるか。

答 第十戒は「あなたは隣人の家をむさぼってはならない。隣人の妻、しもべ、はしため、牛、ろば、またすべて隣人のものをむさぼってはならない」である(1)。

    1 出エジプト20:17

問147 第十戒で求められている義務は、何であるか。

答 第十戒で求められている義務は、次の通りである。すなわち、隣人に対するわたしたちのすべての内的な動きと感情が、彼のすべての良いものに心を配り、それを助成するような(1)、自分自身の状態についての完全な満足(2)と、彼に対する心からの寛容な心構えである。

    1 ヨブ31:29、ロマ12:15、詩122:7-9、Ⅰテモテ1:5、エステル10:3、

      Ⅰコリント13:4-7

    2 ヘブル13:5、Ⅰテモテ6:6

問148 第十戒で禁じられている罪は、何であるか。

答 第十戒で禁じられている罪は、次の通りである。すなわち、自分自身の状態についての不満(1)、隣人の幸福に対する羨望(2)と不平(3)、それと共に、彼のものであるすべてのものに対するあらゆる法外な動きと感情である(4)。

    1 列王上21:4、エステル5:13、Ⅰコリント10:10

    2 ガラテヤ5:26、ヤコブ3:14,16

    3 詩112:9,10、ネヘミヤ2:10

    4 ロマ7:7,8、13:9、コロサイ3:5、申命5:21

問149 だれか、神の戒めを完全に守ることができるか。

答 だれも、自分自身でも(1)、あるいはこの世で受けたどのような恵みによってでも、神の戒めを完全に守ることはできない(2)。かえって、思い(3)と言葉と行為において、それを日ごとに破っている(4)。

    1 ヤコブ3:2、ヨハネ15:5、ロマ8:8(*)

      * ローマ8:3が正しい。8と3が読み間違えられたのであろう。

    2 伝道7:20、Ⅰヨハネ1:8,10、ガラテヤ5:17、ロマ7:18,19

    3 創世6:5、8:21

    4 ロマ3:9-19(*)、ヤコブ3:2-13

      * ロマ3:9-21が正しい(1648年版より)

問150 神の律法の違反は、どれも、それ自身において、また神のみ前に、等しく重罪であるか。

答 神の律法の違反は、どれも、等しく重罪ではない。ある罪はそれ自身において、またいくつかの加重によって、他の罪よりも神のみ前にさらに重罪である(1)。

    1 ヨハネ19:11、エゼキエル8:6,13,15、Ⅰヨハネ5:16、詩78:17,32,56

問151 ある罪を他の罪よりも重罪とする加重とは、何であるか。

答 罪は、次のことから加重される。   * 証拠聖句は段落毎に記しました。

 1 犯罪者から(1)。彼らが、年上の人(2)、一層豊かな経験なり長所をもつ人(3)、職業(4)・賜物(5)・地位(6)職務(7)のゆえに卓越した人、他の者の指導者であり(8)、他の者が手本にすると思われる人である場合(9)。

    1 エレミヤ2:8

    2 ヨブ32:7,9、伝道4:13

    3 列王上11:4,9

    4 サムエル下12:14、Ⅰコリント5:1

    5 ヤコブ4:17、ルカ12:47,48

    6 エレミヤ5:4,5

    7 サムエル下12:7-9、エゼキエル8:11,12

    8 ロマ2:17-24(*)

      * 1648年版は、ロマ6:17-25とあり、6は誤植と考えられる。

       また2:17-24とするのはRCJ訳の誤りであり、2:17-25が正しい。

    9 ガラテヤ2:11-14

 

 2 被害者の側から(10)。直接、神(11)とその属性(12)と礼拝(13)に対し、キリストとその恵みに対し(14)、聖霊(15)とその証し(16)と働き(17)に対し、上の人、卓越した人(18)、特別に関係や契約のある人に対し(19)、聖徒のだれか(20)、特に弱い兄弟(21)、彼らや他のだれかの霊魂(22)、また、すべての人あるいは多くの人の共通の福祉に対する場合(23)。

    10 マタイ21:38,39(*)

      * 1648年版は22:38,39となっているが誤植であろう。

    11 サムエル上2:25、行伝5:4、詩51:4(51:6)

    12 ロマ2:4

    13 マラキ1:8,14

    14 ヘブル2:2,3、12:25

    15 ヘブル10:29、マタイ12:31,32

    16 エペソ4:30

    17 ヘブル6:4-6(*)

      * ヘブル6:4,5が正しい(1648年版より)

    18 ユダ8、民数12:8,9、イザヤ3:5

    19 箴言30:17、Ⅱコリント12:15、詩55:12-15(55:13-16)

    20 ゼパニヤ2:8,10,11、マタイ18:6、Ⅰコリント6:8、黙示17:6

    21 Ⅰコリント8:11,12、ロマ14:13,15,21

    22 エゼキエル13:19、Ⅰコリント8:12、黙示18:12,13(*)、マタイ23:15

      * 黙示18:13が正しい(1648年版より)

    23 Ⅰテサロニケ2:15,16、ヨシュア22:20

 3 犯罪の性質・特色から(24)。律法の明らかな条文に対し(25)、多くの求めを破り、そのうちに多くの罪を含む場合(26)、心にいだかれているだけでなく、言葉と行動にほとばしりで(27)、他人の顔に泥を塗り(28)、償いの余地を残さない場合(29)。恵みの手段(30)・あわれみ(31)・さばき(32)・自然の光(33)・良心の確信(34)・公私の訓戒(35)・教会のけん責(36)・国法による刑罰に対する場合(37)。神と人に対する祈り・企て・約束(38)・誓い(39)・契約(40)・約定に対する場合(41)。熟慮の上(42)・故意に(43)・強引に(44)・無礼に(45)・傲慢に(46)・悪意をもって(47)・ひんぱんに(48)・頑迷に(49)・喜んで(50)・継続的に(51)・あるいは悔い改めた後に逆戻りして犯される場合(52)。

    24 箴言6:30-33(*)

      * 箴言6:30-35(end)が正しい(1648年版より)

    25 エズラ9:1-12、列王上11:9,10

    26 コロサイ3:5、Ⅰテモテ6:10、箴言5:8-12、6:32,33、ヨシュア7:21

    27 ヤコブ1:14,15、マタイ5:22、ミカ2:1

    28 マタイ18:17、ロマ2:23,24

    29 申命22:22,28,29(*)、箴言6:32-35

      * 申命22:22と22:28,29を比較

    30 マタイ11:21-24、ヨハネ15:22

    31 イザヤ1:3、申命32:6

    32 アモス4:8-11(*)

      * アモス4:8-12が正しい(1648年版より)

    33 ロマ1:26,27

    34 ロマ1:32、ダニエル5:22、テトス3:10,11

    35 箴言24:1(*)

