神の前には何があったのか
2023年11月22日(木)
神は私たちの父の罪のゆえに私たちを罰するのでしょうか。
2024年01月05日(木)
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神がすべてを支配しておられるなら、祈ることに意味はあるのか


神の目を逃れるものは一つもありません。神の力の限界を超えるものも一つもありません。神はすべてを支配する権威を持っておられます。もし一瞬でも、全知全能の神の支配と統治の外に、分子ひとつでも存在しているとしたら、私たちは心配で夜眠ることはできないでしょう。未来について持ちうる確信は、歴史を支配する神への信頼にかかっています。しかし、神はどのようにしてその主権を行使し、その権威を現すのでしょうか。神はどのようにして、主権を持って定められたことを実現させるのでしょうか。

アウグスティヌスは、神の意志によらずにこの宇宙で起こることは一つもなく、ある意味、起こるすべてのことは神がお定めになっている、と述べました。アウグスティヌスは、人の行動に対する責任を免除しようとしたわけではありません。しかし、アウグスティヌスの教えは一つの疑問を生じさせます。 もし神が人の行動や意思を支配しておられるのなら、私たちはなぜ祈るのでしょうか。また、次にこの疑問もあります:祈りは本当に何かを変えるのでしょうか。主権者である神は、聖なるみことばを通して、私たちに祈ることを命じておられる、という事実が最初の質問の答えです。クリスチャンにとって祈りはしてもしなくてもよいことではなく、必ずしなくてはならないことなのです。

祈って何も変わらなかったら?と疑問に思うかもしれません。しかし問題はそこではないのです。祈りが何かの役に立つか立たないかに関わらず、神が祈るように命じられたなら、私たちは祈らなければなりません。宇宙の主なる神、万物の創造主であり維持者である神がそう命じておられるからです。ですが、神は私たちに祈るように命じておられるだけでなく、私たちの願いを知らせるように招いておられます。ヤコブは、私たちの欲しいものが自分のものにならないのは、私たちが求めないからだと語っています(ヤコブ4:2)。ヤコブはまた、正しい人の祈りは、働くと大きな力があると語っています(ヤコブ5:16)。聖書は何度も何度も、祈りは効果的な手段だと語っています。祈りは役に立つものであり、効果があります。

カルヴァンは『キリスト教綱要]の中で、祈りについて示唆に富んだ考察をしています。

しかしながらどこかの人は言うかもしれない。「神は、通知を受けることがなかったならば、われわれがどのような局面で押し迫られており、何がわれわれの役に立つかを、ご存じないのであろうか。そこで、われわれの声によって目覚ませられるまでは、まるで神が目を閉じた、あるいはむしろ眠りに落ちたかのように、われわれの祈りによって催促するとは、ある程度、無駄なことに見えないであろうか」。けれども、このような理屈をこねるものたちは、主がどのような目的をもって、その民らに祈ることを教えたもうたかに注意を払っていないのである。すなわち、かれが祈りを制定したもうたのはかれ自身のためではなく、むしろわれわれのためだったのである。たしかに、人々がすべて願うところ、また己れの益になると感じるものは、神から受けるのであると認め、その事を祈願によって証しするとき、神が御自身にその権利を帰することを欲したもうことは正当である。しかし、神をあがめるためのいけにえも、その効用はわれわれにもどって来るのである。そこで、聖なる父祖たちは、自らや他の人々に対する神の恵みを、いよいよ確信をもって誇れば誇るほど、いよいよ祈るようにはげしく駆り立てられたのである。…しかも、われわれとしては、たゆみなくかれに歎願することが非常に重要である。〔第一に〕それは、われわれの心がつねに神を求め、愛し、あがめようする、真剣で熱烈な願いに燃やされるためである。すなわち、われわれがいっさいの窮乏のただなかにあって、いわば聖なる錨に頼るようにに、かれのうちにのがれて行くことに習熟するのである。第二に、神御自身を証し人して持つことを恥じる、というような、いっさいの欲望やいっさいの願いが、決してわれわれのたましいのうちに忍び入ることがないためである。すなわち、われわれはすべての願いをかれの目の前に差し出し、またこの心のいっさいを注ぎ出すことを学ぶのである。その次に、われわれが心の底からの真実な感恩と感謝とをもって、かれの恵みを受け入れる備えをするためである。すなわち、その恵みが神の御手からわれわれのもとに来るということを、われわれは祈りによって思い起こさせられるのである。

[『キリスト教綱要・改訳版』III/2、渡辺信夫訳、カルヴァン著作集刊行会・新教出版社 p107-108]

