五つのソラは今日の教会においてもなお重要か?
2024年12月28日(木)「キリストのみ」とは?
2025年01月04日(木)「聖書のみ」とは?
編集者注:これはテーブルトーク誌の「五つのソラとは?」というシリーズの第三章の記事です。
宗教改革の原則である「聖書のみ(Sola Scriptura)」は、すべての霊的な事柄における最高の権威としての聖書の十分性と関係があります。「聖書のみ」とは、私たちの救いと霊的な生活に必要なすべての真理が、聖書の中で明示的または暗黙的に教えられていることを意味します。あらゆる種類の真理がすべて聖書の中にあるという主張ではありません。「聖書のみ」を信奉する最も熱心な擁護者でさえ、聖書は DNA の構造、微生物学、中国語の文法規則、あるいはロケット科学についてはほとんど何も語っていない、あるいはまったく語っていないことを認めるでしょう。例えば、この「科学的真実」やあの「科学的真実」は、聖書によって裏付けられるかどうかは別として、実際に真実であるかどうかはわかりません。しかし、聖書は「さらに確かな…みことば」であり、その権威と確実性において他のすべての真実に勝るものです。使徒ペテロによれば、聖書は私たちが自分の感覚で直接集めるデータよりも「さらに確か」です(二ペテロ1:19)。したがって、聖書は、それが語るあらゆる事柄に関して、最高かつ至高の権威なのです。
しかし、聖書が言及していない重要な疑問は数多くあります。「聖書のみ」は、この事実に反する主張はしません。また、「聖書のみ」は、イエスや使徒たちが教えたことがすべて聖書の中に保存されていると主張するものでもありません。ただ必要なことすべて、私たちの良心に対する義務のすべて、そして神が私たちに要求されるすべてのことが、聖書の中で与えられているという意味です(二ペテロ1:3)。
さらに、私たちは聖書につけ加えたり、聖書から減らしたりすることは禁じられています(申命4:2; 12:32; 黙示22:18-19参照)。これに加えることは、神ご自身が人々に負わせようとは思っておられない重荷を人々に負わせることになります(マタイ23:4参照)。
したがって、聖書は霊的真理の完全かつ唯一の基準であり、救われるために信じなければならないこと、神をたたえるためにしなければならないことのすべてを、間違いなく明らかにしています。それが、それ以上でもそれ以下でもなく、「聖書のみ」を意味するのです。
「神御自身の栄光と人間の救いと信仰と生活とに必要なすべての事柄に関する神の御意向の全体は、聖書にはっきり記されているか、あるいは、正しい、必然的な帰結として聖書から導き出すことができるかである。それには、御霊の新しい啓示によってであろうと、人間の伝承によってであろうと、どんな時にも、何ものも付け加えられてはならない」——ウェストミンスター信仰告白1
1『改革教会信仰告白集——基本信条から現代日本の信仰告白まで』関川泰寛、袴田康裕、三好明編、2014年、教文館。p. 495.
この記事はテーブルトーク誌に掲載されていたものです。