      * 箴言29:1が正しい。RCJ訳は、xxixとxxivを間違えたのであろう。

    36 テトス3:10、マタイ18:17

    37 箴言27:22、23:35

    38 詩78:34-37、エレミヤ2:20、42:5,6,20,21

    39 伝道5:4-6(5:3-5)、箴言20:25

    40 レビ26:25

    41 箴言2:17、エゼキエル17:18,19

    42 詩36:4(36:5)

    43 エレミヤ6:16

    44 民数15:30、出エジプト21:14

    45 エレミヤ3:3、箴言7:13

    46 詩52:1(52:3)

    47 Ⅲヨハネ10

    48 民数14:22

    49 ゼカリヤ7:11,12

    50 箴言2:14

    51 イザヤ57:17

    52 エレミヤ34:8-11、Ⅱペテロ2:20-22

 4 時(53)と場所(54)の情況から。主の日(54)、あるいは他の礼拝の時(56)、その直前(57)直後(58)、このような失策の予防策や善後策の後に犯される場合(59)。公に、あるいは他人のいる前で犯され、それによって人々がそそのかされたり、汚されるかもしれない場合(60)。

    53 列王下5:26

    54 エレミヤ7:10、イザヤ26:10

    55 エゼキエル23:37-39

    56 イザヤ58:3-5、民数25:6,7

    57 Ⅰコリント11:20,21

    58 エレミヤ7:8-10、箴言7:14,15、ヨハネ13:27,30

    59 エズラ9:13,14

    60 サムエル下16:22、サムエル上2:22-24

問152 すべての罪は、神のみ手にあって何に値するか。

答 すべての罪は、最も小さい罪でも、神の主権(1)・慈愛(2)・きよさに逆らい(3)、神の正しい律法に反するものであるから(4)、この世でも(5)来世でも(6)、神の怒りとのろいに値し(7)、キリストの血による外に償われることはできない(8)。

    1 ヤコブ2:10,11

    2 出エジプト20:1,2

    3 ハバクク1:13、レビ10:3、11:44,45

    4 Ⅰヨハネ3:4、ロマ7:12

    5 哀歌3:39、申命28:15-68

    6 マタイ25:41

    7 エペソ5:6、ガラテヤ3:10

    8 ヘブル9:22、Ⅰペテロ1:18,19

  2 恩の外的手段

    1 み言葉

問153 律法の違反のため、わたしたちに然である神の怒りとのろいをまぬがれるために、神はわたしたちに何を求められるか。

答 律法の違反のため、わたしたちに当然である神の怒りとのろいをまぬがれるために、神はわたしたちに、神に対する悔改め、わたしたちの主イエス・キリストに対する信仰(1)、キリストが仲保の恵みをわたしたちに伝達される外的手段を忠実に用いること(2)、を求められる。

    1 行伝20:21、マタイ3:7,8、ルカ13:3,5、行伝16:30,31、ヨハネ3:16,18

    2 箴言2:1-5(*)、8:33-36

      * 箴言2:1-6が正しい(1648年版より)

問154 キリストが、その仲保のみをわたしたちに達される外的手段は、何であるか。

答 キリストが、その仲保の恵みを彼の教会に伝達される外的な、普通の手段は、キリストの全規定、特にみ言葉と礼典と祈りであって、これらはすべて、選ばれた者にとって、その救いのために有効とされるのである(1)。

    1 マタイ28:19,20、行伝2:42,46,47

問155 み言葉は、どのようにして救いに有とされるか。

答 神のみたまが、み言葉の朗読・特にその説教を、罪人を啓明し(1)・罪の自覚を与え・へりくだらせること(2)、彼らを自分から離してキリストに導くこと(3)、キリストの形に一致させて(4)、そのみ心に服従させること(5)、誘惑や腐敗に対して強めること(6)、恵みの中に成育させ(7)、信仰によって救いに至るまで、きよめと慰めの中に彼らの心を堅くすることのために、有効な手段とされるのである(8)。

    1 ネヘミヤ8:8、行伝26:18、詩19:8(19:9)

    2 Ⅰコリント14:24,25、歴代下34:18,19,26-28

    3 行伝2:37,41、行伝8:27-39

    4 Ⅱコリント3:18

    5 Ⅱコリント10:4-6、ロマ6:17

    6 マタイ4:4,7,10(*)、エペソ6:16,17、詩19:11(19:12)、Ⅰコリント10:11

      * 1648年版は4:4,7,8とするが誤記であろう。

    7 行伝20:32、Ⅱテモテ3:15-17

    8 ロマ16:25、Ⅰテサロニケ3:2,10,11,13、ロマ15:4、10:13-17、1:16

問156 神のみ言葉は、すべての人にまれなければならないか。

答 すべての人がみ言葉を、会衆に対して公的に朗読することが許されるわけではないが(1)、すべての種類の人々は、自分ひとりで(2)、また家族と共に(3)、み言葉を読まなければならない。その目的のために、聖書は、原語から自国語にほん訳されなければならない(4)。

    1 申命31:9,11-13、ネヘミヤ8:2,3、9:3-5

    2 申命17:19、黙示1:3、ヨハネ5:39、イザヤ34:16

    3 申命6:6-9、創世18:17,19、詩78:5-7

    4 Ⅰコリント14:6,9,11,12,15,16,24,27,28

問157 神のみ言葉は、どのようにまれなければならないか。

答 聖書は、高い敬けんな評価をもって(1)、聖書こそまさしく神のみ言葉であり(2)、神のみがわたしたちに理解させることができるとの確信をもって(3)、聖書に啓示された神のみ心を知り・信じ・服従したいという願いをもって(4)、勤勉に(5)、聖書の内容や範囲に注意して(6)、めい想(7)と適用(8)と自己否定(9)と祈りをもって(10)、読まれなければならない。

    1 詩19:10(19:11)、ネヘミヤ8:3-6,10(*)、出エジプト24:7、歴代下34:27、イザヤ66:2

      * ネヘミヤ8:3-10が正しい。RCJ訳の間違い。

    2 Ⅱペテロ1:19-21

    3 ルカ24:45、Ⅱコリント3:13-16

    4 申命17:10,20(*)

      * 申命17:19,20が正しい(1648年版より)

    5 行伝17:11

    6 行伝8:30,34、ルカ10:26-28

    7 詩1:2、119:97

    8 歴代下34:21

    9 箴言3:5、申命33:3

    10 箴言2:1-6(*)、詩119:18、ネヘミヤ7:6,8(**)

