ジャン・カルヴァンについて知っておくべき五つのこと
2024年06月26日(木)
マルティン・ルターについて知っておくべき五つのこと
2024年06月27日(木)
ジャン・カルヴァンについて知っておくべき五つのこと
2024年06月26日(木)
マルティン・ルターについて知っておくべき五つのこと
2024年06月27日(木)

聖化について知っておくべき五つのこと


聖化の簡潔な定義をお探しなら、おそらくウェストミンスター小教理問答にある定義にまさるものはないでしょう。問35の答えに、ウェストミンスターの神学者たちはこう記しています。「聖化は、神の一方的恵みによる御業です。それによって私たちは、人間全体にわたり神のかたちにしたがって新しくされ、ますます罪に死に義に生きることができるものとされるのです」 これは聖化の漸進的な性質の正確な定義ですが、聖書は、聖化の他の重要な側面も示しています。そのような側面は、私たちがこの贖罪の恩恵について完全に理解するために必要なものです。では次の5つの点について考えてみましょう。

1. キリストは聖化の源である

クリスチャンは、キリストとの結合によって聖化されます。キリストは、ご自分の民が信仰によってキリストのうちにとどまり、霊的に成長するために必要なものをすべて与えてくださる唯一の聖化の源です。使徒パウロはこのように記しています。「しかし、あなたがたは神によってキリスト・イエスのうちにあります。キリストは、私たちにとって神からの知恵、すなわち、義と[ESV: sanctification]と贖いになられました」(一コリ1:30、斜体は著者によるもの)。ご自分の民のための聖(化)の源となられるために、イエスは贖いの御業によってご自分を聖別(sanctify)しなければなりませんでした(ヨハネ17:19)。イエスは罪を知りませんでしたが(二コリ5:21)、神の律法に完全に従い、父から受けた命令を仲介者として守ることで、民のためにご自身を神聖なものとされました(ヨハネ10:17-18)。ゲルハルダス・ヴォスはこう説明しています。「これは、救い主における変化と理解してはならない。すなわち、イエスがご自身を聖別されたことが、あたかも以前は聖性に欠けていたという前提になってはいけない。むしろ仲介者としての神への従順(受動的かつ能動的従順)において、イエスの生涯が神聖なものとなることを指すのである」 この従順な生涯に加え、十字架上で死なれたことにより、キリストは私たちのために聖別されました。信じる者の罪がキリストに転嫁され、木に架けられたその身に罪を背負われたことで、キリストが神の激しい怒りの下に倒れたとき、私たちの罪はさばきによって取り除かれたのです。

2. 再生は聖化の泉である

義認が贖罪の法的な恩恵(すなわち、一度きりの行為)であるのに対し、聖化は再生という変容を伴う祝福から流れ出るものとして捉えるのがより適切です。クリスチャンになって初めに、信仰生活の中に新しい性質が取り入れられること(すなわち、再生)を経験します。それによって、聖化の過程が始まります。ウェストミンスター信仰告白に記されている通りです。「……再生された者たちは、自身のうちに創造された新しい心と新しい霊を持っているので、……さらに聖化される。……(そして)キリストの聖化のみたまからくる継続的な力の補給によって、再生の側が勝利を得る。それで聖徒たちは、恵みに成長し、神をおそれて聖潔を完成して行く」(WCF13:1, 3)。

3. 聖化は決定的な側面を持つ

フィラデルフィアにあるウェストミンスター神学校にて組織神学の教授であった故ジョン・マーレーは、決定的聖化と漸進的聖化とを正しく区別しました。信じる者が既に聖別されたことに関する新約聖書の箇所について(例・一コリ1:2; 6:11; ヘブル10:10)、マーレーはこのように述べています。「新約聖書で聖化に関して用いられている最も一般的な表現は、過程についてではなく、一度限りの決定的な行為に他ならない。……したがって、聖別をもっぱら漸進的な働きという観点でのみ考えることは、聖書の表現のパターンから逸れてしまうことになる」

決定的聖化は、信じる者の人生において、根本的な罪の力との決別を伴います。この罪の力との決別は、イエスが十字架で罪に対して死なれたときに起こりました(ローマ6:10)。マーレーはこのように説明しています。

キリストは、その死と復活によって、罪の力を打ち砕き、この世の神、暗闇の世界の君主に勝利し、この世とその支配者にさばきを下し、その勝利によって、ご自身と結合されたすべての人を闇の力から救い出し、ご自身の支配の中に移されたのである。キリストとその民との結合は実に親密であり、民はキリストのすべての勝利の功績にともにあずかり、ともに罪に死に、キリストの復活の力によってともによみがえったのである。

信じる者が現在においてキリストと結ばれ、救われるとき、贖罪の御業のこのような過去の側面は、クリスチャンとしての経験の中で実現されるのです。

4. 信仰と愛は聖化をもたらす二つの手段

信じる者の義認(すなわち、神の御前に義と認められること)が信仰のみによるのに対して、聖化の過程は信仰者の生活において「愛によって働く信仰」(ガラテヤ5:6)によって実現します。キリストにあって義とされた、その同じ信仰によって、信じる者が聖別されます。しかし、信じる者の経験としては、信仰が愛とともに能動的に働くことによって、恵みにおいての成長がもたらされるのです。神がご自分の民のためになさることと、その応答として民が行うことには、調和があるということです。使徒パウロは、このように同時に実現する働きについて的確に述べています。「……恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めなさい。神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です」(ピリピ2:12-13)。

5. 神は信じる者が漸進的な聖化において前に進むよう助けの手段を定められる

聖化は、キリストがご自身の死と復活によって成し遂げられたことに基づくものであり、信じる者が聖霊の力によって日々の生活の中で経験していくものですが、神はその恵みにおける成長の追求を助けるために、一定の手段を定められます。信じる者になされる漸進的聖化は、恵みの手段の使用に比例して実現します。神がご自身の民の聖化のために定められる手段は、聖書のみことば、聖礼典、そして祈りが中心となります。イエスは「大祭司の祈り」の中で、このように祈られました。「真理によって彼らを聖別してください。あなたのみことばは真理です」(ヨハネ17:17)。また、使徒パウロは「賛美の杯(the cup of blessing)」(一コリ10:16)と語リ、聖餐の恵みについて言及しました。みことばの宣教、聖礼典、そして祈りが、共同体の礼拝の中心的要素です。そのため、主の日の礼拝のために聖徒たちとともに集まることは、私たちの漸進的聖化のために必要不可欠なのです。


この記事はリゴニア・ミニストリーズブログに掲載されていたものです。

ニコラス・バッツィグ
ニコラス・バッツィグ
ニコラス・バッツィグ師はサウスカロライナ州チャールストンにあるチャーチクリーク米国長老教会の主任牧師であり、リゴニア・ミニストリーズの協力編集者である。『Feeding on Christ』というブログに定期的に投稿している。