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改革派神学を理解するための重要な文脈


ほとんどのクリスチャンは聖書を正しく解釈するためには文脈が大切だと理解していると思います。聖書の書巻は何千年も前に、私たちとは違う文化の中で、私たちが話さない言語で書かれたことを私たちは知っています。それぞれの著者と最初の読者たちにとっては自明なこと、当たり前のことは、私たちにとっては学ぶ必要がある事柄なのです。旧約聖書を学ぶならヘブル語とアラム語を学ぶ(あるいはそれらを学んだ翻訳者たちを信頼する)必要があることを私たちは知っています。聖書の著者の語っていることを理解するために、古代中近東の歴史、地理、文化、習慣を学ぶ必要があります。新約聖書を学ぶなら、ギリシャ語を学ばなくてはなりません。1世紀のローマ帝政下の世界について学ばなくてはなりません。これらはすべて、文法的歴史的解釈法の性質です。

文脈は改革派神学を理解するためにも重要です。改革派神学は16世紀の宗教改革の実です。この宗教改革は特定の歴史的、文化的文脈の中で起こりました。この時代の著作家たちは特定の哲学的、神学的文脈の中で執筆しました。これらの文脈を把握することは改革派神学を理解する上で重要です。このように重要な三つの文脈、歴史的、哲学的、神学的文脈について述べたいと思います。

歴史的文脈

宗教改革はある日暇だったローマ教徒の修道僧のお祭り騒ぎが暴走したから起こったのではありません。宗教改革は数世紀に及ぶ、複数の歴史上の出来事の結実なのです。教会とさまざまな政体(帝国やより小さいものも)のぶつかり合い、またさまざまな政体同士のぶつかり合いの影響がありました。教会自体の堕落やそれらを改革しようとする運動の影響もありました。経済的変化、工業技術的発展を含む文化的変化の影響もありました。

例えば、宗教改革初期における最も重要な書物である、マルティン・ルターの『教会のバビロニア捕囚』(1520)と『ドイツ国民のキリスト教貴族に与える』(1520)に歴史的文脈の重要性を見てとることができます。ジャン・カルヴァンの『キリスト教要綱』の序文「フランス王フランソワ1世への献辞」に見てとることができます。この序文は、『要綱』の内容を理解するために必要な文脈です。

さらに、改革派の信仰告白の多くは特定の歴史的状況を前提としていたり、特定の歴史的状況への対応です。改革派神学への歴史的文脈の影響が最もよく表れているのは元々のウェストミンスター信仰告白とアメリカの改訂版における、国家的為政者と教会と国家についての違いです。私たちは改革派神学を理解するのには歴史的文脈が重要であることを理解しなければなりません。改革派神学についてより深く理解したいと願うなら、宗教改革直前の200年、すなわち14世紀、15世紀の歴史、そして宗教改革が起こった16世紀と17世紀の歴史を学ぶべきです。神学は歴史的真空に存在するのではないのです。

哲学的文脈

改革派神学の哲学的文脈の重要性を理解するには、宗教改革の年表を憶える必要があります。宗教改革は16世紀初頭、マルチン・ルターの働きによって始まりました。カルヴァンの『要綱』のラテン語の初版は1536年に出版され、ラテン語の最終版は1559年に出版されました。ツヴィングリ、ムスクルス、ヴェルミーリ、ブリンガー、ド・ベーズ、ザンキウス、ウルジヌスなどの改革派神学者の主著はすべて16世紀に出版されました。正統主義時代前期(Early Orthodoxy)の改革的スコラ派神学者の著作のすべて、そして正統主義時代最盛期(High Orthodoxy)の主な書物のほとんどは17世紀が終わる前に出版されました。ここにはポラヌス、エイムズ、ヴォレビウス、マコヴィウス、ヴィトシウス、テュレチニやマーストリヒトなどの改革派神学者が含まれます。

