エズラ記について知っておくべき三つのこと
2025年07月01日(木)
ハガイ書について知っておくべき三つのこと
2025年07月08日(木)
エズラ記について知っておくべき三つのこと
2025年07月01日(木)
ハガイ書について知っておくべき三つのこと
2025年07月08日(木)

ペテロの手紙第一について知っておくべき三つのこと


ペテロの手紙第一を学ぶことは、クリスチャンにとって重要です。この記事では、ペテロの手紙第一について知っておくべき三つのことを紹介します。

1. イエスに個人的に「岩」と呼ばれた(マタイ16:18)この手紙の執筆者ペテロは、類似の比喩をこの書簡でも用いている

確かに、このマタイの福音書の聖句でイエスが正確に何を意味されたのかについてはいくつかの議論があります。しかし、イエスがここで、「あなたは生ける神の子キリストです」(マタイ16:16)と告白したペテロに語っておられるということは明らかです。この出来事の後、ペテロが岩や石に魅了されたとしても不思議ではありません。興味深いことに、ペテロが自身の最初の手紙の中(一ペテロ2:4-8)で、岩や石に大きな意味を見出していることです。ペテロは、石や岩について記されている三つの聖書箇所を引用しています。イザヤ書とハレル詩(詩篇113-118篇、過越の祭りにて歌われる)の最後の詩篇です。

引用の一つは、神が「シオンに……据え」られた「要石(かなめいし)」です。これは「建てる者たちが捨てた石」、すなわちイエスを指しています(イザヤ28:16; 詩篇118:22)。イエスの時代に、ユダヤ人たちがいかにイエスを拒んだかを考えてみてください。最後の引用は、人々がつまずく「妨げの石」について語っています(イザヤ8:14-15)。この石は「人には捨てられたが神には選ばれた、尊い生ける石」であり、当然イエス・キリストを指しています(一ペテロ2:4)。

ペテロは、この手紙の読者が、クリスチャンは「生ける石」であることを理解することを願っています。この石はイエスが今築いておられる教会の中に、慎重かつ確実に据えられた石であり、その「要石」となっているのはキリストです。この建物(教会)は、「よみの門もそれにうち勝つことはできません」(マタイ16:18)という約束に支えられています。

2. ペテロの手紙第一はクリスチャン生活のあるべき姿に最大の関心を向けている

ペテロはこの手紙の冒頭で、クリスチャンは「父なる神の予知のままに、御霊による聖別によって、イエス・キリストに従うように、またその血の注ぎかけを受けるように選ばれた人たち」(一ペテロ1:2)であると述べています。ペテロは手紙の半分以上を使って、聖化がどのようにもたらされるかについて語っており、1章ではレビ記から「あなたがたは聖なる者でなければならない。わたしが聖だからである」という「神聖法集(Holiness Code)」と呼ばれる言葉を引用しています(一ペテロ1:16; レビ11:44, 45; 19:2; 20:7)。そこから手紙の後半部分では、職場や社会における権威への服従、結婚生活や教会生活など、日常生活の葛藤の中で聖化がどのように現れるかについて実際的な勧めを記しています(一ペテロ2:13-25; 3:1-7; 5:1-11)。

聖さは、人生のあらゆる場面において非常に実際的なかたちで現れます。ペテロが語る内容には、実践するのが難しく思えるものもあります。しかし、ペテロは読者に「このためにこそ、あなたがたは召されました。/キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、/その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された」と思い起こさせています(一ペテロ2:21)。イエスがその御血によって私たちを贖ってくださったと知るなら、イエスのために直面すべき最も難しい状況においてさえも、十字架を背負うことができるようになるはずです。

3. ペテロの手紙第一は正直である

ペテロは感情的に甘い言葉を並べて語ることはしません。むしろ、信仰の兄弟姉妹たちに、クリスチャン人生は「戦い」であり、その中でクリスチャンは「旅人、寄留者」であると言っています(一ペテロ2:11)。クリスチャンは悪い振る舞いに苦しむこともあるかもしれませんが、時には「義のために苦しむ」こともあります(一ペテロ3:13-14, 17)。「良いこと」をすることが、イエスを救い主、主と信じていない人からの反発を誘うこともあるでしょう。そのような状況においても、「心の中でキリストを主とし、聖なる方としなさい。あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでも、いつでも弁明できる用意をしていなさい」(一ペテロ3:15)とパウロは語っています。キリストに仕えるとき、私たちは主人に仕えているのだということを忘れずにいれば、戦いの中にあるときも正しい選択をし、正しい言葉を選ぶことができるはずです。ペテロの手紙第一4章12-19節で、ペテロはクリスチャンが直面するであろう試練に焦点を当て、読者にこのように勧めています。「あなたがたを試みるためにあなたがたの間で燃えさかる試練を、何か思いがけないことが起こったかのように、不審に思ってはいけません」(一ペテロ4:12)。

ローマ人への手紙5章の冒頭でのパウロによく似た言葉で、ペテロはクリスチャンたちに、試練に遭うときは「喜びなさい」と求めています(一ペテロ4:13; ローマ5:3)。ペテロは苦難を指してこう言っているのです。理解しがたいように聞こえるでしょうか。私たちは悪い選択をしたことによって苦しむこともありますが、パウロはここで、クリスチャンが経験する別の苦難を思い描いています。彼らが聖く生き、イエスのことを畏れと崇拝の心で語るなら、この苦難を経験するのです。「しかし、キリスト者として苦しみを受けるのなら、恥じることはありません。かえって、このことのゆえに神をあがめなさい」(一ペテロ4:16)。ペテロは続けてこのような勧めを加えています。「ですから、神のみこころにより苦しみにあっている人たちは、善を行いつつ、真実な創造者に自分のたましいをゆだねなさい」(一ペテロ4:19)。

クリスチャンは、安楽な人生に召されているのではなく、「イエス・キリストに従う」人生に召されています(一ペテロ1:2)。そして、従順はしばしば痛みと犠牲が伴うものです。これらの試練はあなたを試すためにあります。それは、「試練で試されたあなたがたの信仰は、火で精錬されてもなお朽ちていく金よりも高価であり、イエス・キリストが現れるとき、称賛と栄光と誉れをもたら」すからです(一ペテロ1:7)。


この記事はリゴニア・ミニストリーズブログに掲載されていたものです。

 

デレク・W・H・トーマス
デレク・W・H・トーマス
デレク・W・H・トーマス博士は、サウスカロライナ州コロンビアのFirst Presbyterian Churchの主任牧師、Reformed Theological Seminaryの組織神学と牧会学の総長教授を務める。彼はリゴニア・ミニストリーズの専属講師で、著書も多く、『How the Gospel Brings Us All the Way Home』、『Calvin’s Teaching on Job』などがある。また、シンクレア・B・ファーガソン博士と『Ichthus: Jesus Christ, God’s Son, the Saviour』を共同執筆している。