ヨハネの福音書について知っておくべき三つのこと
2024年09月03日(木)ローマ人への手紙について知っておくべき三つのこと
2024年09月09日(木)使徒の働きについて知っておくべき三つのこと
使徒の働きは、新約聖書の中でも特徴的な書物です。四つの福音書は、イエスの地上での宣教、犠牲としての死、そして勝利の復活の証しです。21簡の書簡は、イエスというお方とその使命を説明し、私たちが信仰による愛をもってイエスの贖いに応答するよう促します。黙示録は、私たちの目にあまりにも明らかな世界の苦難の、隠された葛藤の覆いを取り除き、子羊がすでに勝利したという確信を読者に与えます。しかし、使徒の働きだけが、復活し昇天した主がご自身の教会の基礎を築かれた数十年間を描いているのです。
1. 使徒の働きは、福音書と書簡を結ぶ「トンネル」を照らす光である
新約聖書を読むうえで、もし使徒の働きがなければ、真っ暗な列車で何も見えないトンネルに入って突然日の光に晒される乗客のような気持ちになるでしょう。だんだんと目が慣れてくるにつれて、旅の仲間も、荷物係も、車掌も新しくなっているなど、かなりの変化が起こっていることに気が付くのです。
福音書の最後、よみがえられた主イエスが「数多くの確かな証拠」を通してご自身の復活の現実を示されます(使徒1:3; 以下の箇所の要約・ルカ24章, マタイ28章, マルコ16章, ヨハネ20-21章)。使徒の証人はすべてユダヤ人でしたが、イエスは彼らに福音をあらゆる国に伝えるよう命じておられます。福音書の幕が閉じる時点では、イエスが「聖霊と火」によるバプテスマを授けるというバプテスマのヨハネの預言は(ルカ3:16)、いまだ成就されるのを待っている状態です。イエスはそれがすぐに起こると言われました(ルカ24:49; ヨハネ15:26)。
さて、私たちはトンネルに入ります。中に入ると、すぐにパウロとの出会いがあります。パウロは自分をキリストの使徒と呼びますが、イエスがマリアやペテロ、その他の弟子たちに現れたときは、パウロの姿はどこにもありませんでした。イエスの復活から20年後、パウロはテサロニケ、ガラテヤ、コリント、ローマ、ピリピ、エペソ、コロサイと、古代ギリシャ・ローマ諸都市のクリスチャンたちに手紙を書いています。パウロは自分がかつてはイエスとイエスを信じる人々を迫害していたことを認めつつ、今は心を注いで主イエスに仕えています。一体どのようにして、そのような逆転劇が起こったのでしょうか?
パウロが手紙を書いている人々は「異邦人」と呼ばれ、かつて「イスラエルの民から除外され、約束の契約については他国人」とされていました(エペソ2:11-13)。すなわち、神の恵み深い王国を世界中に広めるというイエスのビジョンが実現しつつあるのです。一体何をきっかけに、イスラエルの「失われた羊たち」(マタイ15:24)から「囲い」の外の「ほかの羊たち」(ヨハネ10:16)へと焦点が移ったのでしょうか?
パウロが開拓した諸教会に集まった人々は、一つの御霊によってバプテスマを受け、一つのからだとなっていました(一コリ12:13)。彼らは「御霊によって生きてい」るので、「御霊によって歩み」、御霊の実を結ばなければいけません(ガラテヤ5:16-25)。(ヨハネによる)メシアの宣教の頂点である神の御霊の注ぎは、いつ、どのように行われたのでしょうか?