      * 箴言2:1-7が正しい(1648年版より)   ** ネヘミヤ8:6,8が正しい。

問158 神のみ言葉は、だれによって説教されなければならないか。

答 神のみ言葉は、十分に賜物を与えられ(1)、正当にその職務に認定され召された者によってのみ(2)、説教されなければならない。

    1 Ⅰテモテ3:2,6、エペソ4:8-11、ホセア4:6、マラキ2:7、Ⅱコリント3:6

    2 エレミヤ14:15、ロマ10:25、ヘブル5:4、Ⅰコリント12:28,29、Ⅰテモテ3:10、4:14、5:22

問159 神のみ言葉は、その職務に召された者によって、どのように説教されなければならないか。

答 み言葉の宣教に働くよう召された者は、健全な教理(1)を勤勉に、(2)・時が良くても悪くても(3)、平明に(4)・人の知恵の巧みな言葉によらず、み霊と力との証明によって(5)、忠実に(6)・神のみ旨をあますところなく伝えて(7)、賢明に(8)・聴衆の必要と能力に適合して(9)、熱心に(10)・神(11)と神の民の魂への熱愛をもって(12)、誠実に(13)、神の栄光(14)と民の回心(15)と建徳(16)と救い(17)を目ざして説教しなければならない。

      * 点と中黒のどちらかにすべき。

    1 テトス2:1,8

    2 行伝18:25

    3 Ⅱテモテ4:20

    4 Ⅰコリント14:19

    5 Ⅰコリント2:4

    6 エレミヤ23:28、Ⅰコリント4:1,2

    7 行伝20:27

    8 コロサイ1:28、Ⅱテモテ2:15

    9 Ⅰコリント3:2、ヘブル5:12-14、ルカ12:42

    10 行伝18:25

    11 Ⅱコリント5:13,14、ピリピ1:15-17

    12 コロサイ4:12、Ⅱコリント12:15

    13 Ⅱコリント2:17、4:2

    14 Ⅰテサロニケ2:4-6、ヨハネ7:18

    15 Ⅰコリント9:19-22

    16 Ⅱコリント12:19、エペソ4:12

    17 Ⅰテモテ4:16、行伝26:16-18

問160 み言葉の説教を聞く者に、何が求められているか。

答 み言葉の説教を聞く者に、次のことが求められている。すなわち、勤勉(1)・準備(2)・祈り(3)をもってそれに聞くこと、聞いた説教を聖書によって調べること(4)、信仰(5)・愛(6)・柔和(7)・心の備え(8)をもって真理を神のみ言葉として受け入れること(9)、それについてめい想し(10)、語り合うこと(11)、心にたくわえて(12)、生活の中でその実を結ぶことである(13)。

    1 箴言8:34

    2 Ⅰペテロ2:1、2、ルカ 8:18

    3 詩119:18、エペソ6:18、19

    4 行伝17:11

    5 Ⅰテサロニケ2:13

    6 ヘブル4:2

    7 Ⅱテサロニケ2:10

    8 ヤコブ1:21

    9 行伝17:11

    10 ルカ9:44、ヘブル2:1

    11 ルカ24:14、申命6:6、7

    12 箴言2:1、詩119:11

    13 ルカ8:15、ヤコブ1:25

    2 

問161 典は、どのようにして救いの有な手段となるか。

答 礼典が救いの有効な手段となるのは、礼典自身の中にあるどのような力、または礼典を執行する人の敬けんや意図から出るどのような効力によるのでもなくて、ただ聖霊の働きと、礼典を制定されたキリストの祝福によるのである(1)。

    1 Ⅰペテロ3:21、行伝8:13,23(*)、Ⅰコリント3:6,7、12:13

      * 行伝8:13と8:23を比較

問162 典とは何であるか。

答 礼典とは、キリストによってその教会において制定されたきよい規定であって(1)、恵みの契約の中にある者に(2)、キリストの仲保の祝福を(3)意味し・保証し・表わし(4)、彼らの信仰とその他すべての恵みを強化し・増進し(5)、服従に義務づけ(6)、相互の愛と交わりを証しし・育て(7)、彼らを教会外の者と区別するものである(8)。

    1 創世17:7、10、出エジプト12章、マタイ28:19、26:26-28(*)

      * 1648年版は、26:27,28であるが、誤記と思われる。1658年版による。

    2 ロマ15:8、出エジプト12:48

    3 行伝2:38、Ⅰコリント10:16

    4 ロマ4:11、Ⅰコリント11:24,25

    5 ロマ4:11、ガラテヤ3:27

    6 ロマ6:3,4、Ⅰコリント10:21

    7 エペソ4:2-5、Ⅰコリント12:13

    8 エペソ2:11,12、創世34:14

問163 典の要素は、何であるか。

答 礼典の要素は二つである。一つは、キリストご自身の指定に従って用いられる外的な感覚的印である。今一つは、それによって表わされる内的な霊的恵みである(1)。

    1 マタイ3:11、Ⅰペテロ3:21、ロマ2:28,29

問164 新約のもとにおいて、キリストはいくつの典を制定されたか。

答 新約のもとにおいて、キリストはその教会に、ただ二つの礼典だけを制定された。すなわち、洗礼と主の晩餐である(1)。

    1 マタイ28:19、Ⅰコリント11:20,23、マタイ26:26-28(問162の引用聖句参照)(*)

      * 括弧内は必要ない。

問165 洗とは何であるか。

答 洗礼とは、新約の一つの礼典であって、そこにおいてキリストは、父と子と聖霊によって水で洗うことを(1)、ご自身へのつぎ木(2)・その血による罪の許し(3)・みたまによる再生(4)・子とすること(5)・および永遠の命への復活(6)の印と保証にすることを定められた。またこれによって洗礼を施された者は、おごそかに、見える教会への入会を許され(7)、全面的に主だけのものとなる公の公然たる契約関係にはいる(8)。

    1 マタイ28:19

    2 ガラテヤ3:27

    3 マルコ1:4、黙示1:5

    4 テトス3:5、エペソ5:26

    5 ガラテヤ3:26,27

    6 Ⅰコリント15:29、ロマ6:5

    7 Ⅰコリント12:13

    8 ロマ6:4

問166 洗は、だれに執行されなければならないか。

答 洗礼は、見える教会の外におり、従って約束の契約の局外者である者には、キリストへの信仰と服従とを言い表わすまでは、だれにも執行されてはならない(1)。しかし両親であれ、片親であれ、キリストヘの信仰と服従とを言い表わしている親から出た幼児は、その点で契約の中にあり、洗礼を施されなければならない(2)。