祈りとは、単なる独り言でも、治療的な自己分析の練習でも、宗教的な朗唱でもありません。祈りとは、人格的な神ご自身との対話なのです。

祈りは、クリスチャン生活における他のすべてのものと同様に、神の栄光のためであり、同時に私たちの益のためなのです。神がなさるすべてのこと、神が許され、定められるすべてのことは、最高の意味で神の栄光のためにあります。同時に、神がご自身の栄光を至上とされる一方で、神が栄光を受けるとき、人間が恩恵を受けることもまた事実なのです。私たちは神を賛美するために祈りますが、神の御手から祈りの恩恵を受けるためにも祈るるのです。神は初めから終わりを知っておられるという事実を踏まえても、祈りは私たちの益のためにあります。私たちの有限の存在すべてを、神の無限の臨在の栄光の中に持っていくことは、私たちに与えられた特権なのです。

宗教改革の偉大なテーマのひとつは、人生のすべては神の権威のもとに、神の栄光のために、神の臨在のもとに生きられるべき、という考え方でした。祈りとは、単なる独り言でも、治療的な自己分析の練習でも、宗教的な朗唱でもありません。祈りとは、人格的な神ご自身との対話なのです。私たちは、祈るという行為と過程を通して、自分の人生全体を神のまなざしの下に置くのです。そう、神は私の心の中にあるものを知っておられますが、それでも私には、心の内にあるものを言葉にして神に伝える特権が与えられているのです。神は言われます。わたしのもとに来なさい、わたしに言いなさい、あなたがたの願い事をわたしに知らせなさいと。だから私たちは、主を知り、主に知られるために神の御許に行くのです。

「神がすべてをご存知なら、なぜ祈る必要があるのか」という質問には本質的な誤りがあります。この質問は、祈りが一面的なものであり、単に願いを伝えることや執り成しでしかないと定義しているのです。そうではありません。祈りは多面的なものです。神の主権は神を崇める祈りに影を落とすことはありません。神の予知や神の御心のご計画は、賛美の祈りを否定するものでありません。むしろ、神のご性質を賛美するより大きな理由を与えてくれるはずです。もし、私が言おうとしていることを、私が言う前に神が知っておられるなら、神が全知であることは、私の祈りを制限するどころか、むしろ私の賛美の美しさを高めてくれるでしょう。

私と妻は、二人の人間が一体になりうる限り最高に親しい仲です。ほとんどの場合、妻が言う前に妻が言おうとしていることがわかります。逆も然りです。しかしそれでも妻の口から彼女の考えていることを聞きたいのです。もし人間がそうであるなら、神はもっとそうです。私たちの心の奥底にある思いを神に知っていただく特権を私たちは与えられているのです。もちろん、祈祷室に入って、黙って神に私たちの心を読んでもらって、それで祈ったことにすることもできるかもしれません。しかし、それは交わりではなく、コミュニケーションとは言えないのです。

私たちは主に言葉を通してコミュニケーションをとる生き物です。口に出して祈ることは、語ることの一形態であり、私たちが神と交わり、コミュニケーションをとるための方法なのです。神の主権は、少なくとも神を崇めることに関しては、私たちの祈りに対する態度に影響を及ぼすべきでしょう。神の主権を理解することは、私たちを感謝の祈りへと駆り立てるはずです。そのような知識のゆえに、私たちは、あらゆる主が良くしてくださったこと、すべての良い贈り物、またすべての完全な賜物、神の豊かな恵みの表れであることを理解するはずです。神の主権を理解すればするほど、私たちの祈りは感謝で満たされるようになります。

神の主権が、悔い改めの祈り、告白の祈りに悪影響を及ぼすことはあるでしょうか。もしかすると、私たちの罪は究極的には神の責任であり、私たちの告白は、神こそ罪の元凶だという告発であるという結論に(間違って)至るかもしれません。しかし、真のクリスチャンなら誰でも、自分の罪を神のせいにできないことを知っています。私は神の主権と人間の責任との関係は理解できないかもしれませんが、自分の心の邪悪さに起因するものが神の御心に由来するものでないことは理解しています。したがって、私たちは罪を犯しているからこそ祈らなければならないのであり、私たちが犯した神聖なるお方の赦しを求めなければならないのです。


この記事はリゴニア・ミニストリーズブログに掲載されていたものです。

R・C・スプロール
R・C・スプロール
R・C・スプロール博士は、リゴニア・ミニストリーズの設立者であり、フロリダ州サンフォードにあるセント・アンドリューズ・チャペルの創立牧師、また改革聖書学校(Reformation Bible College)の初代校長を務めた。彼の著書は『The Holiness of God』など100冊を超える。