ピリピ人への手紙4章13節
2022年12月06日(木)
ヨハネの手紙第一4章8節
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ヨハネの手紙第一4章8節
2022年12月13日(木)

ヨハネの手紙第一2章27節

編集者注:これはテーブルトーク誌の「この聖句って本当はどういう意味?」というシリーズの第十章の記事です。

第一改革教会の長老たちが、長い間ホームバイブルスタディの先生をしていた人が参加者に「イエスは神的存在であるが、御父とは力、栄光、権威において同等ではない」と教えていると知った時、彼の考えを質すために小会のミーティングに呼び出しました。数時間にわたたって、長老たちはこの男の理解の源を探り、忍耐を持って彼を正そうとしました。長老たちは、聖書の釈義ーその意味を本来の文脈から解き明かすことーと教会の偉大な告白に目を向けて、彼の誤りを指摘しました。しかしその男は納得しないままでした。キリスト教のあらゆる神学的伝統の偉大な教師たちが、この男の考えを否定し、イエスの完全な神性を肯定していることを証明しても、この男は考えを改めませんでした。最終的に彼はヨハネの手紙第一2章27節を引き合いに、人間の教師がどう思おうと関係ない、と答えました。聖霊の油注ぎを受けており、「だれかに教えてもらう必要」はないと言うのです。歴史的なキリスト教会のキリスト論は間違っていること、そして、キリスト者が常に信じてきたことは誤りだと教えなければならないと聖霊によって示された、と。

聖霊の油注ぎを盾にして、このように明らかに異端的な考えを正当化する人と対峙した人は少ないかもしれません。しかし私たちのほとんどが、上記ほど酷くはないが、それでも間違っている教えを、一見人間の教師は無益であるかのように聞こえる、この聖句を引き合いに正当化する人に遭遇したことがあると思います。もしかして私たち自身も自らの考えを正当化するためにこのように主張したことがあるかもしれません。しかし、そのような主張は健全なのでしょうか。

主観論に支配されている現代において、人々はすぐにこう主張します。「その聖書箇所やその他の霊的な事柄に対する私の洞察は、聖霊から直接与えられたものであり、人間の教師に教えを請う必要はない」と。このような人は、人間の教師は不要だという主張を裏付けるのにヨハネの手紙第一2章27節を引用することの矛盾に気がつかないようです。この聖句を書き記したヨハネ自身、人間の教師だからです。確かにヨハネは神の霊感によって書きました。しかし、ヨハネは人であり、人間の教師であることには変わりないのです。人間の教師が人に教える過程で、人間の教師は不要だと主張するのは非常に奇妙なことです。自分の教えの筋が通らなくなり、意味のないものになってしまいます。もし、人間の教師である自分の言うことを聞く必要はないと言っているのなら、なぜ、誰かが自分の言うことに耳を傾けることを期待するのでしょうか。

答えはもちろん、ヨハネは人間の教師をすべて無くせと言っているのではない、ということです。このような主張は、ヨハネ自身の教えを時間の無駄にするだけでなく、他の使徒たちとも対立させることになります。使徒たちは、私たちが信仰において成熟するのを助けるために、神は人間の教師を教会に与えられたと述べています。(エペソ4:11-16)しかし、もし人間の教師の必要性を否定していないのなら、ヨハネは何が言いたかったのでしょうか。

ヨハネは、他の信者にはない、神のみこころに関する特別な洞察を持っていると主張する教師たちに悩まされていた人たちに宛てて書きました。この教師たちは、神は直接彼らに、使徒たちの仲介無しに話しかけられた、キリストは受肉しなかった、この世でも罪のない完璧な状態になることができる、またその他の誤った教えをこの手紙の受取人たちに教えていました。( ヨハネの手紙第一1章でヨハネは、使徒たちが受肉したキリストに触れ、見、聞いたことを強調し、また、自分に罪がないと言うなら自分を欺いている、と断言してこれらの誤った教えに反論していることに注目しましょう。)このような教師たちは、キリストの共同体を二つのグループに分けていました。霊的な「持つ者」、つまり御霊からの秘密の知識と洞察力を持つ人々と、霊的な「持たざる者」、つまりそのような理解を持たない大多数の信者に分けていたのです。

いわゆる霊的「持っている者」たちは教会を混乱させ、ヨハネの手紙の読者を惑わそうとしていました(2:26)。ですから、ヨハネは2章27節でそのような偽教師たちに耳を貸す必要はない、と断言します。偽教師たちが主張する特別な油注ぎやキリスト教の真理に対する洞察は本物ではなく、いずれにせよ真のクリスチャンは皆聖霊に油注がれているので、自分の方がより油注ぎを受けていると主張する人々の助けを必要としません。

ヨハネは、「人間の教師はすべて無視しなさい」と言っているのではありません。ヨハネはただ、キリスト者が聖霊を持ち、その聖霊がキリストの真理を証言してくださることを理解するように望んでいるのです。しかし、このキリストの真理は、使徒の証言によって私たちにもたらされるのであり、使徒の証言とは聖書そのものに他なりません。神は、神の言葉を本来の文脈で理解し、他の人に説明できるように、思考と表現が明晰な特定の人を賜ってくださいます。しかし、私たちは誰も、御霊が私たちに与えてくださるものとは異なる種類の油注ぎを受けたと主張する人間の教師を必要としません。聖霊は、神の民が聖書に記されたみことばに耳を傾けるとき、その心と思考を照らされるのです。


この記事はテーブルトーク誌に掲載されていたものです。

ロバート・ロスウェル
ロバート・ロスウェル
ロバート・ロスウェル牧師は、テーブルトーク誌の副編集長、リゴネア・ミニストリーズのシニアライター、フロリダ州サンフォードにあるReformation Bible Collegeの非常勤教授を務めている。2021年のテーブルトーク誌のコリント人への手紙第一、第二の日課の学びを執筆。