    1 行伝8:36,37、2:38

    2 創世17:7,9(ガラテヤ3:9,14、コロサイ2:11,12、行伝2:38,39、

      ロマ4:11,12と比較)(*)、Ⅰコリント7:14、マタイ28:19、ルカ18:15,16、

      ロマ11:16

      * 創世17:7,9をガラテヤ3:9,14、コロサイ2:11,12、行伝2:38,39、

      ロマ4:11,12と比較

問167 わたしたちの洗は、わたしたちの手で、どのように良く用いられなければならないか。

 答 わたしたちの洗礼を良く用いるという、必要でありながら大いに無視されている義務は、わたしたちの手で、全生涯にわたり、特に試みの時と、他人に洗礼が執行される場に臨席する時に、行なわれなければならない(1)。それは、洗礼の性質・キリストがこれを制定された目的・洗礼によってもたらされ保証される特権と利益・その時にしたわたしたちのおごそかな誓いを、真面目に感謝に満ちて思いめぐらすことにより(2)、また洗礼の恵みとわたしたちの約束とを罪深く汚していること・それに敵対して歩んでいることのために、へりくだらされることにより(3)、またこの礼典でわたしたちに保証された罪の許しと他のすべての祝福との確信に成長することにより(4)、またわたしたちが洗礼によって入れられているキリストの死と復活から、罪に死に恵みに生きるための力を引き出すことにより(5)、また洗礼に際して自分の名をキリストに捧げ切った者らしく(6)、信仰によって生き(7)、聖と義によって振舞うよう努力し(8)、一つの体となるように同じみたまによって洗礼を施された者らしく、兄弟愛のうちに歩むよう努力することによってである(9)。

    1 コロサイ2:11,12、ロマ6:4,6,11

    2 ロマ6:3-5

    3 Ⅰコリント1:11-13、ロマ6:2,3

    4 ロマ4:11,12、Ⅰペテロ3:21

    5 ロマ6:3-5

    6 行伝2:38

    7 ガラテヤ3:26,27

    8 ロマ6:22

    9 Ⅰコリント12:13,25-27

問168 主の晩餐とは、何であるか。

答 主の晩餐とは、新約の一つの礼典であって(1)、そこにおいてイエス・キリストの指定に従い、パンとぶどう酒を与えまた受けることにより、彼の死が示される(2)。またふさわしい陪餐者が、霊的栄養と恵みにおける成長となるように、キリストの体と血によって養われ(3)、彼との結合と交わりを固め(4)、神への感謝と約束(5)、同じ神秘的体の肢体としての相互の愛と互いの交わりを証しし、更新するのである(6)。

    1 ルカ22:20

    2 マタイ26:26-28、Ⅰコリント11:23-26

    3 Ⅰコリント10:16

    4 Ⅰコリント11:24(*)

      * Ⅰコリント11:24-26が正しい。

    5 Ⅰコリント10:14-16,21

    6 Ⅰコリント10:17

問169 キリストは、その晩餐の典において、どのようにして、パンとぶどう酒をえまた受けるよう定められたか。

答 キリストはみ言葉の教役者たちに、主の晩餐の礼典執行に際し、そのパンとぶどう酒とを制定のみ言葉と感謝と祈りによって普通の用途から聖別すること、パンを取って裂くこと、パンとぶどう酒の両方を陪餐者に与えること、を定められた。陪餐者は、その同じ命令により、自分のためにキリストの体が裂かれて与えられ、その血が流されたことを、感謝に満ちて覚えつつ、パンを取って食べ、ぶどう酒を飲まなければならない(1)。

    1 Ⅰコリント11:23,24、マタイ26:26-28、マルコ14:22-24、ルカ22:19,20

問170 主の晩餐のふさわしい陪餐者は、そこで、どのようにしてキリストの体と血によって養われるか。

答 キリストの体と血は、主の晩餐におけるパンとぶどう酒の中に、それらと共に、あるいはそれらのもとに、身体的または肉的には存在しないが(1)、しかし、それらの品物自体が陪餐者の外的感覚に対するのに劣らず真実かつ現実に、彼の信仰に対して霊的に存在する(2)。従って、主の晩餐におけるふさわしい陪餐者は、そこで、身体的または肉的でなく霊的な仕方で、しかも真実かつ現実に、キリストの体と血によって養われる(3)。他方、信仰によって彼らは、十字架につけられたキリストとその死のすべての利益とを受け、自分自身に適用するのである(4)。

    1 行伝3:21

    2 マタイ26:26,28

    3 Ⅰコリント11:24-29

    4 Ⅰコリント10:16

問171 主の晩餐の典を受ける者は、それに臨む前に、どのようにして自ら備えなければならないか。

 答 主の晩餐の礼典を受ける者は、それに臨む前に、次のようにして自らそれに備えなければならない(1)。すなわち、自分がキリストにあることについて(2)、自分の罪と欠陥について(3)、自分の知識(4)・信仰(5)・悔改め(6)・神と兄弟に対する愛(7)・すべての人への思いやり(8)・自分に悪を犯した者たちを許すこと(9)の真実さとその程度について、キリストにならおうとする自分の願いについて(10)、また自分の新しい服従について(11)、自ら吟味することにより、またこれらの美点の実践を更新することにより(12)、真面目なめい想(13)と熱心な祈りによってである(14)。

    1 Ⅰコリント11:28

    2 Ⅱコリント13:5

    3 Ⅰコリント5:7(出エジプト12:15と比較)(*)

      * Ⅰコリント5:7と出エジプト12:15を比較

    4 Ⅰコリント11:29

    5 Ⅱコリント13:5、マタイ26:28

    6 ゼカリヤ12:10、Ⅰコリント11:31

    7 Ⅰコリント10:16,17、行伝2:46,47

    8 Ⅰコリント5:8、11:18,20

    9 マタイ5:23,24

    10 イザヤ55:1、ヨハネ7:37

    11 Ⅰコリント5:7,8

    12 Ⅰコリント11:25,26,28、ヘブル10:21,22,24、詩26:6

    13 Ⅰコリント11:24,25

    14 歴代下30:18,19、マタイ26:26

問172 自分がキリストにあること、あるいは自分のなすべき準備について疑っている者が、主の晩餐に臨んでもよいか。

答 自分がキリストにあることや、あるいは主の晩餐の礼典に対して自分のなすべき準備について疑っている者は、自分ではまだその確信を与えられていなくても、キリストヘの真の関心を持っているのかもしれないし(1)、またもし関心の不足を悟って正しく悩み(2)、キリストにあるのを認められて(3)不義を離れたい(4)、と偽りなく望んでいるなら、神のみ前にはそれを持っているのである。その場合(弱く疑い深いキリスト者たちの救いのためにも、約束がなされ、この礼典が命じられているのであるから(5))、彼は自分の不信仰を嘆いて(6)、疑いを解くよう努力すべきであって(7)、そうするなら、彼はさらに力づけられるために主の晩餐に臨んでもよいし、臨まなければならない(8)。

    1 イザヤ50:10、Ⅰヨハネ5:13、詩88篇、77:1-12(2-13)、ヨナ2:4,7

    2 イザヤ54:7-10、マタイ5:34(*)、詩31:22(31:23)、73:13,22,23

    3 ピリピ3:8,9、詩10:17、42:1,2,5,11(*)

      * 1648年版は、詩43:1,2,5,11とあるが誤記と考えられる。

    4 Ⅱテモテ2:19、イザヤ1:10(*)、詩66:18-20

      * RCJ訳の間違い。’l’と’i’とを読み間違え。(イザヤ50:10が正しい)