使徒の働きは、これらの疑問に答えを与えるトンネルの光です。ペンテコステの日、イエスはご自分に従う者たちに聖霊によるバプテスマを授けました(使徒1:4-5; 使徒2章)。その後、主はペテロを異邦人のもとに遣わして福音を伝えさせ、御霊が異邦人を神の家族に招き入れるのを驚くままに見守らせました(使徒10-11章)。また私たちは、サウロ(後のパウロ)に出会います。彼はイエスの栄光で目が見えなくなり、迫害者から「道」の伝道者へと変貌しました(使徒9章)。パウロが国々への「光」を携え(使徒1:8; 使徒13:46-47)、海や陸を超えて旅をする中、私たちはパウロが書簡を宛てた信者たちの背後にあるストーリーを知ることができるのです(使徒13-28章)。ルカの「前の書」(三つ目の福音書)を補足するこの第二巻をルカに執筆させた神は、なんと賢く優しいお方でしょうか。
使徒の働きは、主イエスがご自分の教会の基礎を築かれたこと、神の御霊を注がれたこと、恵みをもって異邦人を受け入れられたことを語ることで、福音書と書簡を結びつけています。
2. 復活し支配されるキリストは、使徒の働きのドラマの主人公である
「イエスが行い始め、また教え始められたすべてのこと」がルカの福音書であるのに対して、使徒の働きは、イエスの昇天後、イエスが引き続き行われたこと、また教えられたことを伝えるものです(使徒1:1-2; 斜体は著者による)。使徒の働きは、ペテロ(使徒1-12章)とパウロ(使徒13-28章)による使徒宣教が描かれているため、かなり早い時期から「全使徒の働き」や「使徒言行録」といったタイトルが付けられていました。とはいえ、ルカは、教会の成長を導き、力づける真のヒーローは、主イエスご自身であることを知らせたいと願っているのです。
イエスが地上での宣教のあいだに使徒たちを選ばれたように(使徒1:2)、イエスはユダの代わりとして使徒たちに加わる者を選ばれました(使徒1:21-26)。ペンテコステにおける聖霊降臨は、イエスによる御業です。「ですから、神の右に上げられたイエスが、約束された聖霊を御父から受けて、今あなたがたが目にし、耳にしている聖霊を注いでくださったのです」(使徒2:33, 斜体は著者による)。イエスは、「毎日、救われる人々を加えて」くださる主です(使徒2:47; 参照・使徒5:14; 11:21-22)。かつて足の不自由だった人が宮で飛び跳ねていたとき、ペテロとヨハネは驚きに満ちた群衆の注目を、自分たちから真の癒し主へと向けさせました。「このイエスの名が、その名を信じる信仰のゆえに、あなたがたが今見て知っているこの人を強くしました。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの前で、このとおり完全なからだにしたのです」(使徒3:12, 16, 斜体は著者による; 同じく使徒4:9-10)。目が見えなくなった迫害者サウロが「主よ、あなたはどなたですか」と聞くと、答えはこう返ってきました。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである」(使徒9:5, 斜体は著者による)。イエスはサウロを選び、「私の名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ」者とされました(使徒9:15)。イエスは、パウロとバルナバが新しい信者と彼らの長老たちを委ねる主であり(使徒14:23)、リディアの心を福音に開かれる主であり、コリントにいるパウロを「この町には、わたしの民がたくさんいるのだから」と励まし(使徒18:10)、また獄中においても励ましてくださる主です(使徒23:11)。
使徒の働きは、高挙された主イエスが御霊を通してご自分の教会に親しく臨在しておられることを、絶えず思い起こさせます。キリストは不在の君主でも、遠く離れて手の届かないお方でもありません。天で神の右の座についておられますが、イエスはこの地上においても「神が私たちとともにおられる(God with us)」であられるお方なのです。ご自身の力強い御霊によって、イエスは教会のいのちを保ち、教会を成長させてくださいます。イエスは約束を守ってくださるお方です。
- 「わたしは……わたしの教会を建てます」(マタイ16:18)
- 「わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません」(ヨハネ14:18)
