養子縁組のこころ
2022年11月01日(木)聖書を正しく解釈する
2022年11月09日(木)欲望への対処
編集者注:これはテーブルトーク誌の「キリストとの結合」というシリーズの第八章の記事です。
「肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢」(一ヨハネ2:16 )— 抗えないほど私たちに身近な、使徒ヨハネが描いた欲望のトロイカです。罪人のこのような行き過ぎた禁断の欲望は、罪の泉のようです。ヤコブは、神が私たちを罪に誘惑することはないと教えています。「人が誘惑にあうのは、それぞれ自分の欲に引かれ、誘われるからです。そして、欲がはらんで罪を生み、罪が熟して死を生みます」(ヤコブ1:14-15)。
人は生まれながらに、欲望に束縛されています(ローマ3:10-18)。しかし、回心し、キリストとの結合を得た私たちは、欲望の支配から解放されています。「ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪に支配させて、からだの欲望に従ってはいけません。また、あなたがたの手足を不義の道具として罪に献げてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者としてあなたがた自身を神に献げ、また、あなたがたの手足を義の道具として神に献げなさい。罪があなたがたを支配することはないからです。あなたがたは律法の下にではなく、恵みの下にあるのです」(6:12-14)。
しかし、神はその計り知れない知恵によって、回心した子どもたちのうちに罪のかけらを残すことを決められました。このかけらが、欲望の中にも宿っているのです。これにより、罪の支配に死んだと宣言したばかりの同じ使徒がこの葛藤を綴っています。「私は、自分のうちに、すなわち、自分の肉のうちに善が住んでいないことを知っています。私には良いことをしたいという願いがいつもあるのに、実行できないからです。私は、したいと願う善を行わないで、したくない悪を行っています」(7:18-19)。
私たちは誰もが、絶えず付きまとう欲望という罪との葛藤があることを十分に意識しています。この罪は、物質主義、権力、プライドなど、様々な衣をまとって私たちに近づいてきます。今回、この記事では、性的欲望の問題に焦点を当てたいと思います。今日の教会において、性的に不適切な事態が蔓延していることは、誰もが認めるところでしょう。不貞、姦通、同性愛、ポルノなどに手を染めている教会の指導者の噂を聞かない週など、もはやほとんどありません。
性的誘惑はいたるところに存在します。刺激的な服装(またはヌード)、テレビ番組、広告掲示版、歌、思わせぶりな言葉、誘惑的な行動、SNSでの性的誘惑などが絶えず降りかかってきます。例として、ポルノを挙げてみましょう。現代では、ポルノ雑誌やビデオなどを買うために、わざわざ店まで足を運ぶことはなくなりました。今やパソコン画面などといった、自分だけのプライベートな場所に入り込んできたため、その中毒性も強烈です。
では、私たちは降伏するほかないのでしょうか? 答えは、すでに述べた通り、ノー(No)です。私たちはもはや罪の支配の下にないのです。ただし、日々の警戒を怠ってはいけません。基本的なこととして、私たちは家庭と教会において、思考、服装、言語、行動の性的純潔を強調し、貞操の文化を育まなければいけません。このような文化は、家庭においては両親から、教会においては役員たち(牧師と教会役員とその妻たち)から始まります。
私たちは、恵みの手段を注意深く用いるべきです。会衆の礼拝、説教、祈り、聖礼典、断食、そして個人的礼拝や家庭礼拝などです。そして何よりも、キリストにすがりつかなければなりません。
他にも、心を守るための習慣を身につける必要があります。ジョン・フラヴェルは『汚れた欲望(Impure Lust)』という冊子の中で、欲望に対処するための7つのアドバイスを示しています。
- 神に、救いの恵みによって新しくきよめられた、きよい心を懇願しましょう。心はすべての罪の泉であるため、必ずはじめに心を取り扱わなければなりません(マタイ15:19)。神はみこころにかなう祈りに応えると約束しておられます(ヨハネ14:13-14)。聖霊のきよめの力を求めましょう。
- 一日の中でいつでも、神をおそれ、偏在される神の目があなたの上に常に注がれていることを感じながら歩みましょう。私たちの行動は、誰に見られているかによって変わるものです。神がすべてを見ておられるということを忘れていませんか。
- みだらな付き合いや、不純な人々の集まりを避けましょう。彼らは欲望の仲介人です。悪い付き合いは、良い振る舞いをも腐敗させます。これは個人的な友人関係だけでなく、映画、音楽、本、雑誌、パソコンの中で出会う人々も含まれるということを覚えておいてください。
- あなたが召されていることに熱心に取り組みましょう。このような罪から身を避けるために、有効な手段となるはずです。「怠惰は悪を企む(油断大敵)」ということわざを聞いたことがあるでしょう。
- 食欲を慎み、自由気ままに食べすぎないようにしましょう。これは、神の与えてくださった食べ物や飲み物、友人との宴会を楽しんではいけないという意味ではありませんが、身体的な欲求の一つに対して警戒を緩めると、他の欲求にも陥ってしまいがちであるという慎重な戒めです。
- 結婚する相手を選び、あなたの選んだ人を喜び楽しみましょう。結婚生活の中ではセックスは快楽のためであり、律法に背く欲望から身を守るために神が与えてくださったものであるというのは、宗教改革によって解放された洞察の一つです。
- 罪の道を突き進むことのないよう注意しましょう。特に、迷信や偶像礼拝には用心すべきです。そうなってしまうと、その悪の罰としても、神はしばしば人をこれらの卑劣な情欲に引き渡されます(ローマ1:25-26)。罪は必ず、罪を繁殖させます。
教会はこれらの方法を通して、教会に属する人々を守ることができるでしょう。これらを実践し、教えましょう。
この記事はテーブルトーク誌に掲載されていたものです。