    5 イザヤ40:11,29,31、マタイ11:28、12:10、26:28

    6 マルコ9:24

    7 行伝2:37、16:30

    8 ロマ4:11、Ⅰコリント11:28

問173 信仰を言い表わし、主の晩餐に臨みたいと願っているだれかが、それからはばまれてよいか。

答 信仰の表明と主の晩餐に臨みたいとの願いにもかかわらず、無知あるいは悪評があると認められるような者は、教えを受けて改善を示すまでは(1)、キリストがその教会に委ねていかれた権能によって、この礼典からはばまれてもよいし、はばまれなければならない(2)。

    1 Ⅰコリント11:27-31(*)、マタイ7:6、Ⅰコリント5章、ユダ23、Ⅰテモテ5:22(**)

      * Ⅰコリント11:27-34(to the end)が正しい

      ** Ⅰコリント11:27-34をマタイ7:6、Ⅰコリント5章、ユダ23、Ⅰテモテ5:22と比較

    2 Ⅱコリント2:7

問174 主の晩餐の典が執行されている間、それを受ける者に、何が求められているか。

答 主の晩餐の礼典が執行されている間、それを受ける者に求められていることは、次の通りである。すなわち、全ききよい敬けんと注意をもって、この規定のうちに神を待ち望むこと(1)、礼典の品と動作をつとめて見守ること(2)、主のみ体を深くわきまえ(3)、主の死とみ苦しみとを情愛深くめい想し(4)、それによって、自分の美点の強力な実践へとわが身をかき立てることであって(5)、それらは、自己批判(6)と罪への悲しみ(7)、キリストを熱心に渇望し(8)、信仰によって彼に養われ(9)、その満ち足れるものを受け(10)、その功績により頼み(11)、その愛を喜び楽しみ(12)、その恵みに感謝すること(13)、神との契約と(14)、すべての聖徒への愛(15)を新たにすることにおいて行なわれるのである。

    1 レビ10:3、ヘブル12:28、詩5:7(5:8)、Ⅰコリント11:17,26,27

    2 出エジプト24:8(マタイ26:28と比較)(*)

      * 出エジプト24:8とマタイ26:28を比較

    3 Ⅰコリント11:29

    4 ルカ22:19

    5 Ⅰコリント11:26、10:3-5,11,14

    6 Ⅰコリント11:31

    7 ゼカリヤ12:10

    8 黙示22:17

    9 ヨハネ5:35

    10 ヨハネ1:16

    11 ピリピ3:9

    12 詩63:4,5(63:5,6)、歴代下30:21

    13 詩22:26(22:27)(*)

      * 1648年版の詩22:6は誤記とと考えられる。

    14 エレミヤ50:5、詩50:5

    15 行伝2:42

問175 主の晩餐の典を受けてからのキリスト者の義務とは、何であるか。

答 主の晩餐の礼典を受けてからのキリスト者の義務とは、次の通りである。すなわち、その間、自身がどうしていたか、またどこまでうまくできたかを真剣に考えること(1)、もし力づけと慰めを感ずるなら、そのために神に感謝し(2)、それが続くように乞い求め(3)、消えないように注意し(4)、自分の誓いを果たし(5)、たびたびこの規定に出席する決心を固めること(6)、しかし、もし益を感じなければ、この礼典への自分の準備とその時の態度を一層厳密に反省すること(7)。もしどちらの点でも、神に対しても自分の良心に対しても、自分を正しいとすることができるのなら、時のくるまで、その実の熟するのを待たなければならない(8)。しかし、どちらかの点で落度があったのに気付いたならば、謙虚にせられ(9)、今後はもっと注意深く勤勉に出席しなければならない(10)。

    1 詩28:7、85:8(85:9)、Ⅰコリント11:17,30,31(*)

      * 1648年版はⅡコリント11:17,30,31は、誤記と考えられる

    2 歴代下30:21-23,25,26、行伝2:42,46,47

    3 詩36:10(36:11)、雅歌3:4、歴代上29:18

    4 Ⅰコリント10:3-5,12

    5 詩1:14(*)

      * RCJ訳の間違い。’l’と’i’とを読み間違え。(詩50:14が正しい)

    6 Ⅰコリント11:25,26、行伝2:42,46

    7 雅歌5:1-5(*)、伝道5:1-6(**)

      * 雅歌5:1-6が正しい。

      ** 伝道は1648年版にはない。

    8 詩123:1、42:5,8(42:6,9)、43:3-5

    9 歴代下30:18、19、イザヤ1:16、18

    10 Ⅱコリント7:11、歴代上15:12-14

問176 洗と主の晩餐の二典は、どこが共通しているか。

答 洗礼と主の晩餐の二礼典は、次の点で共通している。すなわち、どちらも創始者は神であり(1)、どちらも霊的要素はキリストとその祝福であり(2)、どちらも同じ契約の印証であって(3)、福音の教役者が行なうもので、決して他の者に行なわせてはならないし(4)、また再臨の時までキリストの教会で続けられなければならない(5)。

    1 マタイ28:19、Ⅰコリント11:23

    2 ロマ6:3,4、Ⅰコリント10:16

    3 ロマ4:11(コロサイ1:12と比較)(*)、マタイ26:27,28

      * ロマ4:11とコロサイ1:12を比較

    4 ヨハネ1:33、マタイ28:19、Ⅰコリント11:23、4:1、ヘブル5:4

    5 マタイ28:19,20、Ⅰコリント11:26

問177 洗と主の晩餐の二典は、どこが違っているか。

答 洗礼と主の晩餐の二礼典は、次の点で違っている。すなわち洗礼の方は、ただ一度、水で、わたしたちの再生とキリストへのつぎ木の印または印証として(1)、幼児にまで執行されなければならない(2)。ところが主の晩餐の方は、幾度も、パンとぶどう酒という品を用いて、魂への霊的栄養としてのキリストを表わし示すために(3)、またわたしたちのキリストにある永続と成長を堅うするために(4)、また自分を吟味する年齢と能力ある者にだけ執行されなければならない(5)。

    1 マタイ3:11、テトス3:5、ガラテヤ3:27

    2 創世17:7,9、行伝2:38,39、Ⅰコリント7:14

    3 Ⅰコリント11:23-26

    4 Ⅰコリント10:16

    5 Ⅰコリント11:28,29

    3 主の祈り

問178 祈りとは何であるか。

答 祈りとは、わたしたちの願いを神に(1)、キリストのみ名において(2)、そのみたまの助けにより(3)、わたしたちの罪のざんげと(4)、神のあわれみへの感謝に満ちた告白と共に(5)、ささげることである。

    1 詩62:8(62:9)