現実と知についての最も基本的な原則の理解は、哲学的前提によって大いに影響されます

改革派の主な信仰告白や教理問答はすべて16世紀と17世紀の間に出版されました。例えば四都市信仰告白(1530)、第一スイス信仰告白(1536)、ガリア信仰告白(1559)、スコットランド信仰告白(1560)、ベルギー信仰告白(1561)、ハイデルベルク信仰問答(1563)、第二スイス信仰告白(1566)、ドルト基準(1618-1619)、ウェストミンスター信仰告白(1646)、ウェストミンスター大教理問答、小教理問答(1647)は16世紀と17世紀前半に書かれました。

これがなぜ重要かというと、これらの古典的な改革派神学者の偉大な神学書や彼らが著した改革派信仰告白はすべて啓蒙主義以前の哲学的文脈において書かれたからです。言い換えるならこれらの神学者は、啓蒙主義者が「(絶対的基準から)主体への転換」を唱え始める前に書かれたということです。思い出してください。近代哲学の父と呼ばれるデカルトは16世紀の最後、1596年に生まれました。デカルトの最も影響ある哲学書は1630年代後半、1640年代前半、つまり17世紀の中頃まで書かれておらず、これらの著書の影響が大学や神学者に波及するまで時間がかかったのです。

これは啓蒙主義以前の哲学的様相が画一的だったという意味ではありません。また、近代哲学となるものの先駆けがなかったというわけでもありません。例えば、唯名論や、ルネサンス期に再発見された古代ギリシャの懐疑主義などがあります。しかし、以上の年代的事実は、デカルト主義以降の哲学的前提よりも、古典的改革派神学の哲学的前提のほうが、中世の神学者の哲学的前提との共通項が多いということを意味します。古典的改革派神学者は一般的には、人間の精神の外に、人間の精神によらずに存在する世界が現実に存在すること、神から与えられた感覚・理性を用いて、その世界についての真の知識を得られることについて、疑問を抱かない文化・文脈の中で活動してました。さらに言うなら、彼らは(唯名論などの例外はあるものの)、物質には実存があるとする哲学的文化の中で活動していました。

しかし、啓蒙主義が徐々に世の中に浸透し、神学者の思考にまで及ぶと、改革派神学のこの全般的な哲学的文脈は徐々に失われてしまいました。これは改革派神学にとって破滅的でした。リチャード・ムラーは(「キリスト教的アリストテレス主義」という表現を用いて)こう述べています。

正統的プロテスタント神学の衰退は、スコラ哲学的方法論とキリスト教的アリストテレス主義という相互に関連する知的現象の衰退と重なる。合理主義は、結局のところ、適切な補佐役となることができなかった。そして反対に、神学ではなく自らが(つまり合理主義が)科学の女王となることを要求した。教理を補完し、自らのスコラ哲学的方法論と一貫性を持つ哲学的構造がなくなると、正統的プロテスタント神学は終わりを迎えた。(Richard Muller, Post-Reformation Reformed Dogmatics, vol. 1, [Baker Pub Group: Ada, Michigan, 1987], 84.)

つまり、16世紀から17世紀にかけて改革派神学の巨人が数多く存在し、それ以降は比較的少ない理由は、後の神学者たちが啓蒙主義哲学の様々な形態を取り入れ、啓蒙主義以前の哲学的文脈を否定したことが大きく関係してるのです。改革派神学が啓蒙主義哲学の前提を取り入れる時、その神学は枯れ、死んでしまうのです。

現実と知についての最も基本的な原則の理解は、哲学的前提によって大いに影響されます。今日、改革派神学に親しむ人たちは、啓蒙主義以降の哲学的原則を知らず知らずのうちに吸い込んで育ってきているのです。ポスト啓蒙主義の哲学的原則は私たちの知的環境の一部になっています。そのため、ポスト啓蒙主義の眼鏡をかけて伝統的改革派神学の教理を読むと、この神学的教理を間違って理解してしまうのです。さらに深刻なことに、現代の改革派神学者の多くは、意識的に、あるいは無意識的に、啓蒙主義以降の哲学をなんらかの形で自らの考え方に取り込んでいるのです。ポスト啓蒙主義哲学は、神、人、罪、その他すべてのものに対する私たちの理解に多大な影響を及ぼしています。

