
エゼキエル書について知っておくべき三つのこと
2025年07月19日(木)
エレミヤ書について知っておくべき三つのこと
2025年07月26日(木)ダニエル書について知っておくべき三つのこと

ダニエル書は、その内容において、またイスラエルの回復に関する旧約聖書の預言と、イエス・キリストの生涯、死、復活、昇天によって成し遂げられる新約聖書の預言の成就との狭間で果たす重要な役割から、旧約聖書の中でも特にユニークな書物です。この書物は非常に複雑で奥深く、その豊かさゆえに簡潔に要約するのは容易ではありません。しかし、現代の読者にとって、この書物の解釈の鍵となる側面を三つ紹介しましょう。
1. ダニエル書の冒頭の物語(1-6章)は、後の預言(7-12章)の信用性を高めている
ダニエル書の冒頭の章にある物語は、主にアラム語で書かれており、紀元前605年にバビロンに捉えられたユダ王国の若者の世代を描いています。彼らはそこで、征服国による激しい迫害を受けると同時に、主に信頼を置くことで驚くべき成功も経験します。ダニエルとその友人シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴの物語には、エジプトでのヨセフの物語との文学的かつ言語学的な繋がりが明確に見受けられます。例えば、ヨセフもダニエルも顔立ちが美しく(創世39:6; ダニエル1:4)、両者とも王が悩み苦しむ夢の解き明かしを行い、それによって神の将来の計画を明らかにします。さらに、同じヘブル語の言葉が共通して多く使われており、それらが二つの物語を結びつけています。ヨセフのように、ダニエルと友人たちは、異国の宮廷で仕えながら神の召しに誠実であり、その結果、非常に高い地位まで引き上げられ、金の首飾りを受けるところまで共通しています(創世41:42; ダニエル5:29)。
迫害に直面しながらも彼らが示した誠実は、ダニエルの預言的メッセージを補強していると言えます。この預言とは、離散の中にあるイスラエルの民や、バビロンがメディア・ペルシア連合に敗れた後、紀元前536年にエルサレムへ帰還した人々に対する回復の約束でした。これは、ダニエルの最も大切なメッセージが、捕囚からの回復は七倍の期間延期されるというものであったことを考えると、特に重要です(ダニエル9:24)。
2. ダニエル書で宣告されたエルサレムの回復の七倍の延期は、旧約聖書の出来事とイエスの公生涯における出来事とのあいだに橋渡しをする役割を果たしている
モーセの時代以来、イスラエルの民の前には、国としての捕囚と回復という将来が提示されていました(申命28:64-68; 30:1-10)。レビ記26章では、主はモーセに対して何度も、もしイスラエルの民が捕囚の中でも悔い改めないなら神はその懲らしめを七倍にする権利を保留しておられると語られています(レビ26:18, 21, 24, 28)。
エレミヤの時代になると、捕囚の脅威は「起こりうる結末」から「差し迫った滅び」へと拡大します。悔い改めの時はすでに過ぎ去り(エレミヤ19章)、預言者は捕囚の時が近づいていることだけでなく、それが70年続くことを宣言しました(エレミヤ25:11; 29:10)。ダニエルはこのような預言を読んでいたため、それがダニエル書9章にある悔い改めの祈りを生み出しています。イスラエルの民が彼らの罪を悔い改め、心から救いを与える主に立ち帰らなければ、捕囚は決して終わることはないということを、ダニエルは知っていたのです。彼の義なる祈りによって、主は御使い(ガブリエル)をダニエルのもとに遣わし、捕囚の期間が七倍に延長されたという知らせを伝えます。つまり、エルサレムの荒廃の期間が満ちるまでの期間は70年ではなく、70週、すなわち70 x 7 = 490年だというのです。ダニエル書の残りの部分には、ダニエルの時代から神の御国が来るまでのあいだに起こる出来事を描いた一連の幻が記されています。
3. 7章から12章に渡って描かれる幻は、たとえ中間時代(旧約と新約のあいだ)に世界的な出来事が起こったとしても、神の民が主の回復の計画を信頼し続けるようにと励ましている
ダニエル書の後半で特に印象的なのは、回復におけるメシアの到来が実現する前に起こる出来事に関する幻が、非常に具体的かつ詳細に描かれていることです。ダニエルはなぜ、これほどまで詳細に将来の出来事を語ったのでしょうか? 他の預言者たちはもっと曖昧で、印象的な表現で将来を予測していますが、ダニエルは驚くほど正確に語ります。その答えは、この書が伝えている回復の七倍の延期というメッセージに関係しています。詳細を語ることによって、預言者ダニエルは、世界歴史の動きの中で次々と帝国が起こっては崩壊するような時でも、契約の共同体が主に信頼し続けるように励ましているのです。主はなおも人類の歴史の主権者です。ですから、神の民は変わらず与えられている義務において主に誠実を果たし、神の契約の民として得ている特権を享受すべきなのです。これらを通して、民は自分たちの救いの主を信頼し、いつの日か、主が必ず彼らを回復させてくださることを確信するべきです。
ちょうどイスラエルの正しい残りの者が、歴史の盛衰にもかかわらず信仰を持ち続けなければならなかったように、現代のメシアの弟子たちもまた、ダニエル書の預言に希望を見出すべきです。私たちも同じように、神が二千年前から始められた、私たちの王の再臨と回復の計画の成就を待つ神の民として、義務と特権が与えられています。(二ペテロ3:1-13)。さらに私たちは、離散している寄留者として、メシアである王をすでに見ながらも世界情勢が展開する中でその王に仕えています(一ペテロ1:1; ヤコブ1:1も参照)。ダニエルと友人のように、私たちは政治的な権力に押しつぶされることはありません。なぜなら、私たちの仕える王ははるかに優れた王であり、起こりくる事を何でもすべて、自由に、また不変的に定められる方だからです(WCF3.1)。
この記事はリゴニア・ミニストリーズブログに掲載されていたものです。