    2 ヨハネ16:23

    3 ロマ8:26

    4 詩32:5,6、ダニエル9:4

    5 ピリピ4:6

問179 わたしたちは、神のみに祈らなければならないか。

答 神のみが、すべての人の心を探り知り(1)、求めを聞き(2)、罪を許し(3)、また願いをかなえることができるし(4)、神のみが、信じ(5)、宗教的礼拝をもって礼拝すべき方であるから(6)、その特別な要素である祈りは(7)、すべての人によって神にのみなされ(8)、神以外の何者にもなされてはならない(9)。

    1 列王上8:39、行伝1:24、ロマ8:27

    2 詩65:2

    3 ミカ7:18

    4 詩145:18,19

    5 ロマ10:14

    6 マタイ10:4

    7 Ⅰコリント1:2

    8 詩50:15

    9 ロマ10:14

問180 キリストのみ名において祈るとは、何であるか。

答 キリストのみ名において祈るとは、その命令に服従し、またその約束に信頼して、キリストのゆえにあわれみを願い求めることである(1)。無意味にそのみ名をあげることによってではなく(2)、祈るための励ましと、祈りにおける大胆さ・力・聞き入れられる望みとを、キリストとその仲保から引き出すことによってである(3)。

    1 ヨハネ14:13,14、16:24、ダニエル9:17

    2 マタイ7:21

    3 ヘブル4:14-16、Ⅰヨハネ5:13-15

問181 なぜ、わたしたちはキリストのみ名において祈らなければならないか。

答 人間の有罪性、またそれゆえに人間の神との距離は、わたしたちが仲保者なしに神のみ前に近づくことができないほど大きく(1)、またその光栄あるわざに任命され、あるいは適当な者は、キリストひとりの外、天にも地にもだれもないから(2)、わたしたちは、ただキリストのみ名以外のどのような名においても祈ってはならない(3)。

    1 ヨハネ14:6、イザヤ59:2、エペソ3:12

    2 ヨハネ6:27、ヘブル7:25-27、Ⅰテモテ2:5

    3 コロサイ3:17、ヘブル13:15(*)

      * 1648年版は、ヘブル13:17。ヘブル13:15は、1658年版以降。

問182 どのようにしてみたまは、わたしたちが祈るのを助けられるのか。

答 わたしたちは、何を祈るべきかを知らないから、みたまは、だれのために、何を、どのように祈らなければならないかを、わたしたちに悟らせることにより、また祈りの義務を正しく果たすのに必要な理解・愛情・美徳を、(すべての人にではなく、いつでも同じ度合いにでもないが)わたしたちの心のうちに起こし、活気づけることによって、わたしたちの弱さを助けられる(1)。

    1 ロマ8:26,27、詩10:17、ゼカリヤ12:10

問183 だれのために、わたしたちは祈らなければならないか。

答 地上にあるキリストの全教会のために(1)、為政者(2)と教役者とのために(3)、自分自身(4)、兄弟(5)、それだけでなく敵のためにも(6)、また今生きている(7)、または今後生まれてくるすべての種類の人々のために(8)、わたしたちは祈らなければならない。しかし、死者のためや(9)、死に至る罪を犯したことが分かっている人々のためには、祈ってはならない(10)。

    1 エペソ6:18、詩28:9

    2 Ⅰテモテ2:1,2

    3 コロサイ4:3

    4 創世32:11

    5 ヤコブ5:16

    6 マタイ5:44

    7 Ⅰテモテ2:1,2

    8 ヨハネ17:20、サムエル下7:29

    9 サムエル下12:21-23

    10 ヨハネ5:16

問184 どのような事柄を、わたしたちは祈らなければならないか。

答 わたしたちは、神の栄光(1)、教会の福祉(2)、自分自身(3)と他人との幸福(4)に役立つすべての事柄を祈らなければならない。しかし非合法なことは何も祈ってはならない(5)。

    1 マタイ6:9

    2 詩51:18(51:20)、122:6

    3 マタイ7:11

    4 詩125:4

    5 Ⅰヨハネ5:14

問185 どのようにして、わたしたちは祈らなければならないか。

答 わたしたちは、神の尊厳の畏敬に満ちた理解(1)、自分自身の無価値(2)と窮乏(3)と罪(4)との深い意識をもって、罪を悔いる(5)、感謝に満ちた(6)、広い心をもって(7)、知性(8)、信仰(9)、誠実(10)、熱心(11)、愛(12)、忍耐(13)、神への待望(14)をもって、神のみ心への謙虚な服従(15)をもって、祈らなければならない。

    1 伝道5:1(4:17)

    2 創世18:27、32:10(32:11)

    3 ルカ15:17-19

    4 ルカ18:13,14

    5 詩51:17(51:19)

    6 ピリピ4:6

    7 サムエル上1:15、2:1

    8 Ⅰコリント14:15

    9 マルコ11:24、ヤコブ1:6

    10 詩145:18、17:1

    11 ヤコブ5:16

    12 Ⅰテモテ2:8

    13 エペソ6:18

    14 ミカ7:7

    15 マタイ26:39

問186 神は、わたしたちの祈りの義務の指針として、どのような規準をえられたか。

答 神のみ言葉全体が、わたしたちの祈りの義務の指針として有益である(1)。しかし指針になる特別な規準は、わたしたちの救い主キリストが、その弟子たちに教えられた、一般に「主の祈り」と呼ばれている形の祈りである(2)。

    1 Ⅰヨハネ5:14

    2 マタイ6:9-13、ルカ11:2-4

問187 「主の祈り」は、どのように用いられなければならないか。

答 「主の祈り」は、わたしたちがそれに従って他の祈りをなす型として指針であるだけでなく、一つの祈りとしても用いられる。それゆえ、これは、理解、信仰、敬けんな心、また祈りの義務を正しく果たすために必要な他の美徳をもって、祈られなければならない(1)。

    1 マタイ6:9(ルカ11:2と比較)(*)

      * マタイ6:9とルカ11:2を比較

問188 「主の祈り」は、いくつの部分から成っているか。

答 「主の祈り」は、三つの部分、すなわち序言、祈願、結びの言葉から成っている。

問189 「主の祈り」の序言は、わたしたちに何をえているか。

答 「天にましますわれらの父よ」という言葉に含まれている「主の祈り」の序言(1)は、わたしたちに次のことを教えている。すなわち、祈るとき、神の父らしいいつくしみへの確信と関心とを持ち(2)、尊敬や、その他すべての子供らしい気持(3)、天的愛情(4)、神の主権的み力と尊厳と恵み深いへりくだりとの正当な理解をもって(5)、神に近づくこと、また他人と共に、他人のために祈ることである(6)。

    1 マタイ6:9

    2 ルカ11:13、ロマ8:15

    3 イザヤ64:9(64:8)