啓蒙主義以後の哲学を何らかの形で取り入れてきた現代の改革派神学者が、啓蒙主義以前の哲学的文脈の中で考えてきた神学者たちによって書かれた改革派信仰告白に同意しようとするとき、必然的に内的葛藤が生じます。伝統的改革派神学の教えを根底から変質させるか、あるいは完全に否定する誘惑に常に晒されるのです。このような変質や拒絶はすでに起こっています。これは改革派の信仰告白が教える神の教理(ウェストミンスター信仰告白2章など)を否定する現代の改革派神学者の著作において顕著です。

神学的文脈

もし誰かがドルト信仰基準の神学を学びたいと願うなら、その人はアルミニウス論争やレモンストラント派の神学についてある程度理解する必要があると言えます。なぜなら、ドルト信仰基準は、レモンストラント派・アルミニウス主義者の神学に対する応答だからです。同じ原則が、古典的改革派神学全般にも当てはまります。なぜなら、改革派神学はすでにそこに存在していた神学、中世後期のローマ・カトリック神学に対する応答、また改革だからです。

このような神学的文脈が前提となっていることは、初期の宗教改革者の著作や改革派信仰告白に現れています。どれをとっても、改革派神学者や改革派信仰告白はローマ・カトリックのさまざまかつ特定の教理や習わしに応答しています。あるときはそれらを正し、あるときはそれらを完全に否定します。ローマ・カトリックの教理や習わしをある程度知っていなければ、私たちの改革派信仰告白や改革派神学者たちが何を言おうとしているのか理解するのは難しいでしょう。

16世紀と17世紀の改革派神学者たちは、中世後期のローマ・カトリック神学の内容を把握していました。また、彼らの想定読者たち(他の神学者や牧師たち)の多くもローマ・カトリック神学の内容を把握しているとの前提で論じることができました。改革派神学の現代の読者の多くは、初期の改革派神学者やその読者が持っていたようなローマ・カトリックの教理と習わしに関する基本的な知識を持っていません。ローマ・カトリックの教会論・祭儀論・救済論を含む包括的神学体系について、初期の改革派神学者たちと同じようには把握していないのです。義認についてや、聖書と聖伝との関係についてなど、断片的な知識はあっても、ローマ・カトリックの神学体系全体の包括的な性質や、それぞれの教理が他の教理とどのように関連しているのかについては、ほとんどの人が理解していません。

この事実は、改革派神学の現代の読者を、ドルト信仰基準が応答しようとしているアルミニウス主義の神学を理解しないままでドルト信仰基準を学ぼうとする人と同じような立場に置くことになります。改革派神学の神学的文脈を知らなくてもある程度改革派神学を理解することはできますが、断片的な前提知識が改革派神学の教えを誤解させてしまうことは簡単に起きてしまうでしょう。例えば、アダムの堕落前の性質と、その時点における自然と恩寵の関係についてのローマ・カトリック教の理解が、罪、恵み、義認についてのローマ・カトリックの理解にとってどれほど重要であるかを、どれだけの改革派クリスチャンが理解しているでしょうか。この知識は、罪、恵み、義認に関する改革派の神学を理解するための重要な文脈なのです。

結論

古典的改革派神学は、何の脈絡もなく空から降ってきたわけではありません。実際の歴史の中で発展したものであり、歴史的、文化的、政治的、哲学的、神学的文脈があるのです。私たちは当時の文脈から500年離れています。私たちの21世紀の歴史的、哲学的、神学的文脈は、16世紀や17世紀のそれとは大きく異なっています。もし私たちの状況と、当時の状況の違いに気がつかなければ、私たちの文脈を当時書かれた書物に読み込んでしまう危険性があります。また、違いがあることに気が付きながらも、16世紀や17世紀の文脈を知らないままであれば、その教えの真の意味を見逃してしまうことになりかねません。

要するに、聖書の文脈を学ぶのと同じような努力を、古典的改革派神学の文脈を学ぶことにも払うべきなのです。


この記事はリゴニア・ミニストリーズブログに掲載されていたものです。

キース・A・マシソン
キース・A・マシソン
キース・A・マシソン博士は、フロリダ州サンフォードにあるReformation Bible Collegeで組織神学の教授を務める。著書に『The Lord’s Supper』『From Age to Age』などがある。