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よみ(陰府)

編集者注:これはテーブルトーク誌の「誤解されている聖書の言葉やフレーズ」というシリーズの第四章の記事です。

旧約聖書時代の聖徒にとって、よみ(陰府)と呼ばれる場所は何なのでしょうか? 旧約聖書で「よみ」が使われている箇所は、そのほとんどで人間の運命が表されています。その概念には、生気のない雰囲気が漂っています。よみは、しばしば義人によって、行きたくない場所——ありがたくない運命——として表現されています(詩篇30:3など)。詩篇の作者がよみについて触れるとき、最も恐れているのは死そのものでもなければ、死によって自分自身を失うことでもありません。それよりも、神との接触を失うことを恐れたのです。例えば、詩篇6篇5節にはこうあります。「死においては あなたを覚えることはありません。よみにおいては だれが あなたをほめたたえるでしょう」 この死の場所を表すことばは、「よみ」「穴」「墓」「深い淵」「滅びの場」「忘却の地」「アバドン(滅びの淵)」など、驚くほどたくさんあります。

よみは、神の罰の御手が下る場所、不敬虔な者がたどり着くべき運命として捉えられていました。詩篇の作者は、しばしばよみについて比喩的に語っています。時に、「よみ」は字義通りよみにいるのではない人による苦難の強さを、比喩的に表現していることもあります。例えば、詩篇88篇では、詩篇の作者は明らかにまだ生きているため、字義通りよみに住んでいる訳ではありません。したがって、作者は比喩的な表現を使って、自分がすでによみの領域に住む者であるかのように語っています。また、「よみ」は捕囚の民としての痛みを表現するのにも使われます。「闇」がよみのような状態として比喩的に使われることもあります。詩篇143篇3節がその例です。「敵は私のたましいを追いつめ 私のいのちを地に打ちつけ 死んで久しい者のように 私を闇にとどめます」

旧約聖書の聖徒が「よみ」という言葉やその同義語を引き合いに出すとき、そこにある最も大きな恐れは神の祝福から外れることです。

旧約聖書の聖徒が「よみ」という言葉やその同義語を引き合いに出すとき、そこにある最も大きな恐れは神の祝福から外れることです。人は、神の臨在から完全に外れることはできません。詩篇139篇7-8節が証言しているように、神は、ご自身の偏在性ゆえに、よみにもおられるのです。

詩篇16篇は通常、確信の歌、または信頼の歌と呼ばれています。詩篇16篇は、もちろん、使徒の働き2章25-28, 31節、13章35節に引用されています。特に、詩篇16章10節の言葉——「あなたは 私のたましいをよみに捨て置かず あなたにある敬虔な者に 滅びをお見せにならないからです」——は、不死、復活、そして死後の世界について言及していると考えられます。同じテーマは、詩篇17篇、49篇、73篇でも取り上げられています。学術文献では、詩篇にはヘブル人の死後の世界観に関する重要な箇所は見受けられないという主張がよく見られます。大半の注解書は、詩篇16篇の終わりにある部分を、詩篇の作者が、早すぎる死から神が守ってくださるように祈ったものであるという解釈を好みます。別の説では、11節の「いのち」は「永遠のいのち」を意味しており、したがってこれは詩人が不死を信じていたという証言であり、それゆえルカはこれを復活に当てはめた、という解釈があります。ゲルハルダス・ヴォスが認めているように、これらの言葉はルカによってイエスの復活に正しく適用されています(使徒2:25-28参照)。

私たちの主イエス・キリストの死、復活、昇天によって、死ならびに死後の世界に関する理解は聖徒たちにとって根本的に変わりました。ここで、私たちの主が十字架上で口にした、7つ目の言葉を理解することは非常に需要です。「父よ、わたしの霊をあなたの御手にゆだねます」(ルカ23:46)。この最後の言葉は、慰めと子としての信頼を表しています。それは、天の御父に、イエスご自身の人間の霊を委ねられた行為でした(そのとき、墓の中に横たわっていたときでさえ、神の本性は人間の本性と常に結合し続けていました。ベルギー信仰告白 第19条参照)。十字架上でこの最後の言葉を述べることで、キリストは途切れることのないいのちの確証を私たちに与えてくださったのです。

教会で最初の殉教者であるステパノは、この深い意味を理解していました。石に打たれようとも、彼は神の守りを求めて声を上げたのです。「主イエスよ、私の霊をお受けください」(使徒7:59)。使徒パウロもまた、復活の主の現実と死後の世界を理解していました。ホセア書13章14節の言葉が今や真に成就したことを悟り、パウロはこう宣言しています。「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか」(一コリ15:55)。


この記事はテーブルトーク誌に掲載されていたものです。

ブライアン・D ・エステル
ブライアン・D ・エステル
ブライアン・D ・エステル博士は、Westminster Seminary Californiaの旧約聖書学教授である。著書に『Echoes of Exodus』など。