    4 詩123:1、哀歌3:41

    5 イザヤ63:15,16、ネヘミヤ1:4-6

    6 行伝12:5

問190 第一の祈願において、わたしたちは何を祈るのであるか。

答 「み名をあがめさせたまえ」という第一の祈願(1)においては、自分自身とすべての人々の中にある、正しく神を崇められない無能力と無気力とを認めつつ(2)、次のことを祈るのである。すなわち、神がその恵みによって自分と他人に、神と(3)、その称号(4)、属性(5)、規定、み言葉(6)、みわざ、および何事であれ、それによって神がご自身を知らせることを良しとされる事柄(7)を、知り、認め、高く評価し、また思いと言葉(8)と行為(9)において神を崇めることができ、また崇めたくなるようにして下さること、神が無神論(10)、無知(11)、偶像崇拝(12)、冒とく(13)、および何事であれ神に不名誉な事柄(14)をはばみ、取り除いて下さり、またその支配的摂理によって、万事を神ご自身の栄光へと導き、処理して下さることである(15)。

    1 マタイ6:9

    2 Ⅱコリント3:5、詩51:15(51:17)

    3 詩67:2,3(67:3,4)

    4 詩83:18(83:19)

    5 詩86:10-13,15

    6 Ⅱテサロニケ3:1、詩147:19,20、138:1-3、Ⅱコリント2:14,15

    7 詩145篇、8篇

    8 詩103:1、19:14(19:15)

    9 ピリピ1:9,11

    10 詩67:1-4(67:2-5)

    11 エペソ1:17,18

    12 詩97:7

    13 詩74:18,22,23

    14 列王下19:15,16

    15 歴代下20:6,10-12、詩83編、140:4,8(140:5,9)

問191 第二の祈願において、わたしたちは何を祈るのであるか。

答 「み国をきたらせたまえ」という第二の祈願(1)においては、わたしたち自身と全人類とが、生まれながら罪とサタンの支配下にあること(2)を認めつつ、次のことを祈るのである。すなわち、罪とサタンの王国が滅ぼされ(3)、福音が全世界に広められ(4)、ユダヤ人が召され(5)、異邦人の満数が召し入れられること(6)、教会がすべての福音の奉仕者と規定とを備えられ(7)、腐敗から清められ(8)、国家為政者から支持され維持されること(9)、キリストの規定が純正に執行され、いまだに自分の罪の中にいる者たちの回心と、既に回心している者たちの確立、慰め、建設とに、有効なものとされること(10)、キリストがこの場でわたしたちの心を支配し(11)、彼の再臨と、彼と共なるわたしたちの永遠統治との時を早めて下さること(12)、またその力の支配を、これらの目的に最も貢献するよう全世界に及ぼすことを良しとして下さることである(13)。

    1 マタイ6:10

    2 エペソ2:2,3

    3 詩68:1,18(68:2,19)、黙示12:10,11

    4 Ⅱテサロニケ3:1

    5 ロマ10:1

    6 ヨハネ17:9,20、ロマ11:25,26、詩67篇

    7 マタイ9:38、Ⅱテサロニケ3:1

    8 マラキ1:11、ゼパニヤ3:9

    9 Ⅰテモテ2:1,2

    10 行伝4:29,30、エペソ6:18-20、ロマ15:29,30,32、Ⅱテサロニケ1:11、2:16,17

    11 エペソ3:14-20

    12 黙示22:20

    13 イザヤ64:1,2(63:19、64:1)、黙示4:8-11

問192 第三の祈願において、わたしたちは何を祈るのであるか。

答 「み心の天になるごとく、地にもなさせたまえ」という第三の祈願(1)においては、生まれながら自分もすべての人々も、神のみ心を知ることも行なうことも全くできず、欲しもしないだけでなく(2)、み言葉に逆らい(3)、摂理に反して嘆き、つぶやきがちであり(4)、肉と悪魔の心を行なうことに全面的に傾倒していること(5)を認めつつ、次のことを祈るのである。すなわち、神がみ霊によって、自分自身と他人から、心のすべての盲目(6)、弱さ(7)、無気力(8)、強情(9)を取り除いて下さり、またその恵みによって、天においてみ使たちがしているように(10)、わたしたちにも万事に(11)同じへりくだり(12)、喜び(13)、忠実(14)、勤勉(15)、熱心(16)、誠実(17)、および堅忍持久をもって(18)、神のみ心を知り、行ない、従うことができ、また欲するようにして下さることである。

    1 マタイ6:10

    2 ロマ7:18、ヨブ21:14、Ⅰコリント2:14

    3 ロマ8:7

    4 出エジプト17:7、民数14:2

    5 エペソ2:2

    6 エペソ1:17,18

    7 エペソ3:16

    8 マタイ26:40,41

    9 エレミヤ31:18,19

    10 イザヤ6:2,3、詩103:20,21、マタイ18:10

    11 詩119:1,8,35,36、行伝21:14

    12 ミカ6:8

    13 詩100:2、ヨブ1:21、サムエル下15:25,26(*)

      * サムエル下15:25が正しい(1648年版より)

    14 イザヤ38:3

    15 詩119:4,5

    16 ロマ12:11

    17 詩119:80

    18 詩119:112

問193 第四の祈願において、わたしたちは何を祈るのであるか。

答 「われらの日用の糧をきょうも与えたまえ」という第四の祈願(1)においては、わたしたちがアダムにあって、また自分自身の罪によって、この世のすべての外的祝福に対する権利を失っており、神によってそれらを全く奪われても、またそれを用いる時、わたしたちに対してのろわれたものとされても仕方がないこと(2)、またそれらがそれ自体でわたしたちを支えることも(3)、わたしたちがそれをかせいだり(4)、自分自身の勤勉によって手に入れたりすることができず(5)、むしろそれらを不合法に望み(6)、手に入れ(7)、用いようとしがちであること(8)を認めつつ、自分自身と他人のために、次のことを祈るのである。すなわち、彼らもわたしたちも共に、合法的手段を用いるに当たって、日ごとに神の摂理に頼りつつ、神の自由な賜物から、また父らしい知恵に最善と思われるように、その正当な分を享受でき(9)、またそれをきよく快く用いるに当たっては、それをわたしたちにとって継続的な祝福されたものとし(10)、それに満足できること(11)、またわたしたちのこの世での支えと慰めとに反するようなすべての事柄から守られることである(12)。

    1 マタイ6:11

    2 創世2:17、3:17、ロマ8:20-22、25(*)、申命28:15-68

      * ロマ8:20-22、エレミヤ5:25が正しい(1648年版より)。

    3 申命8:3

    4 創世32:10(32:11)

    5 申命8:17,18

    6 エレミヤ6:13、マルコ7:21,22

    7 ホセア12:7(12:8)