- 「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます」(マタイ28:20)
使徒の働きは、イエスが活きいきと生きておられ、主権をもって支配され、教会に注がれる御霊によって永遠に臨在され、地の果てまで神の恵みの光を輝かせるお方であることを、私たちに示しているのです。
3. 使徒の働きは、教会の成長とみことばの広がりを同じものとする
ルカの福音書でも見られるように(ルカ1:80; 2:40, 52; 4:14; など)、使徒の働きにおいても、ルカは具体的なできごとの説明のあいだに、それらのできごとによる影響の要約を挟んでいます。ペンテコステにおいて数千人が回心した後、彼らは「使徒たちの教えを守り、交わりを持ち、パンを裂き、祈りをし」、すべての持ち物を分け合い、神殿で礼拝し、食事をともにしていました(使徒2:42-47; 参照・使徒4:32-35; 5:12-16; 9:31; 16:5)。
このような要約に繰り返し出てくるテーマに、みことばの「広がり」があります。
- 使徒の働き6章7節:こうして、神のことばはますます広まっていき(auxanō)、エルサレムで弟子の数が非常に増えていった。[著者は auxanō の訳として increased (ESV) を was growing としている]
- 使徒の働き12章24節:神のことばはますます盛んになり(auxanō)、広まっていった。[著者は auxanō の訳として increased (ESV) を was growing としている]
- 使徒の働き19章20節:こうして、主のことばは力強く広まり(auxanō)、勢いを得ていった。[著者はauxanō を was growing と訳すNASBを採用]
ルカはここで、教会の成長について、人数と霊的成熟の両方を取り上げています。教会の成長を「みことばの広がり」として説明しているのは、使徒が御霊の力によって宣べ伝えるみことばは、キリストが人々の心を捉えるための揺るがない武器であり、神の子どもを成熟へと導くための栄養であるからです。
教会生活と教会に与えられている使命における神のことばの中心的役割は、使徒の働き全体を通して説教と演説が圧倒的に多く記録されていることに示されています。聖霊降臨の前から、ペテロは集まった信者たちに、ユダの裏切りと新しい弟子の選定が聖書のことばの成就であることを教えていました(使徒1:15-22)。ペンテコステでは、ペテロは詩篇16篇、110篇、ヨエル書2章が、いかにイエスの復活、昇天、そして聖霊の注ぎを預言しているかを示しています(使徒2:14-36)。宮にいる群衆や彼らの指導者たちに対して、ペテロとヨハネはイエスの名だけが救いをもたらすと証ししています(使徒3-4章)。ステパノは、神の民を救う者たちを拒んだイスラエルの恥ずべき歴史を振り返り、ついには義なる方、イエスを殺すに至ったことを語ります(使徒7:2-53)。ペテロは異邦人たちに福音を語ります(使徒10:34-43)。神殿では、パウロが、メシアであるイエスにおいて聖書が成就したことを示します(使徒13:16-41; 17:2-4, 11, 17)。パウロはまた、多神教を信じる異教徒(使徒14:14-17)、都市の哲学者(使徒17:22-31)、異邦人の支配者(使徒26:1-23)にも神のことばを語っています。使徒たちは教会での論争を取り上げるため(使徒15:7-21)、教会の指導者を整えるため(使徒20:18-35)に、みことばを語ります。使徒の働きの終わりでは、パウロはローマに捕えられたままですが、それでも「少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、……主イエス・キリストのことを教えた」とあります(使徒28:30-31)。
これだけ語られたことばが記された書物であるにもかかわらず、どうして教会はこれを使徒の働きと呼んだのでしょうか? それは、使徒の働きが教える重要な点にあります。キリストの教会は、市場分析や人間的戦略によって、または神がかつて使徒の証しの中で認められたしるしと不思議によって(ヘブル2:3-4; 二コリ12:11-12)ではなく、むしろ御霊の力によって、聖書が教える恵みのみことばを通して、成長し、活力を得るのです。
1 イエス(マルコ4:8)とパウロ(コロサイ1:6)もまた、種が実を結ぶたとえを用いて、みことばが「広がる(auxanō)」様子を教えている。
この記事はリゴニア・ミニストリーズブログに掲載されていたものです。