    8 ヤコブ4:3

    9 創世43:12-14、28:20、エペソ4:28、Ⅱテサロニケ3:11,12、ピリピ4:6

    10 Ⅰテモテ4:3-5

    11 Ⅰテモテ6:6-8

    12 箴言30:8,9

問194 第五の祈願において、わたしたちは何を祈るのであるか。

答 「我らに罪を犯す者を、我らがゆるすごとく、我らの罪をもゆるしたまえ」という第五の祈願(1)において、自分も他のすべての人々も、原罪と現実の犯罪との両方について有罪であり、そのために神の正義に対して負債者となっていること、また自分も他のどのような被造物も、その負債に対しては最低の償いも支払えないこと(2)を認めつつ、自分自身と他人のために、次のことを祈るのである。すなわち、神がその自由な恵みから、信仰によって理解され適用されるキリストの服従と償いを通して、わたしたちを罪のとがからも罰からも共に免除して下さること(3)、その愛するみ子にあってわたしたちを受け入れて下さること(4)、そのいつくしみと恵みとをわたしたちに対して持ち続けて下さること(5)、わたしたちの日ごとの失敗を許して下さること(6)、またわたしたちの日ごと払いよいよ許しの確信を与えることにおいて、平和と喜びを満たして下さることである(7)。この許しの確信は、わたしたちが心から他人の罪を許すという証しを自分自身のうちに持つ時、一層力強く求め、勇気をもって期待できるものである(8)。

    1 マタイ6:12

    2 ロマ3:9-22(*)、マタイ18:24,25、詩130:3,4

      * 1648年版は、ロマ3:9-21。1658年版は3:9-22とする。

    3 ロマ3:24-26、ヘブル9:22

    4 エペソ1:6,7

    5 Ⅱペテロ1:2

    6 ホセア14:2(14:3)、エレミヤ14:7

    7 ロマ15:13、詩51:7-10,12(51:9-12,14)(*)

      * 1648年版の11:7,8,9,10,12は誤植と考えられる。

    8 ルカ11:4、マタイ16、14、15、18:35

問195 第六の祈願において、わたしたちは何を祈るのであるか。

答 「我らを試みに会わせず、悪より救いだしたまえ」という第六の祈願(1)においては、最も驚く正しく恵み深い神が、さまざまなきよく正しい目的のために、わたしたちが試みによって攻め立てられ、惑わされ、一時は囚われの身に引き行かれるよう、物事を指図されるかもしれないこと(2)、サタン(3)と世(4)と肉とが、わたしたちを強引に引き寄せ、わなに陥れようと身構えていること(5)、またわたしたちが罪の許しの後でさえも、自分の腐敗(6)と弱さと警戒不足(7)のために試みられがちであり、進んでわが身を試みにさらそうとするだけでなく(8)、自分自身ではそれらに対抗し、そこから立ち直り、それを利用することができもせず、欲しもしないで(9)、むしろその力のもとに放置されるにふさわしいこと(10)を認めつつ、次のことを祈るのである。すなわち、神が世界とその中にある一切のものを支配し(11)、肉を従わせ(12)、サタンを抑圧し(13)、万物を指図し(14)、すべての恵みの手段を与えて祝福し(15)、わたしたちを促してその使用に注意深くならせて下さり、その結果、わたしたちと神のすべての民が、神の摂理によって、罪に誘われることから守られるようになること(16)、あるいはたとえ誘われても、みたまによって、試みの時に強く支えられて立つことができるようにされ(17)、あるいは倒された時には、再び起こされてそこから立ち直り(18)、それをきよく用い利用することができるようになること(19)、わたしたちのきよめと救いが完成され(20)、サタンがわたしたちの足の下に踏みにじられ(21)、わたしたちが罪と試みとすべての悪から、永遠に全く解放されるようになることである(22)。

    1 マタイ6:13

    2 歴代下32:31

    3 歴代下21:1

    4 ルカ21:34、マルコ4:19

    5 ヤコブ1:14

    6 ガラテヤ5:17

    7 マタイ26:41

    8 マタイ26:69-72、ガラテヤ2:11-14(*)、歴代下18:3(19:2と比較)(**)

      * 1648年版は、2:11-15とする。

      ** 歴代下18:3と19:2を比較

    9 ロマ7:23,24、歴代上21:1-4、歴代下16:7-10

    10 詩81:11,12(81:12,13)

    11 ヨハネ17:15

    12 詩51:10(51:12)、119:133

    13 Ⅱコリント12:7,8

    14 Ⅰコリント10:12,13

    15 ヘブル13:20,21(*)

      * 1648年版は、13:20,23とするが、誤植と思われる。

    16 マタイ26:41、詩19:13(19:14)

    17 エペソ3:14-17、Ⅰテサロニケ3:3、ユダ24

    18 詩51:12(51:14)

    19 Ⅰペテロ5:8-10

    20 Ⅱコリント13:7,9

    21 ロマ16:20、ゼカリヤ3:2、ルカ22:31,32

    22 ヨハネ17:15、Ⅰテサロニケ5:23

問196 「主の祈り」の結びの言葉は、わたしたちに何をえているか。

答 「国と力と栄とは、限りなく、なんじのものなればなり、アーメン」という「主の祈り」の結びの言葉(1)は、わたしたちに次のことを教えている。すなわち、自分自身または他のどのような被造物のうちにあるどんな値打からでもなく、神からとられた論証(2)をもって、わたしたちの祈願を強く主張すること(3)、わたしたちの祈りに賛美を加えて(4)神にのみ永遠の主権と全能と栄光ある卓越性とを帰することである(5)。神はこれについて、わたしたちを助けることができるし、欲しておられるのであるから(6)、わたしたちも信仰によって、神がわたしたちの要求をかなえて下さるようにと彼に願い、力づけられる(7)。またかなえて下さるだろうと静かに彼により頼むのである(8)。またわたしたちは、自分の願いと確信を証明するために「アーメン」と言う(9)。

    1 マタイ6:13(*)

      * 欽定訳聖書による

    2 ロマ15:30

    3 ダニエル9:4,7-9,16-19

    4 ピリピ4:6

    5 歴代上24:10-13(*)

      * 歴代誌上29:10-13が正しい(RCJ訳は、xxixとxxivを読み誤ったと考えられる)。

    6 エペソ3:20,21、ルカ11:13

    7 歴代下20:6,11

    8 歴代下14:11(14:10)

    9 Ⅰコリント14:16、黙示22:20,21


「ウェストミンスター信仰基準」日本基督改革派教会大会出版委員会編,1994,新教出版社

1963年訳  日本基督改革派教会信条翻訳委員会

*聖書の表記は口語訳聖書で表記しています。新共同訳訳聖書で異なる部分は、括弧内に表記しています。

*コメントは、編者(辻 幸宏)が個人的に付加したもので、本文にはありません。なお、1648年版とは、”THE WESTMINSTER STANDARDS An Original Facsimile by The Assembly of Divines”(ISBN 1-889058-05-X)の本文のことです。

*ウェストミンスター信仰基準を公開するにあたって、日本キリスト改革派教会大会議長書記団に承認をいただいています。 

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